腑に落ちるってこういうことだよという、とても分かりやすい例です下矢印下矢印

 

 

 

 

 

 

 

この相談者さんは、「なんで私はああなれないんだ!」「どうやったらああなれるんだ!」って、ずーっと怒って生きてきたんですよね。

 

 

 

自分にムチ打つって、そういうこと。

 

 

 

自分にムチ打ち状態はもれなく悲劇のヒロイン状態ですから、自分を俯瞰できない。

 

 

 

要するに、現実が見えていないので、自分が何もわかってないことすらも分かれないんです。

 

 

 

 

 

 

 

現実が見えない時、人を避けているのにコミュ障を治したいという矛盾すらも、疑問なく当たり前に抱えてしまうのです。

 

 

 

自分が見えてないから。

 

 

 

根底が変化していくと、それに波及して自分から広がる外側が自動的に変化していくことがわかりますね。

 

 

 

全てはただの結果なんですよ。

 

 

 

自動的に集約されたただの結果を、自分の理想通りにコントロールしようなんて、100万年かかってもできません。

 

 

 

この手の悩みを多く持つ方は多いのではないですか?

 

 

 

 

 

 

 

”仕事でわからないことを社員に聞く時、嫌だなぁと思う自分。

なぜそう思うのかというと、面倒臭そうな態度や表情が怖いから。

自分が責められているような、怒られているような、嫌な気分になってしまう。”

 

 

 

 

自分できちんと答えを出していますね。

 

 

 

 

”相手の態度や表情を見て不機嫌そうだと嫌われているからだ」とか、「私が何か悪いことをしたからだ」とかいちいち自分につなげて嫌な気持ちになっている。”

 

 

 

事実がどうかもわからないのに、勝手に妄想の世界に入って傷ついている。

 

 

 

まさに、悲劇のヒロインです。

 

 

 

この根底がどこから来ているか?

 

 

 

もちろん、親子関係です。

 

 

 

きちんとした愛着形成ができていないと、このように他者との境界線が曖昧になります。

 

 

 

この人は今こうなんだなと、自分と切り離して考えられない。

 

 

 

だから、世界に自分しかいないでしょう?

 

 

 

相手との境界線が曖昧で、相手の立場やリアルを想像できないから、自動的に自分中心になるんですよ。

 

 

 

だから、自分が悪いし、自分が被害者だし、自分がどうにかするしかないし、、

 

 

 

そしてその裏側に、ぴったりとあいつは自分にこうするべきだ!という概念も貼りついてるわけ。

 

 

 

 

そりゃあ人生苦しいに決まってますよ。

 

 

 

 

 

この問題もまさにそれです下差し

 

 

 

 

 

 

 

営業所のトップがコピー用紙を持ってくれるだけで申し訳ないと思うなんて、私には到底考えられない無気力

 

 

 

じゃあ清掃員だったらどうなの?

嫌いな奴だったらどうなの?

同僚だったらどうなの?

 

 

 

役職関係ないならなぜわざわざトップと入れたのか?

 

 

 

この方は多分、その行動をしてくれた相手が清掃員でも嫌な奴でも同僚でも、申し訳ないとは思うはずですが、自ら感じる申し訳なさの度合いが変わると思います。

 

 

 

差別しているかどうかは、きちんと自分と向き合って答えを出したほうがいい。

 

 

 

それが自分にこびりついた価値観だからです。

 

 

 

コミニケションって、そういうとこからだよ?

 

 

 

で、コピー用紙を持ってくれるだけで申し訳ないと思うなんて私には到底考えられないと言いましたが、申し訳ないではなくてありがたいでしょうはてなマーク

 

 

 

自責が強いと、感謝より謝罪が先になるんですね。

 

 

 

これ、ダメですバツレッド

 

 

 

私は、相手がしてくれた行動に対して、申し訳ない思うことはまずないですね。

 

 

 

だって私のためにそれをしてくれたんでしょう?

 

 

 

 

喜び120%でお返しします飛び出すハート

 

 

 

 

ですから、何度もしてもらえるのは当たり前ですよね。

 

 

 

 

で、これも大事な話でそもそも論になりますが、自分がそのような行動をする時にはそこに何の意味も持たせません

 

 

 

 

コピー用紙が切れたから2階に取りに行ってありがとうはてなマーク

 

 

 

 

 

何言ってんのはてなマークって感じです驚き

 

 

 

 

良かれと思ってやった?

 

 

 

 

それが仕事ってもんだろうに・・・

 

 

 

 

この文章を見ただけで、「あ、この人仕事できない」ってわかります。

 

 

 

 

この方は、仕事ができない自分にも悩んでいましたが、こんな些細なことでごちゃごちゃ考えるマインドなんですから当たり前ですよ。

 

 

 

 

 

 

ってか、仕事しろ。

 

 

 

 

 

何しに職場に行ってんだ?

 

 

 

 

 

キビシー(笑)

 

 

 

 

なんでこんなに強く言うかっていうと、こういう人は仕事もナメてるけど、人生を生きるのもナメてるんですよ。

 

 

 

 

だからうまく行かないの当たり前なんだよね。

 

 

 

 

でも、こうして説明されるとわかるでしょう?

 

 

 

 

自分がやってきた正当な結果が現実として繰り広げられているだけなんですよ。

 

 

 

 

 

 

 

最後にこう締めくくっていましたが、まさにそれです。

 

 

 

 

進んだことが嬉しいのはわかります。

 

 

でも、揺れ戻ることだってあるんですよ。

 

 

 

当たり前でしょう?

 

 

 

なぜ自分はそんなに上手にできると思っているのか?

 

 

 

 

そんなに自分に期待していたら、そりゃあ疲れますよびっくりマークびっくりマーク

 

 

 

 

自分にできることと、できないことと、きちんと区別するべきです。

 

 

 

 

コツは、眼から鱗を落とすこと

 

 

 

 

そのために、俯瞰して細かく考えることです。

 

 

 

 

神は細部に宿りますから。

 

上辺だけ見てたら見つけられないよ。

 

 

 

 

 

 

続き下矢印

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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