売上増を実現する宴会セールステクニック

売上増を実現する宴会セールステクニック

小手先ではなく心構えからしっかり考える、目から鱗のホテルセールス実践論。当たり前だけど大切なことを、ご一緒に確認していきましょう!

 現役営業マン時代、特に気を付けていたことがあります。

それは他ホテルの顧客でも、あきらめずに第一補欠になることを意識して振舞っていたことです。

この考え方を忘れなかったことが、対計画をそんなに落とさなかった原因の一つになったと思います。

加えてお客様にはけっして無理強いはしませんでした。

間違っても自分の勤務しているホテルが一番とは言いませんでした。

冷静に見たら、あちこち欠点が見えてとても自分の働いているホテルが一番だとは思えなかったからです。

その主なる原因は”人”です。

物理的には、欠点はなんとかカバーしようがあります。

しかしながら従業員の対お客様への態度、言葉遣いまではフォロー出来ませんでした。

ですから第一補欠でいますから安心してください、何かあったらお役に立てれば嬉しいですと控え目の態度でいることが大切と考えていました。

それに加えて現在利用しているホテルを褒めることです。

間違っても非難がましいことは言わない事です。

 

札幌市内のホテルであれば、強み、弱みは何となく見当がつきました。

ですが余計なことは言わないことです。

それが第一補欠になるコツではないでしょうか?

又他ホテルの顧客を訪問した時、4~5分で失礼することもありました。

「いつものホテル確保できましたか?」

「希望の時間帯でホテル確保できましたか?」

「現在利用しているホテルに特に不満はないですね」

等を雑談しながらすぐ帰る時もあります。

間違っても自分の勤めているホテルが一番、最高などとは言わない事です。

いつも爽やかに振舞っていると、何かの事情でいつものホテルが取れない時、あなたのホテルを思い出してくれます。

 

 第一補欠になっているホテルが多いほど、計画達成は見えてきます。

今成績が上がらないとお嘆きの貴方、騙されたと思って有力な補欠になる努力をお勧めします。

いつなんどき潮目が変わらないとは限りません。

・いつも他ホテルを使っている会社が、ホテル担当者が交代、どうやらうまくいってないらしい。

・新任のホテル担当者と同じ学校の先輩・後輩の関係であることが分かった。

・ホテル総支配人と自社幹部社員が学校の同窓生。

等どこにキッカケがうまれるか分かりません。

 

決してあきらめず、お付き合い(定期訪問)を切らさず、周囲の人間関係に気を配ってね。

私の現役時代は、他ホテル顧客のお客様を自社のフアンにするのに3年はかかったのですが今はどうなのかしら?

 

今日はこれでお終い、又ね。

 

 

 

  2024年4月3日、台湾東部沖地震が起きました。

台北よりも電車で3時間弱の「花漣市」の被害が相当ひどい状態です。

加えて景勝地で有名な太魯閣渓谷では、最大700名余が取り残されましたが無事救出されたようです。

台湾の1日も早い復興をお祈りしております。

 さて地震の際の台湾政府の素早い対応に感心しました。

・その夜すぐに小学校(?)の体育館に個人別のテント村が出現!!

・避難場所になった場所にボランテイアはじめ緊急物資(水、缶詰め各種、衛生用品等)が運び込まれました。

・緊急連絡用電話(勿論無料)が多数設置されました。

・温かい食事や簡易なお風呂、マッサージ、指圧等日本では考えられないスピードで避難所に準備完了。

テレビによると普段からの訓練の成果とお話されておりましたが、日本も見習う必要があると感じました。

亡くなった人も少なく政府の本気度が感じられました、一方日本はどうかと言うと・・・・・・

 

 さて昨年11月、長男が住んでいる台北に、初めて行きました。

以下台湾レポートですが、生来のズボラさと1月の脳内出血等の為報告が遅れました。

台北独特の街の匂いが、今でも懐かしく思いだされます。

下記台北市内で気が付いた点を報告します。

①エレベーターは右側通行で左側は空けておき、急ぐ人は左を走ります。

 札幌とは逆ですが、台北市民は皆さん慣れており非常にスムースです。

②台北市内の信号すべてに残り時間の表示があり、札幌のように信号が変わる直前のような点滅はありません。

 残り時間が、秒で分かりますので札幌よりはるかに便利、無理な横断はほとんどありませんでした。

③若い世代はとにかく親切、公共交通機関でもお年寄りに席を譲る態度など札幌より反応早かった。

④噂のオートバイの多さ! は見ものでした。台湾に12年暮らしている長男から「信号渡るとき信号無視してくるバイクに

 注意」と事前にアドバイスありましたが、信号無視のバイクは殆どなく整然としていました。

 信号待ちの時もバイクと車のすみ分けが見事、大きな信号のあるところで見とれてました。

⑤朝ごはんを家庭で作る習慣がほとんどなく、早朝からお店の前のテーブルとイスはほぼ満員、ほとんど2~3百円で済みます。

 ボリュームもあり一日屋台で食事を賄えば、一日3食1000円程度でOKです。

 ただ日本食の味に慣れた人には少々濃く、日本人は納豆が懐かしくなります。

 長男もたまの帰国時では、納豆、豆腐が三度三度の食事には欠かせません。

⑥気候は亜熱帯で過ごしやすく私の体質にはピッタリ!

