売上増を実現する宴会セールステクニック

売上増を実現する宴会セールステクニック

小手先ではなく心構えからしっかり考える、目から鱗のホテルセールス実践論。当たり前だけど大切なことを、ご一緒に確認していきましょう!

  最後の宮大工西岡常一棟梁の著書「木のいのち木のこころ」を読んで以来、法隆寺に行きたくて行きたくて・・・

この度連れ合いを説得、夢が叶いました。

2月のある日、五重塔や金堂の周辺に佇み、飛鳥時代建立の1300年を経た木造建築の風格に圧倒されていました。

 西岡棟梁曰く、

「宮大工の技術の最高峰が法隆寺、未だに仕事に悩んだら法隆寺の前で佇むと何かしら思いつく」由。

又「我々の技術は飛鳥時代の宮大工にまだまだ及ばない」とのこと。

 

 五重塔の真下から見上げても

「1300年前、どうやって積み上げたんだろう」

と素人ながら1300年前の技術に言葉無し。

夢が叶いました。奈良の斑鳩の里、よかったですよ。

 

 宮大工の新人教育にも感心しました。

新人には棟梁の鉋屑(カンナ屑)が与えられ、

「これと同じ鉋屑を作りなさい」

との指示だけ。後は自習あるのみ。

勿論普通の鉋屑ではありません。

鉋屑が透き通っており、屑の向こう側の景色が見えるのであります。

合格する屑が出来るまで一所懸命努力しても2~3年掛かる由。

それには鉋の「刃を研ぐ」のが何よりも大切。

 

 工事事務所でひたすら刃を研ぎ、その日の仕事を終えた先輩職人の道具の手入をします。

 また翌日の作業内容を想定しながら、目的に合った適当な道具を用意、この作業を毎日ひたすら繰り返し。

やがて時々建設現場に行く機会が増え、先輩職人の仕事をじっくり観察するようになります。

そうすることによって自然に自分にも先輩職人の仕事が見様見真似で出来るようになるとのこと。

ある日突然西岡棟梁から建設現場の責任者に指名され、自分には無理と思いながらも何とかやり遂げられるようなるとの事。

 

 西岡棟梁が何より大切にしていることは、宮大工を目指す新人は先輩宮大工さんと共同生活が絶対必要。

毎日同じ空間でみんなで同じ食事を取り、同じ空間で寝泊まりすることにより理由は説明できないが宮大工に必要な化学変化が起きるとのこと。

 これって我々営業スタッフの新人教育ににも同じことが言えると思うんだけどみんなはどう思う?

「棟梁のカンナ屑」に匹敵する営業の教え方って思いつく?

私には思いつきませんでした。

 

 新人を教育する完璧なマニュアルなんかなくても、職場環境さえしっかりしていれば新人は育つんでない?

そのためにはリーダークラスの仕事振りと人間力が決定的に大切になると思うんだけどな。

もっともこれはオレの意見。違う考えの人沢山いて当然。

あんた新人君達からあこがれの眼差しで観られてる?人として一目置かれている?

上司にゴマするヒラメ社員になってないだろうね。

「上司が部下を理解するのに3年掛かるが、部下が上司を理解するには3日あれば充分」らしいよ。

 

 ま、新人育成論はともかく「奈良斑鳩の里法隆寺」良かった。

今度は秋、初冬にも法隆寺の前に佇みたいと心から思いました。

今回飛行機に乗ったのも何年振りかしら、やっぱり旅はいいね。

75歳の私には働いて旅費の足しは稼げないので、せめて病気になって家族に迷惑かけないようにするのが現実的かな。

ようやく雪も溶け歩きやすくなりました。

一日8000歩目指して徘徊開始です。(自分では颯爽と歩いているつもりですが、連れ合いに言わせると・・・・・)

 

今日はこれでお終い、又ね。

 

 支笏湖グランドホテル、今はもうありません。

国立公園内にあったホテルですが、多分政商萩原吉太郎の政治力が無ければ無理だったと思います。

萩原氏は当時北炭観光開発㈱の社長でしたが、自民党実力者の元総理中曾根康弘と仲良し子吉の間柄。

湖畔に建つ静かな落ち着いたホテルでした。

 

