こちらと併せて読んでほしい記事です。
無事に卒業された方がいる一方で、悩みの渦の真っ只中にいる人もいるわけで、どちらかというとこちらの方に共感できる方が多いでしょう。
まず言いたいんですが、、、
進まない人の特徴として、自分が気づいていると感じていることを、疑いなく信じすぎなんですよ。
そのくせ、自分を信用していないんです。
だから、正確に言うと、気づいてると感じているのではなく、思い込みということ!!!!
思い込み強すぎなの!!!!
そこは思考を疑うところだよ?と言う場面と、そこは自分を信じるところだよ?という場面がまるで逆
面白いぐらい逆なのね。
なんで自分を信じられないのに、そこは頑なに信じるワケ?って・・・
あと、何度も書いていますし、このメッセージにも「文句と意見が同じ」と書かれてますが、言葉の定義が曖昧過ぎる・・・
でも、本人はそれで何十年も生きて生きたから、気づかないワケです。
文句も意見も同じだったら、人が意見言うたびに文句に感じるんだよ?
それ、めっちゃ損してるよ?
わかりますよね
鈍感なのは外ばっかり見てるからです。
いいかっこうしたい人は、自分の内側に鈍感にならざるを得ないんです。
使えるキャパは皆同じだからね
その割合を外向きに使うか、内向きに使うかで違えば、人生が変わらないわけがないでしょう?
”
本来の自分を認めた生き方を望んでいるにもかかわらず、資本主義の価値観に憧れるのはなぜかというかよさんからの問いですが
資本主義の価値観を捨ててしまったらその価値観で生きている人たちにバカにされるのではと恐れているからだと思います。”
これも、魂はBコースを望んでいるのに、エゴがAコースを行ってしまうというパターンです。
この状態では苦しいに決まってるの。
よく考えてみましょう。
「本来の自分を認めた生き方を望んでいる」
「その価値観で生きている人たちにバカにされるのではと恐れている」
この二つ、どう考えてもノットイコールですよね
これじゃあ、どっち進めばいいかわからないんだから進むわけがないんですよ・・・
この方は、「本来の自分を認めた生き方」という定義が、自分でまだわかってないんです。
「本来の自分を認めた生き方」=「コミュニケーション能力が高く誰とでもうまく行く私」「みんなに好かれる私」「仕事がバリバリできる私」「誰からにも褒められる綺麗な私」
になったままなんですよ。
それって無理なのね。
ママさんができるキャパもそうだけど、人の能力と言うのは、それぞれ個性がありますよね。
陰キャの人が陽キャになりたいって言っても、そんな魔法は無いのよ。
それが現実でしょう?
この方は、まだその現実が受け入れられないんですよ。
この状態の人は、厨二病的な、メンヘラ的な状態なんです。
「世界征服する俺!」
「白馬の王子様に連れ去られる私!」
みたいなものを、未だに夢見ている状態ですよ。
だいたい、そういう願望とは10代のときに折り合いをつけて成長するのです。
しかし、親が子供の鏡として存在し、子供の等身大を見せたり、社会的な立ち位置を読んで自分のポジションを掴む術を教えることができないと、30でも40でも、自分の立場がわからないままなんです。
これは、とても怖いことですよ。
で、これを自ら受け入れることができない人は、徹底的にどん底に落ちるだけです。
世界征服を企んでいても、50歳になったらさすがにムリだと気づくでしょう。
白馬の王子を望んでいても、50過ぎて白髪だらけになったらさすがにムリだと気づくでしょう。
これが、強制的に諦めさせられるときね。
その夢を追いかけていた何十年間が、めちゃくちゃ損だと思いませんか?
