他のブログセッション方々にも、一緒に考えてほしくて記事を書いています。

 

 

 

その人と同じようなことをしていても、自分の立場になると、とたんに分からなくなる人が居るからです。

 

 

 

 

 

 

 

息子さんへの気持が超絶コントロールなのは、ご自身もわかっているし、見ている方もわかるでしょう。

 

 

 

約束をドタキャンされたことによる苛立ちはまあ普通ですが、自分でキャンセルの電話をしても溜飲が下がらないし、「すみません」と言うことに対してここまで腹を立てるのは少し度が過ぎてますね。

 

 

 

これは、ドタキャンそのものに対するいら立ちではなく、予定したものを遂行できなかったことに対しての怒りです。

 

 

 

遂行できないことが苛立ちなので、何をカバーしたところで、遂行しない限り機嫌が治らないということです。

 

 

 

 

計画通りに物事を進めたい。

 

 

 

 

要するに、思い通りに動かしたいですね。

 

 

 

 

コントロールしたいのは弱さの現れ。

 

 

 

 

根底にあるのは愛の枯渇。

 

 

 

 

「一緒にご飯を食べたかった」

 

 

 

 

これは大きいですね。

 

 

 

これが願望です。

 

 

 

望みです。

 

 

 

 

子供に対して「愛をください」と言ってます。

 

 

 

この関係性で、子供が苦しくなるのは時間の問題です。

 

 

 

ひとりで楽しめない人が、他人に何かを与えてあげるなんて不可能なのです。

 

 

 

 

だから、奪うしかない。

 

 

 

というか、どうしたって奪ってしまうんです。

 

 

 


 

 

 

このように、親の心の面倒を見ようとしてしまう人は意外と多いですが、辞めた方がいいです。

 

 

 

それ、依存の現れです。

 

 

 

自分の気持の整理は自分でして初めて大人になれるんですよ?

 

 

自立の意味から考えなければならない。

 

 

 

放っておくことができないのは依存しているからです。

 

 

 

それはある意味、相手に自由を与えないという事。

 

 

 

その後の文がそれを証明しています。

 

 

 

やっぱり元気でいて欲しい。

笑ってて欲しい、幸せでいて欲しい。

これは愛ですか?

 

 

 

これって、多分みなさん良い心がけだくらいに事に思うでしょう?

 


 

わかりやすいように言い方を変えてみましょう。

 

 

 

 

私のためにあなたに元気でいて欲しい。

私のために笑ってて欲しい、私のために幸せでいて欲しい。

 

 

 

元気でないことも許さないし、落ち込むことも許さないし、幸せにならないことも許さない。

 

 

 

申し訳ないですが、これは真の愛ではありません。

 

 

 

条件付けの愛です。

 

 

 

 

やっぱり全部が繋がって母がいて私がいて子どもたちがいて、、、

 

 

 

 

どこまでも理想を求めているわけです。

 

 

 

 

自分への期待と他者への期待、未来の願望が強すぎて今が全く見えていない状態です。

 

 

 

 

そして、一番の問題点が現われているのが後半の部分です。

 

 

 

 

 

 

 

息子さんとの一連の流れを、最近のイラつきと表現していますが、その後に書いた職場の飲み会で起きたのことのほうがイラつきの原因になるはずなのに、それがイラつきに入らないことに驚きました・・・

 

 

 

 

”店長のことをかわいいと褒めた後に道ゆく人に指をさしてブスと言い(言われた人には届いていません)最後に私を指さしてブスと言われたことを、

またその人が酔っ払ってなんで美容関係で働いてるの!?と言われて思い出してその時不快だったことを思い出しました。”

 

 

 

 

あからさまな態度ですね。

 

 

 

 

息子の整骨院のキャンセルにあれだけイラついて、ここにイラつかないことは本当に問題だと思います。

 

 

 

これに比べたら息子の話なんて屁でもないでしょう!?

 

 

 

 

腹立てるところ間違えすぎです。

 

 

 

この、自分の感情が反応する出来事が肝なんですよ。

 

 

 

息子に対してはこんなことでイラつくのに、会社の人にこんな酷い事言われて同じようにイラつかないっていうのは、家族にはムカついてもいい、他人には腹立てた自分をみせてはいけないと思っているという意識があるはずです。

 

 

 

 

いい恰好したい願望が家族への負担になっているとわかりませんか?

 

 

 

自分の良いカッコしたいスタイルが、家族への態度に繋がるということをきちんと理解する必要があります。

 

 

 

表面的なことを取り繕っても何の意味も無いです。

 

 

 

家族は一番身近な相手です。

 

 

 

さらけ出すことは必要ですが、いつでも腹をたてるのは甘えすぎている証拠です。

 

 

 

さらけ出すことと甘えることは違います。

 

 

 

 

全く関係ないですが、私、「道行く人を指さしてブスと言う」ような人、本当に嫌いなんですよね。

 

 

 

自分が何を言われてなくても、嫌いです。

 

 

 

だから、こういう人が居る職場では働きたくないと思うし、働くのが仕方ないとしても、飲み会には絶対に行かない。

 

 

 

この手の人って、どこにでもいますが、割合は重要です。

 

 

この手の人達ばかりいるような職場なら、自分も同類だと思ったほうがいいです。

 

 

 

そういう風に考えることが等身大を観る、です。

 

 

 

美容関係の仕事は、ルッキズムが主体ですから、必ずそうなりますよね。

 

 

 

それを好んでる人たちが集まるのですから、自分がそこで場違いかどうかは、最初から把握していないとダメなのです。

 

 

 

美しいことが好きなのと、整形して美しくありたい、人工的に手に入れたいというような美の追求とは全く違うものですよ。

 

 

 

何を美しいと思うか、何を見て腹が立つか、そのような価値観というのは一緒にいる集団でとても大切な物なのです。

 

 

 

それがズレていると、そのずれを合わせるだけでエネルギーが使われ消耗してしまうのです。

 

 

 

憧れることと、自分ができることは違うのです。

 

 

 

 

等身大を観なければ、いつまでも幻想の自分を追いかけ、そこに近づける無駄な努力をすることになりますね。

 

 

 

 

そこに気づきましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お気軽にメッセージをどうぞウインクキラキラ

 

友だち追加

 

 

 

 

 

お祝い30分無料セッション満員御礼でしたお祝い

 

キラキラ皆様ありがとうございますキラキラ