 札幌グランドホテルに配属になった昭和49年の春、当時人事課に勤務していました。

春先からアルバイトが手配出来ず、私がウエイター経験(原生林)があったので

ウエイターが手配出来るまで支笏湖グランドホテルに2週間程勤務しました。

 

下記実際の出来事です

1,支笏湖グランドホテルに到着した日の夕食、初めて食べる肉が出ました。

  不味かった記憶しかありません。

  「この肉何?」と私、

  「ここに来るときにウサギが車に衝突したんだ」

  と調理担当さん。

  以来ウサギの肉は食べたことありません。

  多分調理方法次第では美味しく頂けたんでしょうね。

  運が悪かったのかしら、残念!

2,ある日ゴミを捨てに行きました。

  ホテルから歩いて5~6分のゴミ捨て場に行く途中、初めての匂いを経験しました。

  支笏湖グランドホテルのアルバイト3年位先輩が、

 「すぐ戻ろう」と真顔で急いでホテルに帰りました。

 「熊の匂いだ!」

 ゴミ捨て場に忘れた頃現れるとのこと。

 生ゴミは捨てないようにしていましたが食材を包んだポリ袋等から匂いが発生したんでしょうね。

 私もビックリ! それ以来熊の匂いは経験無し(もう経験したくないです)

3、支笏湖グランドホテルに前年秋宿泊された一人の女性客、その夜入水自殺しました。

  勿論私はその事実を知りません。

  春オープンして若い二人連れが宿泊、チェックイン後散歩に行かれました。

  やがて散歩から帰館され、お泊りのルームからフロントに電話がありました。

 「ご親切にお風呂にお湯溜まってました。ありがとうございます。」

 フロント一同、ザワザワっとしました。

 誰もお風呂にお湯貯めてません!

 そのお部屋、前年入水自殺された若い女性が自殺前の僅かな時間お休みになっていたのです。

 何を考え自殺の決意を確認したのでしょうか?

 この世に名残は無かったのでしょうか?

 すぐお祓いをお願い、魂を鎮めて頂きました。

 

 以上ほぼ50年前の出来事です。

 みな様は信じられないと思われるでしょうが、全国のホテルではよくある出来事です。

 

 札幌グランドホテルでも自殺されたシングルルームに宿泊されたお客様、チェックアウトの時フロントに

「昨夜部屋の片隅に白い物が座っていたぞ。何かあったんだな」

 たまたまこのお客様霊感が強く動じない方だったので事なきを得ました。

 

  横綱輪島が現役の頃、札幌準本場所の時グランドホテルが常宿でした。

 ある晩お酒を飲んで帰館され、エレベーターで自室に向かわれました。

 翌朝輪島さんがフロントに、

「エレベーターの隅っこに婆さんが座っていたぞ。何かあったんだろう」の一言。

 前々日エレベーター内で年配の女性客が心臓疾患で亡くなった事実がありました。

 早速三吉神社からお祓いに駆けつけて頂き一件落着しました。

 

 ホテルっていろんなことがありますね。

 最後にフロントの知恵、意地悪?を報告します。

 前日予約なしで宿泊された女性客、チェックアウト時間に連絡なくフロントに現れません。

 フロントもベルのベテランもお部屋チェックに行きません。

 一番新しいベルスタッフを部屋点検に行かせます。

 もうお分かりですね。 

 忘れた頃に部屋で自殺していることがあるのです。

 そうとは知らず、新人ベルスタッフはマスターキーでお部屋に入ります。

 運が悪いと、

 「ギャー!!」

 本当に腰抜かすそうです。(私はその現場に会わないで済みました)

 睡眠薬か、もしくは浴衣のひもをバスルームのドアノブにかけ、体がL字になっている場合が大半だそうです。

 でもホテルって給料安かったけど楽しい職場でした。

 

 今日はこれでお終い、又ね。

 
 

 

 

 来月2月早々75歳、後期高齢者の新入生になります。

気持ちも新たに講師を手配される担当者様に挨拶文を作りました。

 

 

各種講師手配ご担当者様

 

 ホテルマン生活43年、たくさんの”気づき”がありました。

私の具体的失敗例19件を中心に、業種に関係なく営業職全般に

関係すると思われる考え方をお伝えします。

 

