凄く時間がかかったけれど、ある瞬間一気に変化した相談者さんについて書きたいと思います。

 

 

 

 

 

 

これ、凄くわかりやすいので使いたいなと思いました。

 

 

 

”それが自分だから、って思えるようになった。”

 

 

 

これが難しいんですよ。

 

 

これが、理想のゴールを手放せたときです。

 

 

頭の片隅にそれがちらりと見えるのと、壁にポスターとして堂々と張り付けてあるのとでは全然違いますよね。

 

 

 

ここ大事です。

 

 

 

”悩んでも責めても、いい。そういう自分がいても、いい”

 

 

 

 

 

これね、凄く矛盾するように聞こえると思うんですが、責めても何にもならないと聞くと、責めてはダメなのだと自分を責める人が多いのですが、自責をしても何の意味も無いと、現実を淡々と認識することと、自責は=罪な事!と認識するのでは、全然違う話です。

 

 

 

現実を淡々と認識することが大事なんですよ?

 

 

 

自分を責める道具にするために自覚するのではなく、「あ、これゴミだったわ」と識別するために自覚するんですよ。

 

 

 

自責は、そんなことをしてる暇があるなら風呂の掃除でもしてろ!というレベルのものなんですが、それが罪だから責めているわけではないんですよ?

 

 

 

それを罪と捉えてしまうと、またそれを責めるわけですよね?

 

 

 

エンドレスになりますよね?

 

 

 

これがまさに読解力の限界なんですよ。

 

 

 

 

このように独自の理解で終わってしまうと、歪んだ認知は矯正されません。

 

 

 

 

でね、ここがパラドックスなんですが、自責は意味が無いと気づき、「意味が無いことばっかりしてダメな私!ムカムカと責める道具にするのではなく、「あ、これいらないやつなんだ」捨てることによって、「まあそれも含めて自分だしなー」となると、結果的にこうなるんですよ下矢印

 

 

 

 

 

 

 

本当にそう。

 

 

 

責めるだけ無駄。

 

 

 

だから、自責は自慰行為なんです。

 

 

 

エゴがいる限りは、自分を許せないので、意識で無理に許すとかではなくエゴを開放することですね。

 

 

 

 

簡単にできているように見えてますが、この方も、相当エゴを手放せなかった方です。

 

 

 

 

諦めなかったことに金メダルをあげたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「勿論です」は私の返答のコピペです。

 

 

 

 

”私も、欲しいものは分かってるつもりなのになぁと思った”

 

 

 

 

ここなんですよね。

 

 

 

これみんな思ってるんですよ。

 

 

 

でもね、明確にしていないんです。

 

 

 

 

欲しいものについては、何度も何度も書いてます。

 

 

 

 

 

 

 

自分が【本当に欲しいもの】がわからないうちは、絶対に【それ】は手に入らないです。

 

 

 

 

”セッション受けてる殆どの人は、欲しいものは大体一緒なのではないか?と思う。”

 

 

 

 

これはその通りだと思いますよ。

 

 

 

「魂で生きてる実感」のように、どんな感じ?と言われても答えられないような漠然としたものだと思います。

 

 

でも、娘は「こう生きたい!」というように、明確になっていたからリスクが取れたということです。

 

 

相談者の方たちがうまくできないのは子供よりも欲が強いからです。

 

 

こう生きたい!でもこのリスクは要らない!」というように都合がいいからです。

 

 

 

それが腹を決めていないということです。

 

 

 

リスクを背負うことと言うのは、手放したくないものがあればあるほどできなくなるので、エゴが強ければ強いほど腹が決まらないのは当然です。

 

 

 

食べ物を選ぶときでさえも、不味いものは絶対に食べたくない!と思えば、簡単に選択することができないのと同じです。

 

 

 

それでは、いつまでたっても注文ができないのは当たりまえです。

 

 

 

そりゃあ前に進むわけないよね?

 

 

 

 

失敗したくないという恐怖が募るあまり、選択でないのであればトライもないし、不味いものですら味わえない

 

 

 

それはどういうことか、生きている感覚がなくなるということです。

 

 

 

リスクを背負わないということは、そういうこと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

グレー枠は私のコメントですが、これも分かるなぁという方が多いのでは?

 

 

何度も言いますが言い聞かせているなら今すぐやめてね。

 

 

何度も言いますが、肩の荷物を下ろすだけだから。

 

 

この肩の荷物を下ろすだけっていうのがよくわからないというのもよくわかります。

 

 

ただ、これは感覚的な物なので、言語化するのが難しい事なのです。

 

 

ブランコの漕ぎ方を国語でやるようなものです。

 

 

でも、逆に荷物を降ろせた人は、この表現でよくわかると思います。

 

 

 

 

 

 

御覧の通り、この方も延々と自責していました。

 

 

私が言ったことを次から次へと自責の道具にしている時期もありました。

 

 

 

 

 

 

実際の自分は何も変化していないけど、生きている感じは全然違うはずです。

 

 

本当は変化しているんですよ。

 

でもそれは自分が望む変化ではないというだけ。

 

 

さらりと書いていますが、生活の変化はスゴイですよ。

 

 

 

転職や独り暮らしなど、この行動がなかったら、間違いなく今はありません。

 

 

 

この方は、まだまだ自分に納得はできていない思いますが、私から見れば本当に強く、本当の優しさを持っている人間なのです。

 

 

 

罪悪感が消えた今この年齢から、やっと自分らしい生き方が始まるのです。

 

 

 

 

それは、ようするに、強くて優しい自分に気づいていくということです。

 

 

 

 

罪悪感があり、自責をしている状態で、真の自分に気づくことは不可能ですからね。

 

 

 

 

 

本当に、諦めなくてよかったなと思います。

 

 

 

 

自分のことのように嬉しいです。

 

 

 

 

 

ではまたバイバイ

 

 

 

 

 

まだまだ書きたいことあるぞ~アセアセ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お気軽にメッセージをどうぞウインクキラキラ

 

友だち追加

 

 

 

 

 

お祝い30分無料セッション満員御礼でしたお祝い

 

キラキラ皆様ありがとうございますキラキラ