売上増を実現する宴会セールステクニック

売上増を実現する宴会セールステクニック

小手先ではなく心構えからしっかり考える、目から鱗のホテルセールス実践論。当たり前だけど大切なことを、ご一緒に確認していきましょう!

 NHKのテレビで、私には理解し難い変な(と思われる)日本語を使っている場面に時々遭遇します。

①NHKのアナウンサーがテレビカメラで取材していいか、否かを求める場面で、

 「カメラって大丈夫ですか?」

これおかしくない?

「カメラって」の表現、私はおかしな日本語に感じるのですが私だけ?

②NHKのアナウンサーが

 「NHKのものなんですが?」

これっておかしくない?

「NHKのもの」って表現、おかしいと思うのですが私だけ?

まるで「オレは○○組のもんだ」みたいに感じます。

ちゃんと姓名を名乗れよ!

もし本名が後で問題になるならそこだけ偽名を使ったら?

どう考えても「NHK のもの」という表現はおかしいと感じる私が変?

③最近のNHKは簡単なミスが多い。

 「さきほどのテロップに間違いがありました。お詫びして訂正させていただきます」

 「さきほど雨の量を20センチとお伝えいたしましたが20ミリの間違いでした」

これはついこないだのテロップ訂正例、この類の間違い訂正が多すぎ!

後方部隊の注意力がないのか、社会常識が欠如しているのか不明。

とにかくテレビで、

「先ほどの記事の中で誤りがありましたのでお詫びして訂正させていただきます」

の件数が多すぎ!

④タレントを使う必要がないと思われる場面で、とにかくタレントを使い過ぎ。

 NHKのアナウンサーで十分なのに経費のムダ遣いが目に余る。

 それと法外な出演料が払われているらしい情報が時々出る。

 30分も出演時間がないのに何百万も払う場合があるらしい。

 もっともこれは噂であって真実は不明。

 

  あとNHKの日曜日の大河ドラマの主題曲演奏で外国のオーケストラなんか使う必要あるの?

 日本のレベルはそんなに低いの?

 加えてNHK職員の給料は高過ぎと思います。

 そこを是正しないで、一所懸命受信料収めましょうのアピールはいかがなものか。

 

以上私独自の見解です。

勿論反対の方がおられるのは当然のこと。

それはそれ、これはこれです。

私自身が気になっていることを列挙しました。

やっぱり私の一人合点?

 

じゃ、又ね。

 

 

 

  ”落としの八兵衛”の刑事平塚八兵衛さんの伝記のなかに、

「あしたの段取りもしねぇで、(捜査)本部へ出てから今日はどこを当たろうって考えるようじゃ、デカじゃねえよ」

との心構えを読んで思わずヒザを打ちました。

 

 ホテル営業現役時代、毎週金曜日の夕方、次週訪問計画表を作成してました。

この訪問計画表の出来次第で、結果が出る確率が高くなることを感じていました。

売上増のためには欠かせない業務になります。

訪問計画表の作成は、メチャクチャ大切です。

その為には当然訪問先一覧表がないと、能率よく計画が立てられません。

「ついでにあそこに寄ればよかった、ここに寄ればよかった」等の後悔が少なくなります。

 

 常に訪問先の優先順位を意識し、出来るだけ訪問件数を多くしてくださいね。

これが出来るとあなたの営業の成績は、一段とレベルアップします。

私がコンスタントに営業成績を挙げられたのも訪問計画表の賜物と考えてます。

 

 一方営業成績が良くない営業マンの口癖は「今日どこいこうかな?」という態度でした。

次週以降どこに行こうか全然考えていないのです。

このタイプの営業スタッフは、年度計画達成にほど遠いのは間違いありません。

 

結果を出した営業スタッフの共通点は、この「次週訪問計画表」をしっかり作っていました。

 

 さて昭和38年村越吉展ちゃんの誘拐事件を覚えている方は少なくなったと思われます。

「落としの八兵衛」の刑事平塚八兵衛の伝記を読んでいて業種は違いますが、

「あしたの段取りを考えないで帰る刑事はホシ(犯人)を逮捕する確率は非常に少ない」

と語っています。

どうですか?

次週訪問計画表の作成の大切さに通ずると思いませんか?

仕事の種類は全く違いますが私には深く共通するように思えたのですが、あなたはいかがですか?

 

ご参考までに 「刑事一代 平塚八兵衛の昭和事件史」 新潮文庫 佐々木嘉信著 をお読みくださいませ。

業種は違えども、明日どういう行動をするのかを常に考える大切さに気が付いている人がいたのです!