・営業現場の具体例を聞きたい。

・既存の研修会社とは違う角度からの講義を聞いてみたい。

・座学だけで学んだ講師ではなく、現場経験豊富な講師に興味がある。

 等変化を求める勉強会には、講師適任者の一人と考えます。

 

 但し難しい営業理論をご希望される方には向いてません。

その一方、具体例が多く分かりやすいとの一定の評価もございました。

 

 私は現在75歳、元気に動けるうちに職種は問わず営業職の後輩に

少しでも参考になってくれれば、と思うようになりました。

興味のある方が5名様前後お集まりいただければお声掛けください。

 

 伊東がいかなる経験を積んできたのかは、2016年10月に出版した

「ホテル営業マンのセールス60ヵ条」をご参照くださいませ。

尚上記拙著が2021年秋電子書籍になりました。

 ⇒「トップセールスになるための極意63」 井上涼(ペンネーム)

  講師選考の際、参考にしていただけると幸いです。

 

 拙著をお読みになられた道新経済部記者様からは、営業職にとどまらず

内勤スタッフにも社会常識の参考になるので薦めているとの望外な

感想も頂きました。

併せて道新経済面の”朝採りぷらす”欄にも掲載していただきました。

 

※講師に指名した結果、全くお役にたたなければ講師料は頂きません。

 ご検討方々よろしくお願い申し上げます。

 

    □ 札幌のホテル業界の語り部 (昭和47年ホテルマンスタート)

    □ 結果を出せるセールススタッフ養成塾

 

       塾頭 伊東 康博      携帯  090-6263-0262

                     メール yasuhiro-ito@jcom.home.ne.jp

 

 上記のような自己PR文を、受講生が眠たくならず又翌日からすぐ役に立つ講師を

お探しの担当者様にご案内しようと考えてます。

 

 さてこの4~5年、ホテルや高校同期の仲間がどんどん天国への片道切符の旅にでました。

雲の上の酒場に親しい連中がたくさん集まっています。

「そろそろ伊東呼べ!」と騒いでいるかもしれません。

いつ招集されるのか、案外近いのかそれとも遠いのか分かりません。

そんな現実もあり、出来るだけ後輩に直接伝えたいと考えるようになりました。

 

 拙文をお読みいただき、こういった表現を入れたほうがいいよ、といったアドバイス等がございましたら

直接またはメールで頂ければ嬉しゅうございます。

当方貧しい年金くらしです。謝礼等はご容赦下さいまし。

 

今年も残りあと11ヵ月、お正月の準備もそろそろ・・・・・・・・

 

今回はこれにて終了、又ね。

 

 ホテルスタッフのみな様、年賀状沢山書きましたか?沢山きましたか?

今はメールが主流、手書き年賀状を廃止しているホテルが増え続けているとのこと。

経費節減らしいのですが、他に削る経費あると思いませんか?

確かにメールは便利ですが、手書き年賀状の役割は本当に終わったのでしょうか?

私はそうは考えたくないのですが、やっぱり時代遅れ?

 

と言う訳で今回はすたれつつある年賀状についてです。

私が営業現役(昭和50年~平成の)の頃、年賀状全盛期でした。

その頃はメールの登場など予想だにしていませんでした。

年賀状について私が考えていたことを報告します。

1,名刺の整理を兼ねて枚数は300枚前後出していました。

  一度に書くのは大変でしたので、12月にはいってから1日10~20枚を目標に書いてました。

  勿論住所、宛先から全て全部「手書き」です。

  頂いた年賀状も全て印刷であれば10秒後にはゴミ箱へ。

2,遠い順番から書いてました、まず本州からで札幌市内は後回しでした。

  市内のお客様には年明け早々にお伺い、「年賀状の代わりに本人が来ました」とごまかしていました。

3,翌2~3月までの会合で本当は年内に確認しなければならない案件について、

  「年明けに3月恒例の案件についてご挨拶がてら伺います」

  のような要領で、訪問しやすいように年賀状でゴマすってました。(姑息なやり方ですね。自分がイヤになります。)

  小心な私にはこうすることで訪問しやすいように考えていたのです。(健気な心と思いませんか?)

