今朝の朝食はチャーハンです照れ

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

非二元は、【般若心経そのもの】だということを動画で言っていたわけなのですが、では般若心経とは何なのかというと・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そんなに悩まなくてええで~」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

という詩です真顔

 

 

 

 

 

 

 

 

略しすぎ?(笑)

 

 

 

 

 

 

いや、でも本当。

 

 

 

 

 

 

 

だからこれでもかってくらい 【空】 を強調しているんです。

 

 

 

 

 

これはやで!

 

それもやで!

 

目の前にうつるのもは全部やでええええ!!!

 

 

 

 

 

 

君の悩み、全部幻想(空)だからさ~!ってずーっと言ってる詩です。

 

 

 

 

 

で、「それは分かったけど僕はどうすればいいの?」 という答えに、「いいからつべこべ言わずに今すぐ呪文唱えろ!」 というのが答え(般若心経) なのです。

 

 

 

 

そうですね、【空】になるには、そもそも論で【思考】が邪魔をするので、マントラ(呪文)を用いたんでしょうね。

 

 

 

 

 

般若心経 =呪文= 【密教】 なんですね。

 

 

 

 

 

またそもそも論なのですが、この、262文字の【般若心経】の大元は 【大般若経】であり、インドのサンスクリット語で書かれていたものを玄奘三蔵が漢語に訳したんですよね。

 

 

 

 

 

 

原典の長さ、600巻です。

 

 

 

 

本当は、600巻あるんです。

 

 

 

 

長さにしても、サンスクリット語の訳にしても、中国語の訳にしても、いま私たちが理解しているものは、どこまで原典の伝えたいまま伝わっているのかというのが凄く疑問なんですよね。

 

 

 

 

そこ、ものすごく重要じゃないですか?

 

 

 

 

【色即是空】という有名な4文字がありますね。

 

 

 

 

【色、即ち是、空なり】

 

【色には実態がないでしょう?】

 

【目の前にあるものは空だよ】 

 

【形のあるものに執着してもむなしいよ】

 

 

 

 

ということだと言われてます。

 

 

 

 

】は、肉体や、現象界、目の前の現象として現れているもの全て、として例えられていますね。

 

 

 

でも本当は、この、 【】 という一つの文字の裏に、【色・受・想・行・識】 の5つ、五蘊(ごおん)が全部含まれているんです。

 

 

 

 

この五蘊は、【受けること・想い・行い・意識】と、色以外は全て 【精神・心のこと】を指しているので、実際は、【眼に見えるもの】だけでなく、【心理的なもの】 など全て空であると言ってるんですね。

 

 

 

サンスクリット語の原典では、【本質的なものは何もない】 という方が近いようなのですが、玄奘三蔵は 【みんな空である】 と訳したようです。

 

 

 

 

ここ、もの凄く重要 だと私は思うんですよ。

 

 

 

 

 

訳し方で、天と地ほどの違いが出てくるのが翻訳ですね。

 

 

 

 

【実体はないよ】、というのと、【全部最初からないよ】、というのはだいぶ違ってきます。

 

 

 

 

とにかく、般若心経では、この五蘊が【全て空である】と言うことを、観音様が分かったから苦しみから解き放たれたよ、ということを伝えています。

 

 

 

 

 

色不異空 空不異色

 

(色は空と違わない 空は色と違わない)

 

 

色即是空 空即是色

(色は空である 空は色である)

 

 

受想行識亦復如是

 

(五蘊も色と同じく空ですよ)

 

 

是諸法空相

(世の中のありとあらゆるものすべてが空ですよ)

 

 

 

不生不滅 不垢不浄 不増不減  是故空中

 

(死にもしない 生まれもしない 汚いも綺麗もない 増えることも減ることもない、なぜなら空だから)

 

 

 