 長男が住んでいることもあり、台湾から日本に帰るのが残念でした。

  ズーッと台湾に住んでいたいと思ったが長男に迷惑・・・・・

⑦街の景観は新旧の建物が微妙に調和しているように思え、台北のどこを散歩してもそれなりに雰囲気があり

 同じような商業ビルばかりの札幌とはちがいます。

 あちこちに日本が統治していたころの建物を博物館などに利用しており、散歩していても飽きません。

 特に台北動物園に行くときに感じた自然の地形を生かした線路の設置など快適でした。

 多分戦争で街を爆撃されなかったのが幸いしたのかも。

 それと無理に既存の建物を壊したり、道路を作ったりしなかったのも良かったのかしら。

⑧長男の経験からですが、医療費が日本に比べて安くしかも医者のレベルも高く安心していられるとの事。

 長男は歯医者と親譲りのギックリ腰等で救急車で搬送されたり時々台湾の医療機関にお世話になってます。

 

 言葉が全く分からなかった長男も今では殆ど不自由なく、北京語(?)を自由に操り仕事を楽しんでおります。

 新規オープンしてから4年前後、今では予約が取りにくい店(日本式焼き肉店)として台北で認知されています。

 平均客単価は8000~9000円前後、日本でいえば高級焼肉店になります。

 今年中に支店を出す計画らしいけど、上手くいってほしいなあ。

 あとは習近平が攻めてこないことを祈るばかり。

 

  台北は居心地がいい街で、大阪あたりから週末の度に、台北のセカンドハウスにくる方も多い由。

 札幌から直行便で約5時間、これから小金(?)が出来たら台湾に行こうと決めました。

 ただ小金が何時できるのやら・・・・・・

 

 今日はこれでお終い、又ね。

 (台湾、本当に私にとって居心地よかったですよ。いい街でした。)

 

 

 

 

 

 

 

 私が27歳の昭和50年4月、札幌グランドホテル宴会販売部配属になりました。

ホテル入社試験を受ける時、ホテルには客室しかないと思っていましたので全く予想外でした。

宴会販売部に師匠「俊ちゃん」が居ました。

俊ちゃんは当時31歳、係長でしたが販売実績が断トツ、実質上宴会販売部のボスでした。

 俊ちゃんが原生林(メインダイニング)で黒服の時、三井観光苫小牧ゴルフ場←(名前間違えてたらすまんです)の

会員権販売で実力を発揮、いつの間にか宴会販売部に異動したらしいことはグランドホテル館内の噂になってました。

 

 配属になって1週間経った頃だったと思います。

「おい、伊東、引継ぎするぞ」と待望の声掛けです。

 分厚いメモ用紙を手にいそいそとまだ無人の商談コーナーに行きました。

時間は朝8時30分頃、9時オープンの商談コーナーには誰も居ません。

引継ぎは3分(?)で終了しました。

 

〖1〗25過ぎの男の子は仕事は盗め!まさか誰かから教えてくれるなんて甘い考えではないよな!

〖2〗これからいろいろなコンプレインがあると思う。上司がお詫びに行ってくれるなんて考えるな。

   全て自分で解決しろ!

この2点をガツンと言われました。

 

営業部配属になって1週間、まだ販売部とは何ぞやの段階です。

 この2点はサラリーマン生活終了まで忘れたことはありません。

この教えを破ったことは(お詫びに上司が同席した)2回あります。

グランドホテルで1回、京王プラザで1回計2回です。

1)グランドホテルの実例⇒北海道電気協会昼食会40名椅子用意忘れ事件。

  ⇒私のペアの予約担当者の勘違いが原因、最初に会議400名、会議の後の懇親会出席400名に対し

   盛り込み料理で数ものなくし、全部大皿に1卓9名分を用意することで幹事様と合意済。

  ⇒会場で椅子40人分足りず立ち往生、宴会サービスの長が気を利かして40人を4階和食堂に案内

   好きなメニューを召し上がっていただくことでその場は一件落着。

  ⇒宴会終了後一人で電気協会にお詫びに行こうとした私に対し、宴会サービスの責任者が、

   「お前を一人でお詫びに行かせたら、ホテルが笑われる。一人でいい恰好するな!」と一喝!されました。

2)京王プラザホテルでの実例⇒婚礼ビデオ手配漏れ事件

  ⇒婚礼の挙式ビデオ撮り忘れ事件が勃発。

  ⇒もう一度挙式をやり直す訳にもいかず新郎宅(札幌市豊平区)と新婦宅(日高管内平取町)にお詫び訪問。

  ⇒宴会部長と写真室の責任者が伊東と共にお詫びに訪問、最後に新郎母に、

   「伊東さんは悪くないのに嫌なお詫びに率先して来るなんて、営業マンって大変ね」とのお言葉いただく。

    この新郎母のお言葉で伊東はすべて解決しました。分かってくれる人は分かってくれてますね。

 