  ⇒この項はメールでもできますね。

4,年賀状を出した結果2~3月の歓送迎会を何件かゲット。年賀状をみて、伊東を思い出して下さった由。

  正確には憶えておりませんが5件前後だったように記憶しております。

  ⇒この客様の反応はメールよりもあなたからの年賀状が効果ありと思います。

 

  何はともあれ現在はメール等便利なツールがありますので、随分と楽になったことと思います。

  ですが「手書き」の良さも忘れないでね。⇐俺ってヤッパリ時代遅れかしら。

 

   この人はメール、この人は気持ちを込めての丁寧な「手書き」、のどちらをえらぶかで,あなたの営業センスが試されているとお考え下さいまし。

  要はどの方法が相手にあなたの気持ちが伝わるのかを考えませんか?という提案です。

  正月早々説教口調でスンマセンです。

  あなたの思い、相手に届いてますか?

 

  今年も駄文をお届けします。私の気分転換にお付き合いいただければ嬉しゅうござる。

   

  今日はこれでお終い、又ね。

 

 

 現在74歳、年金以外に収入は無し。

連れ合いが小金を稼いでいるので何とか暮らしてます。

何もなければこのまま静かに暮らせると思っていたのですが、お金がかかる事情が発生。

 我が家の二人の子供は海外生活、それぞれの国で永住権取得。

「歩けるうちに遊びにきたら」ということになったのです。

そこで月3万~5万くらいあれば、来年秋には子供達に会いに行けると思いアルバイトに応募しましたが3戦全敗。

求人の条件に年齢不問とあったが全部嘘。

断られた理由が、

「本当は60代希望で、伊東さんは年明けすぐ75歳、人事から出来るだけ60代を採用するように言われている」

ので今回はご縁が無かったということで了解してください、だと!!

なら最初から年齢不問と書くな!!

なかでも北海道開拓記念館とその周辺の清掃業務には魅力あったのですが残念!

特に国道12号線から啓成高校の前を通って開拓記念館に着くまでのゴミ拾いはやりたかった。

この辺りは私の気に入った散歩道。

毎回道路上の空き缶やマスク、サンドウィッチの包み紙など綺麗にしたくてウズウズしておりました。

 

年齢制限有とか男性のみあるいは女性のみ応募可などの表現は法律違反なのは皆さま承知の事実。

アルバイト募集には制限は一切ありません、という建前上書かざるを得ないんでしょうな。

ということで3件とも落選、子供達を訪ねることはしばらく延期。

 

 タラレバですがコロナがなければホテル・居酒屋にお客様を紹介する斡旋手数料で旅費は稼げた筈。

もうひとつの収入が期待できる(?)講師業も、コロナ発生した約2年半前から全て中止。

この際時間もあるので講演内容を大幅に変更。

誰も他人の成功例なんか聞きたくないと勝手に判断、ならば自身の失敗例を教材にと思い立ちました。

「この失敗の原因は・・・・・」「あの失敗の原因は・・・・・」等々。

改めて思い返してみると、時々大きな失敗していたことに気が付きました。

よくもまあ乗り越えてきたもんだと自分でも感心した次第。

巷にあふれている「こうしたら上手くいった」等の成功談の羅列よりも数々の失敗談のほうが営業職の方々には参考になるのでは、と考えたのですが・・・・・

もっとも拙著を記事にしていただいた道新経済部記者氏によれば、社会常識のレベルアップも仕事以上に大切だよ、との内容に

「営業マンだけでなく、内勤担当者にも読ませたい」

と望外のお褒めの言葉も頂きました。

 

興味あるかたは拙著が電子書籍になりましたので暇潰しにいかがですか?

本のタイトル 「トップセールスになるための極意63」 ペンネーム井上涼。

 

そこで反応知りたいと思い札幌市内シティホテル営業責任者に、

「講演代要らない。現役営業マンの反応知りたいので一時間時間下さい」

とお願いしたが反応無し。

宴会場のあるホテル営業担当者には絶対参考になること間違い無しと自信があるのですが・・・・・

と言う訳で来年も地道にアルバイト情報誌が愛読書になりそうです、なんてこったい!

 

今年も拙稿お読みいただき感謝、みんなも良い年迎えてね、じゃ又来年。