この後も、眼に見えるもの、自分の意識、声や匂いや味や感触、老いも病も、そもそも存在しない、だから人間の苦しみもない なぜなら 【全て空だから】 と言い続けます。

 

 

 

無智亦無得 以無所得故

 

 

(知らなければ 欲しいとも思わないし、持っていなければ苦しむこともない)

 

 

 

確かにそうですよね。

 

 

 

でも、目の前にあれば欲しくなるなら、それは対症療法でしかないよね。

 

 

と思っているとちゃんと出てきます。

 

 

 

菩提薩埵 依般若波羅蜜多故 

 

 

(観音様たちは、それ以上の知恵を知っているがゆえに、欲も悩みもない)

 

 

 

 

それ以上の知恵というのが 【空】 のことですね。

 

 

 

 

 

心無罣礙 無罣礙故 無有恐怖

 

 

(理想を捨てれば、解脱できる 良いことも悪いことも無いから恐怖もない)

 

 

 

 

理想を持ちすぎて苦しいんだから、その理想を捨てなさいよ~! ということです。

 

 

 

 

 

悟りを拓きたいということこそが、究極の理想ですけどね。

 

 

 

とにかくその理想を捨てろと言われるわけです。

 

 

 

 

悟りこそ、追いかければ追いかけるほど逃げていく、パラドックスですしね。

 

 

 

 

 

捨てられない~ と 悩める人たちに  ごちゃごちゃ悩んでないで、いいから呪文を唱えろ!! ということです(笑)

 

 

 

 

 

【空】 は 【瞑想に入れる人】 ならだれでも理解できると思います。

 

瞑想とは、【いく】のではなく、あちらから【くる】ものです。

 

だから、力を入れればいれるほど、離れていく。

 

 

 

 

柔軟性がある人に、呪文は要りませんね。

 

 

 

要するに、頭が思考でいっぱいの人に、ごちゃごちゃ考えないようにさせるための呪文です。

 

 

 

 

この時代も、思考で生きている人には、成す術は無しだったんだなということがわかるし、この呪文の意味を解らず唱えるのと、母国語で唱えるのとでは、だいぶ違うような・・・・と思ったり。

 

 

 

 

 

で、ここからですが。

 

 

 

 

 

非二元が、般若心経だというのは、まさに、【空】 のことですね。

 

 

 

「全部空だよ!」ということを主張しているのが、ノンデュアリティということでしたね。

 

 

 

 

ですが、私がひっかかるのは、ノンディユアルが指している【空】と、般若心経の指す【空】が微妙に違うのでは・・・と感じるところです。

 

 

 

 

 

 

色不異空 空不異色

 

(色は空と違わない 空は色と違わない)

 

 

色即是空 空即是色

(色は空である 空は色である)

 

 

 

 

 

わざわざ2回言っていることが、【とても重要な部分】ですよね。

 

 

そこをちゃんと理解できないと、かなりヤバいと思うんです。

 

 

 

そうすると、【空】と【無】が同じになってしまい、、

 

 

 

 

「この世界は本当は無いんだ」

「虚無なんだ」 

「生きてても意味がないんだ」 

 

 

 

 

となってしまい、本当に自死してしまった人がいたそうです。

 

 

 

 

凄くわかります。

 

 

 

 

間違えた解釈と、自分の現実が絶妙にマッチし、完全に理解したと思ってしまったんでしょうね。

 

 

 

 

紙に鉛筆で文字を書いて、消しても元通りにはなりませんよね?

 

 

 

まっさらな白紙の状態が【無】とすれば、消しゴムで消した後が【空】です。

 

 

 

 

全然ニュアンス違う。

 

 

 

 

 

心の根底に、【自分が欠けている】 という概念があるまま、【この世は無なのだ】と信じれば、この世が【虚無】になって当然ですね。

 

 

 

 

 

この辺が、ダイエットと似ているなあ、、と思ったのでつけた題名でした。

 

 

 

 

 

 

長くなったので次号へウインク