  ここで「俊ちゃん」の輪郭を記します。

俊ちゃんは炭鉱町歌志内の出身、若い頃から相当やんちゃだったようです。

高校生の時、地元の危ないグループ(893関係者)と揉め、空気銃で相手を追い廻したらしい。

やがて高校に居れなくなり、札幌西高の夜学に転向したが働いていたグランドホテルの仕事が面白くなり自主退学(?)

従って俊ちゃんの最終学歴は中学校卒業です。

しかし無類の読書家でグランドホテルの向いにあった浪花書房によく行ってました。

 私は大卒採用でホテルの現場を3~4年経験した後、三井観光開発㈱(当時)の東京日本橋本店に勤務予定でした。

入社4年目に宴会販売部に配属にになり、どこが気に入られたのか俊ちゃんが総務に抵抗、伊東を販売部からの異動に反対、結果その後予想もしなかった販売一筋のホテルマン人生を歩むことになりました。

 

 良く酒もご一緒、出来たばかりの七番館ビル「クリフセブン」でまだ「タモリ」を名乗る前の森田一義さんに遭遇したり、ペドロ&カプリシャスの2代目ボーカル担当高橋真梨子さんとススキノ「ポイント・アフター」(確かこんな名前のお店でした)で一緒にお酒飲んだり、様々な芸能人とご一緒する機会がありました。

 作曲家平尾昌晃さんとも親しく平尾事務所の秋の観楓会のアテンドも担当、日高ユートピア牧場から苫小牧ホテルニュー王子(一泊)までの案内役も務めました

平尾事務所には川地民雄さん(漢字間違えたらゴメンナサイ)はじめ往年の日活の映画俳優も沢山おり、団塊の世代の私には興奮を押さえられないメンバーがいました

又どこで人間関係を作ったのか分かりませんが、当時南2条西5丁目辺りにあった東映劇場の支配人とも仲が良く、時々映画の招待券を我々にも頂きました。

その関係で俳優の田宮二郎さん(後猟銃自殺)と山本陽子さん(令和5年没)がグランドに宿泊、山本陽子さんは田宮二郎さんを振って俊ちゃんとススキノに行ったこともありました。

 

 その後自分は何歳まで生きるのか予想になり、俊ちゃんは77~78歳でお迎えがくると言ってましたが4年前76歳で天上の彼方に逝ってしまいました。

 

 仕事も今ではパワハラになる無理難題を2件私に与えてくれました。

一つ目は三越展示会室料発生事件(拙稿ブログ 2023年11月 [交渉力]をご参照)ください。

二つ目は婚礼日程変更依頼事件です⇒詳細は永くなるので後日気が向いたときにでも。

 

今思えば当時販売部に異動して2年目の素人同然の私よりも適任者が沢山いたはず、何で私に行けと指示したのか理由を聞けずに終わりました

 その他細かいことは忘れましたが似たような宴会販売部全体の問題になった案件の事後処理にはよく指名されました。

 

やがて京王プラザホテル札幌が新築、当然のように私にも声がかかり宴会販売部の準責任者として移籍することになりました。

 

 仕事の事はさておき俊ちゃんとは年2~3回はお昼ごはんをご一緒したり夜のお付き合いも継続しておりました。

時が経ち俊ちゃんがグランドホテルで不当な人事異動で左遷されたときにも、

「お前の顔見たくなった」

と京王にお越しいただき、一緒にお酒飲んだこともありました。

 

俊ちゃんと私もそれぞれホテルを退職、二人共別々の道を選びましたがお付き合いは続いておりました。

俊ちゃんが体調崩して入院しているらしいことは人づてに聞いておりましたがある年の11月、グランドホテルOB会の幹事さんから、俊ちゃんがガンで亡くなったとお知らせを頂きました。

