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最近、夜の冷え込みが厳しくなった。
雪国の冬は早い。
初めてのこの地での冬に、既に不安を覚える。
そんな事を彼に訴えたら、真夜中なのに私のアパートにやってきた。
私はどこかホッとしていた。ただ単に心細かった。

そしてまたいつものように、彼の愛撫に溺れる。
そこに溺れる事で、罪悪感とか自分の中の矛盾を払拭しようとしているかのようだ。
ずっと相手任せも悪いと思って、私も彼の体に唇を落とし、仕返しのように悪戯する。
彼が私の愛撫に反応する事で、悪戯心が癖になる。
でも実はそれは策略で。
相手からの仕返しで、自分が滅茶苦茶に快楽に溺れる事を期待している。

行為の最中、私は今までで一番素直になっているように思う。
要望も、どこが良いのかも、どこが嫌なのかも、全部。私は今まで素直に話さずに我慢するセックスをしていた。

何故、今は素直に話すのか、ふと考える。
そこで、一つの答えに行き着いた。
心で恋していないから、ではないかと。
嫌われるのが怖い、失いたくない……そんな気持ちがないから、何でも言えるのだ。
完全に体だけなのだろうか。
いっそ、その方が気が楽だ。
本気で恋できるから。


体の幸せと心の幸せなら、心の幸せが欲しい。
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指を切った。
洗い物をしている時、ピリッとした痛みに手を引き、右手の薬指を見る。
見る見るうちに血液が盛り上がり、銀色のシンクに流れ落ちた。

あー、やっちゃった。
それで済めば良かったのに、私の脳は、どうでも良い事まで誘発されてくれる。

傷は小さいのに、意外と出血量は多い。
あっという間にシンクは緋色になった。
傷がパクリと口を開ける。生温い暗赤色の液体が溢れる。
それが伝う部分は、何だか温かい。
頭が可笑しくなりそうだった。
昔の自分の傷が、あの時の光景が、鮮明に蘇った。
あの頃の死にたい気持ちを思い出した。
グラグラ、頭の中が揺れる。吐き気を伴って、負の感情が、過去が、溢れる。

慌ててバルブを捻った。
シンクを銀色に戻した。
私の手も、肌色に戻した。
出血は止まらない。
私が破綻する。
ティッシュで指をくるんで握りしめた。強く強く。
出血は暫く止まらなかった。

これが、私がしてきた事の代償なのか。
私が生きる為に藻掻いて、藻掻いて……その闘いの後遺症が、これなのか。

別に血は怖くない。これでも医療者の端くれだから。
怖いのは、自分の体に巣くう裂傷と、そこから溢れる液体。
セルフクライム。
贖罪は叶わぬのか。
何処迄この罪は私を苦しめる?
この疑問への答えが、永遠でなければ良いと思う。


共犯者に話した。
この負の感情。狂気の予感。
他に話せる人が居なかった。
話したら、少し狂気が消えた。正常に戻った。
私は安堵していた。自分に忍び寄っていた破滅が、消えた。
まだ大丈夫だと思った。まだ壊れない、と。


母性の象徴、聖母マリア。
処女のまま神の母となり、処女のまま逝った。
そこに穢れは無いと言う。
純真無垢で高潔な理想の女性。

けれど、彼女を理想とするなら。
母性を持つ全ての女はどうしたら良いのか。
子をなす為に、女は誰もが穢れるのだ。
必ず、血を流すのだ。
普通の人でも、綺麗なままでなど居られる筈がない。

