昨日の辛口の記事、かなりガツンと響いたようです。

 

 

 

かなりグサッと来たと思います。

 

 

 

 

 

 

 

”自分のためではなかった。

子どもたちに認めてもらいたかった。

1人でががんばっているわたしを。”

 

 

 

これが、リアルです。

 

 

 

これは自分の親に認めてもらえなかった空虚な部分を、自分の子供で埋めようとしているというリアルです。

 

 

 

自分が子供側だと思ってください。

 

 

恐ろしくないですか?

 

 

しかも「あなたのためなの!」と言って子供の人生を搾取してくるんです。

 

 

だいたいの人間はこういうリアルを直視することができません。

 

 

 

というか、気づけません。

 

 

 

根底が変わらないので、次から次へを問題が勃発します。

 

 

 

 

”いっぱいひどいことしてきて、今更いい母親になろうなんて、わかり合おうとか、いいかげんにしろよって。”

 

 

 

 

で、最後のこの文を読んでもらうとわかると思うのですが、、、、

 

 

 

やってしまった・・と感じた後の対処が、自分責めなのですガーン

 

 

 

 

”いっぱいひどいことしてきて、今更いい母親になろうなんて、わかり合おうとか、いいかげんにしろよって。”

 

 

 

確かにその通りです。

 

 

 

でも、誰だって人生、それなりの酷いことしてますよ・・

 

 

 

聖人君主なんていませんよ。

 

 

で、やったことをなかったことにもできないですよね。

 

 

その事実を悔やむのではなくて、自分はそういう人生なんだと受け取めた時に消化できて初めて前に進めるんですよ。

 

 

だけど、「私は悪い事してしまった、悪い母親だった、もっとこうしていれば・・」を、ずーっとリフレインして肩に乗せてたらどうですか?

 

 

いつまでたっても罪の意識のままなんです。

 

 

だから、自分責めしてしまうわけです。

 

 

 

自分は罪人だという意識があるからです。

 

 

 

”いい加減にしろ” と言いたい気持ちはわかるのですが、子供に良い母親だって認めてほしかった自分や、それだけ寂しかった自分、満たされなかった自分、未熟な自分を理解して受け止めることが大切です。

 

 

 

自分をわかってあげることです。

 

 

 

しかし、それが簡単にできなのです。

 

 

 

なぜなら、許せないから。

 

 

 

 

エゴが強いと自分を許せないのです。

 

 

 

こいつがいる限りは、理想通りではない自分が許せないんです。

 

 

 

私は、その人のエゴに対して辛辣な言葉を吐いているであって、その人の真の部分に辛い言葉を吐いるのではないんです。

 

 

 

必死に良い母になって償おうとした自分を認め、だからこそ道を間違えてしまったことを許し、ありのままの現実を受け止めることが大切です。

 

 

良い母親でなくても、子供とは繋がっています。

 

 

自分の理想通りの繋がり方ではないかもしれませんが、その理想のゴールを置いているかぎり、自分の望む状態にならない限りは子供と繋がったと感じることはできません。

 

 

本当は繋がっているんです。

 

 

でも、理想の形態があるために受け取ることができません。

 

 

 

それが、プレゼントの受け取り拒否です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

罪の意識をおろせば、周囲に溢れるプレゼントをうけとることができます。

 

 

 

 

 

こちらは姑問題に苦戦していた方です。

 

 

 

 

 

 

 

 

本当にこの通りで、自分のことって見えないんですよ・・・ガーン

 

 

なんで本人がわからないことを私が解るのか、、不思議ですよね・・・

 

 

でも、今までの経験則からしても本当に当たるんです。

 

 

話すと自動的にわかってしまうので、もう不思議な能力としかいいようがないですね凝視

 

 

 

話に戻りますが、、

 

 

 

 

”察してもらえないと怒って、言えないと怒って、何しても起こるんだから爆発した方がマシ”

 

 

 

 

本当にそれなの。

 

 

 

 

電話セッションでも何度も話しているのですが、この方の日々蓄積したフラストレーションは、全部長男にいってるんです。

 

 

 

 

本来は姑に爆発するはずのものがですよ?

 

 

 

どれだけのものを子供が受け止めているか。

 

 

 

 

ここをきちんと直視して、考えなければならないのです。

 

 

 

しかし、ここも目を逸らすお母さんがほとんどです。

 

 

 

だからこそ、子供が大きくなって収拾できない問題となってしまうわけです。

 

 

その時はもうほとんど手に負えない状態となってますから、強制的にあきらめざるを得ないということです。

 

 

 

 

で、最後の文ですが、、

 

 

 

 

”子供達にも、どうやって挽回できるかな、、、とか考えたけど、挽回なんてなくて、ブログに書いてくれたように、離れるか成長するか。しかないんだ。”

 

 

 

 

 

もう本当に、その通りなのです。

 

 

 

 

挽回するとか下手に考えてはいけません。

 

 

 

ありのままを受け止めて、進むしかないんです。

 

 

 

ここでそれがわからないと、自責も罪もどんどん重くなり、「私は悪い事してしまった、悪い母親だった、もっとこうすれば・・」という結末になります。

 

 

 

 

そしてこれですね。

 

 

 

 

”いっぱいひどいことしてきて、今更いい母親になろうなんて、わかり合おうとか、いいかげんにしろよって。”

 

 

 

どちらの状態でも、変化していくことはできますが、変化の過程や落としどころは違いますよね。

 

 

 

子供が小さいうちは、子供を巻き込んで臨んだ結果に変化していく未来がありますが、子供が成人した場合は子供を巻き込むのは無理です。

 

 

 

なので、もうどうにもならないものを受け止める器の大きさが倍に必要になりますね。

 

 

 

しかし、その分、年齢という武器があるのです。

 

 

 

どんな方でも、どの年齢でも、成長していけます。

 

 

 

その方にジャストサイズの、カスタムメイドな結末が待っているのです。

 

 

 

それが、自分の人生です。

 

 

 

 

ただし、理想のゴールを設定しないことが条件です。

 

 

 

 

 

ではまたバイバイ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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