京王プラザホテル札幌で60歳の定年まで働くつもりでおりましたが、辞めざるを得ない事情が発生しました。
その後のホテルマン生活の実態を報告します。
ご報告したように、2年間で200万円年収が減る通告を受けました。
理由は、定期採用者に比べて経験者採用者は給料が高すぎるという理由でした。
ちょうど娘と息子がそれぞれ大学と高校(共に私学)に進学することになり、授業料他でお金が忙しくなっていました。
そこでかねて誘われていたルネッサンスホテルにお世話になることを決めました。
ルネッサンスホテルは評判が悪く、あまり気乗りはしなかったのですが・・・・・
給料を考えると他に選択肢はありませんでした。
働いてみると評判が悪い原因がすぐに分かりました。
社員の一般常識、社会常識、人間性が欠けていることにビックリしたのです。
加えて総支配人が銀行出身でホテルは素人、自分の事しか考えない人でした。
部長職の人達もゴマをすることしか考えていなかったようです。
結局社員同士や幹部社員と一般社員の関係はバラバラ、修復不可能状態でした。
毎朝9時から部長職以上が集まる連絡会が、総支配人も出席して行われていました。
ですが8時半には私を除く全部長(確か部長職の人数は計6名だったっけ?忘れました)が
入れ替わり立ち代わり総支配人室に(ゴマ擦りに)行っていたのです。
私だけが総支配人にゴマを擦ってなかったのがしばらくして分かりました。
「昨日のゴルフ、天気がよくてよかったですね」
「スコアはいくつでした?」
「あのゴルフ場のレストランは○○が美味しかったのですが、召し上がりました?」等々
てな具合にお世辞の嵐だったようです。
部長職で朝総支配人室に行かない私を心配してくれる人もいましたが、気にしませんでした。
その結果入社1年経った時、人事案(課長職2名の配置転換案)を持って総支配人に説明に行きましたが、見事に無視されました。
却下の理由ははっきりとは分かりませんでしたが、ゴマ擦りにいかなかった私を快く思わなかったようです。
それと私の異動提案2名の課長職が、しっかりと総支配人にゴマを擦っていたようです。
それからしばらくしてルネッサンスホテル(現プレミアホテルーTSUBAKIー札幌)を辞めました。
でも冷静に考えると、私の人間としての狭量さと、人として度量がなさすぎたのにも責任があると考えます。
結局私には、人をまとめるだけの力が欠けていたのでしょうね。
ルネッサンスホテルを辞めてしばらく就職浪人の予定でしたが、一月も経たないうちにホテルノースシテイのT総支配人から
電話をいただきました。
T総支配人からお電話を頂く半年位前に、人を介してお目にかかっていたことがありました。
永年の習慣で初めてお会いした方には全てサンキューレターを出していました。
サンキューレターとは初めてお会いした方全員に、
「この度はご挨拶させていただき誠にありがとうございました。」
と葉書にて簡単な礼状を出していたのです。
ノースシテイのT総支配人は、私からのサンキューレターを受け取り、
「こういったことをノースシテイの内部、特に営業マンに広めて欲しい」と考えていたのです。
それでルネッサンスホテルを辞めていた私に連絡をいただきました。
最初は1ヶ月20万円の臨時職員で雇われましたが、あまりにも収入が少ないと考えてくださったようです。
それで売上歩合制を導入していただき、結果月収40万円近くまで稼げるようになりました。
T総支配人は人間性にも優れ、考え方も常識があり素晴らしい人でしたが、早期退職の道を選ばれました。
彼が辞めてしばらくしてノースシテイの総務担当から、
「何で臨時職員に500万円近くも給料を払うのか?」
と職員から猛烈な抗議があったのです(内部の人間から聞きました)。
結果収入も200万円を超える減収になり居心地も悪くなりました。
私からみてもそんなに仕事が出来ると思わない女性職員が、年収450万円と聞き、ビックリしました。
やがてホテルを再建するのに、確か東京のグリーンハウス(?)とか言った会社にまかせたらしいのです。
そしてグリーンハウスハウスから送り込まれた人間を見て私はビックリしました。
ルネッサンスホテルで、私が課長職のレベルの仕事が出来ないと判断したスタッフだったのです!
それからしばらくして60歳を過ぎていた私は不要とされ、ノースシテイを辞めました。
ところでグリーンハウスの人事担当者も、採用したメンバーの調査をしたのかしら。
多分札幌のホテルにいたというだけで採用したのでしょうね。
グリーンハウスは採用する人間の信用調査をまったくしなかったようです。
札幌のホテル業界も甘く見られたもんですね。
ノースシテイの責任者も、私の履歴書をみて、どんな人物か聞いてくれたら違った展開になっていたのかも。
ま、済んだことです。
それからは小さなエージェントを始めましたが、コロナ以降目立って宴会が減り私も70歳を超えていたこともあり
年金生活に入りましたが、本当に年金って少ないですね。
せめて最低でもなんとか生活出来る位のお金くれないのかな。
いまでは連れ合いの稼ぎが頼みの綱、それがないと伊東くんちの家計はパンク状態です。
幸い子供達は親からの仕送りは不要、何とか生活しています。
今はパリの長女、台湾の長男に会いに行くのが楽しみですが、パリは遠すぎ、飛行機に15時間も無理。
昨年11月、16日間パリに行きましたが、もう2度と行くことはないと思います。
旅費その他伊東家の小銭迄すべて使い切りましたし、毎日パリ市内を歩きました。
コンコルド広場、凱旋門、マリーアントワネットがギロチン台に上る直前まで過ごした部屋等パリ市内を堪能しました。
ユネスコの社員食堂兼お客様の食堂から(7階)エッフェル塔を見ながら食事をしましたし、ルーブル美術館、オルセー美術館も
観ました。もう充分です。
一方台湾は飛行機で5時間弱、トイレも問題無し、2度行きましたが何度でも行きたいと思います。
あとは習近平が攻めてこないのを祈ってます。
78歳の現在、いちにち3時間のアルバイトが見つかり何とか生きております。
70歳過ぎてから、何社か就職試験を受けましたが悉く年齢でダメでした。
特に野幌の北海道開拓記念館は、面接段階では好感触でしたが、警備会社本社から70歳過ぎると健康面でいつどうなるか分からないので採用不可になりました。
国道12号線から啓成高校を経て記念館に至るまでの道路のゴミ拾いも業務に含まれておりました。
私の散歩コースでいつも道路に捨てられているジュースの空き瓶やペットボトルが気になっておりましたが・・・・・
私の飲み友達も相当数天国酒場に河岸を変えました。
天国酒場には親しかった仲間がたくさんいますので、連れ合いからは、いつ行ってもいいよ、と勧められて(?)います。
でも、私の事を忘れていたりして。
「あんた、誰?」
とは言わないと思うんだけどな。
ま、冗談はともかく残り少ないこの世の生活を楽しむとしますか。
いつものように、まとまりのない駄文になってしまいました。
スマンこってす。
じゃ、又ね。