私なら尚更。
自らを傷付け、自らを殺そうとした。
この体も過去も、心も……
きっと血深泥なんだ。

こんな私にも、母性があると言うのか。
聖母マリアのように成れると言うのか。

私にも母性があると、そう言った人が居た。
胸に抱かれると、安らぎを得ると。
それなら私は、ブラッディ・マリアだ。
血塗れの、穢れまみれの。
高潔さとは程遠い。


きっと私は堕ちた。
綺麗な場所には届かない。

また、肌を重ねた。

何度も何度も、唇を重ねた。

最後までしてないのに、一瞬、意識が舞った。


のめりこんでいるのはどちらだろうか。

相手が私の肌を手放せなくなったのか。

私が、届かない想いに負けてしまっているのか。


私の心と体は裏腹だ。

体はその人に抱かれて、感じているのに、

心では、ずっと焦がれていた別の人を思っている。

決してふたりを重ねている訳じゃない。

私の体を愛撫するその手は確かにその人のもので、

私に愛してると囁く声も、霞む視界に見える眼差しも、確かにその人で。

でも、心の中で、確実に大きくなる気持ちが、存在が……ある。

これは恋だ、と、言えてしまうものがある。

夢に出てくるのは、恋い焦がれる彼。

でも目の前に居るのは、傷を分けあった、いわば共犯者。

同じ背徳を味わってしまった、共犯者。


戻れない予感がして、怯える。

このまま、手の届く快楽に溺れそうで……自分が酷く浅ましく感じられる。

実際、浅ましいのだろう。ここから逃れられずにいるのだから。


相手の傷を見てしまうと、私は逃げられなくなる。

その傷を癒さなければ、と、腐った正義感が働いてしまうのだ。

それが破滅の道だと知っているのに。


私の胸に顔をうずめる相手を、両手で包む。

まるで、母親になったような感覚だ。

大きな子供をあやしているような、不思議な気分になる。

それと同時に、守ってやらなければ、という母性が働いて、穏やかな気持ちが湧いてくる。

その本能で、私は逃れずに、この状況に甘んじる。


自ら、望む方向とは別の方向へ、少しずつ歩んでいる。

「指先まで愛してほしい

 言葉なんかなくてもいい

 ふたりの吐息だけで」


昔聞いたフレーズ。

言葉通り、足の爪先まで愛されたことがある女性は、以外と多くないと思う。

頭がぼぉっとして、細胞が痺れていくような、あの感覚を味わったことがある女性は、どれくらい居るんだろう。


指先まで愛されたら、もう抗えなくなる。

相手が自分に傅いているような錯覚を覚えても、実はそれは、

自分が相手から逃れられなくなるシグナルなのかも知れない。


汚い、と感じる部分を口に含まれるときの、不安と罪悪感。

そのマイナス感情があるからこそ、増強される、未知への期待。

そこに、蕩けんばかりの感覚が眠っていると、意識しないところで悟っているから。

女は怖い生き物だ。



アダムの肋骨から作られたイヴ。

女性は男性の一部だった。

だから、人は恋をする。

ひとつになるために、惹かれあう。

男は、自分の肋骨を取り戻すために、たった一人の運命の女を探す。

女は、自分が還るべき胸に身をうずめるべく、たった一人を探す。

出会って、違って、別れて、また出会って……

本当に、フィットする相手なんて居るのだろうか。

求める中で、削れたり、変形したりしていないのだろうか。

永遠にフィットしない、そんな事、ないのだろうか。


追い求める事は、幸せなんだろうか。



土から作られたアダムが土に還るのならば、

女の還る場所も、土なのではないだろうか。

男の胸ではなく。



私は、それで構わない。

きっと、土に還る瞬間は、同じだから。

お互い、巡り合わずに還るのだ。

誰にも奪われず。

それはそれで、きっと幸せだろう。


元から互いが互いの一部なのだ。

もう、それだけで十分だ。

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罪は、時に甘美なものになる。
秘めるから、人はのめり込む。
それが禁忌であればあるだけ、貪ろうとする。

背徳は甘露の味がする。
けれどその蜜は、芥子の蜜かも知れない。
早く気付かなければ、救いは無いのかも。

けれど、その甘い蜜には中毒性がある。
命を縮める事を知っていながら、一時の快楽に溺れていく。
やがて骨まで脆く崩れ去るまで、蜜を貪る事を、やめられなくなるのだ。


私は今、ほろ苦くしっとりと甘い蜜を、少しずつ指先に取って舐めている状態かも知れない。
これを喉の奥に流し込んだら、吐き出すのは、きっと困難。
飲み込んだ瞬間が、戻れなくなる瞬間なのだろう。
その時には、既に中毒者だろうから。


甘く苦い罪の味の蜜。
瓶を割らなければ、骨まで融けてしまう。


私には、瓶を床に叩き付ける力はあるだろうか…?