このような無理な願望を持つ人は、人と自分を比べまくることは否めないので、とにかくいい気分で人生を生きることができません。
それで生きるのもありですよ。
そのまま寿命が来た人の方が多いと思います。
私はそんな人生は嫌だなと思うので、こうしてブログを書いているだけです
まぁ私も「何者にもなれないなんでもないただの凡人の自分に大絶望」して今があるわけです。
20代前半できてくれたので、まぁラッキーでしたね。
それはもう強烈な負の連鎖のお陰とも言えるでしょう。
堕ちるとこまで堕ちて這い上がった派だからね。
あの時感じたことを今でも鮮明に覚えています。
「不幸には限度が無いんだな」
ということです。
人は、どこまででも不幸になれるんですよ。
だから、エゴが強すぎる場合は、堕ちるところまで堕ちるのも手なのです。
ただ、命の補償はありませんが。
あとね、「いつか親は私を認めてくれる」これも厨二病だからね。
いつまで親が自分を救ってくれると思ってる・・・
価値観が受け入れを困難にしていると書かれていますが、価値観を手放せないのは簡単なことで、頭の片隅でまだまだ努力すれば手に入ると思ってるからなんですよ。
洗脳ってこういうことです。
怖いですね。
努力して陰キャが陽キャになれるなら誰でもなれるわい
勘違いしてほしくないので書いておきますが、陰キャが陽キャにはなれないとは言ってませんよ。
なれる可能性があるとしたら、陰キャの自分を認めて受け入れた人が生きていく中で結果として陽キャになった時だけです。
自分にムチを打って人と楽しくしゃべるふりしても自分の身体が疲弊していくだけです。
”苦手を克服しないと周りから受け入れてもらえないから自分の居場所がなくなってしまう”
毎回言ってますが、このような自分を受け入れるのには土台がいるのです。
この方と同様に、親に安全地帯を提供してもらえなかったために、集団から外れてしまうことに多大な恐怖を感じるわけです。
この安全地帯こそが、家族との繋がりですよね。
娘が、孤独を覚悟しても、自分でいることを選択できた理由です。
家に安全地帯がなければ、家族との繋がりがなければ、孤独を選択するリスクを選べません。
だから、集団に迎合するしかないのです。
この方は、精神がどっぷりと集団に迎合していますので、資本主義思考から出ることもできないし、周囲のマイナスな反応にも超絶敏感にならざるを得ないんです。
”コミュ力がないことでその場のノリに合わせることができなくて場の空気をしらけさせてしまったり、「こういうときはこうやって言わないと」とつっこまれたり、冷ややかな目で見られたり、避けられたり、コミュ障の自分を受け入れて生きていくのなら、こういう周囲のマイナスな反応は当然だと、腹を括って受け入れるということですよね。
それが結構苦しいです。”
孤独が怖いからその価値観から出れない。
で、ここが詰めが甘いところなんですが、孤独が怖いからそこから出られないと言ってるのに、出ない上に孤独になってるというね・・・
悲劇の劇場に居る人って、そういう矛盾には気づけないのよ
場の空気をしらけさせたり、上から目線で突っ込まれたり、避けられたり・・・・
いい気分はしないかもしれませんが、だから何という感じですよね。
考えてみてください。
理想の自分になったって文句言う人は必ずいるんだよ
この方がどれだけ理想が高いかわかりますか?
この方、職場で虐められているなら話は別ですが、皆それなりの良い人なんですよ・・・・
場の空気をしらけさせたっていいし、、上から目線で突っ込まれたってスルーすればいいし、避ける人がいたっていいでしょう?
どんだけ完璧主義・・・
被害者意識が強いとこういう視点になりますが、逆からみたらどういわれると思いますか?
誰もがあなたを快く迎え入れないといけないんかい
こっちのほうが真っ当でしょ。
わかりますか?
この、地球は私のために廻ってると勘違いしている感じ。
しかも、本人が気づいてないというね・・・
だからイタイ人になってしまう。
Bコースに行くはずの人が、承認欲求強めの人生からAコースを選択してしまい、自分の等身大を受け入れないというのは、イタイ人コースなんですよ
”コミュ障の自分を受け入れて生きていくのなら、こういう周囲のマイナスな反応は当然だと、腹を括って受け入れるということですよね。それが結構苦しいです。”
このニュアンスは違うんですよ。
この書き方は、努力で受け入れようとしているんです。
だから苦しいの当たり前なのね。
なんでも努力でやろうとするやり方こそが違うと言ってるのに、努力で生きてきたから自動でそうなるんです。
それ以外のやり方がわからないわけです。
何かを達成するためには必ず努力しなければならいと。
努力じゃないんだってば
腹を括って受け入れるってのは、努力で強引に受け入れることじぁないんだって・・・
っていうか、努力でどうにかするとか無理だからね・・・
そして、努力でどうにもなってないから今悩んでるんでしょう・・
気づいて・・・
どこまでムチ打つの・・・
腹をくくるというのは、単純に覚悟することですよ。
ジェットコースターに乗るのが嫌だったとして、どうしても乗らないといけないとして、嫌だ嫌だで叫びながら乗るのと、乗るしかないと覚悟を決めて乗るのとどちらがいいんですか?
叫んだって乗らないとならないんだから、そのエネルギー違うところに使おうよ。
覚悟というのは、自分のゆるぎない安全地帯になるんです。
ありのままの自分を受け入れるのには、安全地帯という土台が必要です。
それを構築しながら受け入れていくのがセッションですが、親に望むのは無理なので自分で構築していくしかないのです。
ですから、日々起こる些細な出来事についてあれこれ考察していきながら自分の理想と現実を見ていくのです。
前に進む人は、日々の出来事を細かく書けます。
それだけ敏感だからです。
鈍感な人は、「○○楽しかったー!」「○○嫌だったー!」とかしか書けないんです。
そういう人は、鈍感を敏感にすることからのスタートとなります。
エゴや価値観が強いひとは、それだけほぐす時間がひつようだということがわかりますよね。
手っ取り早いのが堕ちるところまで堕ちることですけどね。
本当にもうダメなんだだ・・・と体感すれば、どうしたって受け入れるしかないのですからね。
そうなるとの、自分から能動的に受け入れて前に進むのと、どちらがいいですか?という単純な話です。
今日は少し辛み多めで書いてみました。
この辛い刺激こそが、思考を揺さぶるということを体感してください。
さてさて、娘②が初めての定期テストから帰宅しました
昨日は「美術とか体育のテストとかもう無理・・」とか言ってましたが、「意外とできたー!」と言っておりました。
でも、英語と社会は諦めるそうです(笑)
余り物でパスタにしようと思います。
ではまた