俊ちゃんは76歳と四ヶ月、本人の読み通りにはいきませんでしたが、自らの予想より1年前に亡くなってしまいました。

 あれから4年私も今年の2月で76歳になり、俊ちゃんが亡くなったと同じ年齢になりました。

いまでも俊ちゃんと過ごしたグランドホテルでの様々な想い出が、走馬灯のように頭をかけめぐります。

人によっては俊ちゃんを良く言わない人も沢山いますが、私にとっては得難い先輩でした。

お互い別々のホテルに勤めるようになってから、節目節目の何か出来事があった時よく会ってました。

私の人生にとって想い出深い、大切な先輩でした。

「俊ちゃん」=井上俊司さん ありがとうございました、俊ちゃんの事は一生忘れません。

あなたと同じ76歳になりましたが、この1月の脳内出血も奇跡的に軽傷で済んだようです。

もう少しこの世に居られるようですが・・・・・・

いつの日にか私もそちらに参ります。

天国酒場でもう少しお待ちくださいませ。

また楽しいお酒飲みましょう。

 

今日はこれでお終い、またね。

 

 

 今年1月中旬に異変がおきました。

①車のカギを手にして次どうしていいか分からなくなった。

 ⇒カギ穴が無い!

 ⇒本当に、車のカギをどこにどうしていいのか分からなくなったのです。

②携帯電話の扱いが分らなくなった。

 ⇒電話の受け答えが曖昧模糊、これも連れ合いが指導すぐ思いだしました。

③テレビのつけ方、消し方が分からなくなった。

 ⇒すぐ連れ合いが教えてくれたが異変を察知、直ちに病院を予約。

主にこの三点が症状として出ました。

 

 自分では大したことは無いと考えていましたが、連れ合いが異変を感じ病院へ直行しました。

札幌市中央区南1条西14丁目中村記念病院です。

みな様ご存じの脳神経科の専門病院で、頭のCT他色々検査した後先生曰く、

「今日はこのまますぐ入院してください」と一言。

自分では全くの予想外のお言葉。

でも写真を見せられ納得!

頭のCT写真で、血が頭の中で洩れていると説明され事の重大性を把握しました。

 

 それから約1週間、思えばアッと言う間でしたがただひたすら血圧を下げることに専念、

それまで110⇒170位だったのが1週間で80⇒150まで下がりました

先生曰く「高いほうが160切るまで下がったら退院して良し」とのご託宣でした。

あとは家近くの病院で定期検査に切り替えなさいとの事。

 

 2月末に中村記念病院で再検査の結果、その後脳内出血もなくあとは1年に1回程度の検診でOKということになりました。

現在血圧は、1日2回の測定で朝は75⇒135前後 夜は80⇒140程度になりました

とはいっても薬を飲んでいるので、全く正常値に戻ったわけでもありません。

 

 脳内出血の前までは、お医者さんの書いた本を何冊もよみ100⇒160前後で血圧は正常とかってに判断しておりました。

あと少しで右下半身に異常をきたすところでしたがギリギリセーフ、危なかったようです。

病院では1週間毎日、

①今日は何日ですか?

②ここは何という病院ですか?

③指はちゃんと動きますか?

の確認を毎食毎の3回させられました。

 

 現在は雪道につき歩くことが以前にも増してゆっくりになりました。

早く雪が溶けるのを今か今かと待っている状況です。

繰り返しですが、血圧は素人判断は危険という事実をいまさらながら思い知らされました。

 私も76歳になり無理は出来ないな、とつくづく実感、いつまでも若くはないんだという事実を再確認しました。

血圧も個人差があり最高血圧が160でも何ともない人がいれば、私のように脳内の血管が破れる人もいます。

今回私はラッキーだったのですが、あと数ミリ血が広がっていれば半身不随になっていたと思うとゾーッとします。

みな様におかれましても充分ご注意をしてくださいね。

出来ればお迎えくる寸前までピンピンコロリの状態でいたいと思いますが・・・・・

 

今回はこれでお終い、又ね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 世界各地に「街角ピアノ」があります。

空港、駅、街のビルの一隅、公園など設置場所は様々です。

札幌市役所1階ロビーにもピアノが置いてありますが、普段は警備員がいてガードロープで囲われ

触ることが出来ません。

何故?

傷むから?

ロビーが混雑すると不都合だから?

私にはよく理解できません。

少なくとも文化都市を目指すのであれば、自由に演奏できるようにするのが必要と思います。

調律などメンテナンスが必要であれば、市議会議員に支給されている議員活動費から捻出するか、

市長の給料から頂いてはどうでしょうか?

そんなに大金ではないと推察しますがその程度の裁量も出来ないのでしょうか?

 

 数年前に地下街の地下鉄大通り駅前に置かれていたと記憶しますが、1回きりで終わってしまったようです。

市内いたるところで音楽が流れている都市札幌。

市内いたるところに自由に弾けるピアノがある町札幌。

音楽がいっぱいの都市札幌。

勿論プロである必要は無し。

弾きたい人が自由に弾けるピアノがある街札幌。

音楽がいっぱいの都市札幌。

札幌こそ音楽都市にふさわしいと思いませんか?

夢のまた夢?

 

今日はこれでお終い、又ね。