皆様におかれましても、周りをよく観察してみることをお勧めします。

業種に関係なく勉強になる方々が潜んでいるかも・・・・

今日はこれまで、又ね。

 

 身長174・7センチ 体重65㎏ 足27センチ ⇒ 高校2年生の私です。

高校生の頃札幌市内の駅前通りを歩いていて2度大相撲のスカウトマンに誘われました。

当時は夏下駄で過ごしていました。

当時のスカウトマンは足の大きさを真っ先にチェックするそうです。

それが大相撲のスカウトマンに声をかけられたキッカケになりました。

長い間何故私が誘われたのか、お客様に誘われて時津風部屋訪問したことで判明しました。

以下その顛末のご報告です。

 

 ホテルで営業マン生活6年目30歳の頃、お客様に誘われて昼ご飯を食べに行きました。

お客様曰く、

「時津風部屋に知り合いがいる。ちゃんこ食べに行こう。」

場所は中島スポーツセンターです。

今は東区の”つどーむ”に移りましたが、当時大相撲準本場所が中島スポーツセンターで行われていました。

 

 まずはビールからスタートです。

アルミのどんぶりに並々とビールを若い衆が注いでくれました

少しでもどんぶりのビールが減ると、若い衆がすぐビールを注いでくれます。

最初は遠慮して(勤務中だったので)少ししか飲みませんでしたがやがて

「遠慮は場にそぐわないな」と自分に都合よく考えガッツリ飲みだしました。

 

 昼食のメンバーは私と誘ってくれたお客様、そして関脇(確か)の蔵間関と北葉山親方が一緒でした。

北葉山親方は室蘭出身、沖中士で体を鍛えた身長175センチ前後の小柄な相撲取りでした。

横綱大鵬と同じ時代に活躍した名大関でした。

(余談ですが私が高校2年の時、伊東家にもついにテレビが来ました!

その時の最初の画面に出ていたのが大相撲の大鵬VS北葉山でした)

 以下私が高校時代大相撲にスカウトされた件につき北葉山親方の見解をまとめました。

以下その要旨です。

・昭和40年頃の身長174センチは、大相撲に入ってもおかしくない身長であったこと。

・私が髷(まげ)を結ったら身長は177センチになり、当時北の富士と同時に大関を張った玉乃島(後の横綱玉乃海?)と同じ体格になること。

・私の腕が長く四つ相撲向きであること。

・足の大きさ27センチは、体重140㎏位までは体が太ることがほぼ間違いなしであること。

・私が伊東家の長男ではなく3番目の子供であったこと。

・子沢山の末っ子が骨太で相撲取りに向いていること。

等が北葉山親方の見解でした。

 

 さて食事中に料理の周りにハエが飛び回っていたことを蔵間関が若い衆に叱ると、北葉山親方が

「蔵間、料理がうまそうだからハエがくるんだ。若い衆を叱るな!」

と蔵間関をたしなめたのが印象に残っています。

 メインはチャンコ鍋でしたが、おかずで出たウニにはたまげました。

なんとマッチ箱くらいの大きさでした。

ウニは塩気が多いのでご飯が進みます。

これじゃ太るな、と納得しました。

 

 食事の前に土俵を見ましたが、力士が立ち合いでぶつかる時の迫力と、頭と頭が衝突するときの衝撃音にビックリ。

テレビで見る大相撲中継とは違う”生”の迫力を充分に感じました。

あの頭の衝突の音を聞いていてつくづく思いました。

「大相撲に行かなくてよかったな。入門してすぐの又裂きの痛さ、ぶつかり稽古の頭の痛さ等私には絶対無理!」

私の正直な感想です。 

 

 余談ですが、札幌グランドホテルでベルボーイの頃、高見山のルームサービスに行ったことがあります。

シングルルームのドアを開けるともう一枚ドアがありました。

⇒実は高見山の首から下が「もう一枚のドア」の正体でした

あんな巨体に勝てる訳なんかないと実感!

絶対勝ち負けは関取同士で話し合っていると、勝手に予想していました。(あくまでも私の想像です。信じないでね。)

 蔵間関は現役を引退し若くして亡くなりました。合掌!

 

 

 

 

 

 

 

 ● 年に一度プロ野球12球団が札幌に来ます。

選手たちも楽しみにしている北海道シリーズらしいですよ。

早く試合終わらせて、夜のススキノが楽しみな選手がたくさんいるんだって。

きっと馴染みの女性がいる飲み屋さんにいくのが楽しみだったんでしょうね。

 

 さてもう50年以上前のことです。

間違っているかもしれませんが、記憶を確かめながら以下書き進めます。

作詞家斎藤保さん(中の島ブルース)は熱烈な阪神タイガースファンでした。

彼の紹介で阪神タイガースの歓迎会が札幌グランドホテルでで開催されました。

昭和56年7月だったかなぁー(記憶はうろ覚えです)

明日の試合を控えて、レギュラー選手の殆どは歓迎会終了後自室に引き上げました。

二次会に行ったのは、のち監督になる中村コーチ、現役選手の遠井吾郎選手等計5~6名でした。

確か斎藤保さん経営のスナックに到着、飲み始めて暫くしてから遠井選手が私に、

「将来ののレギュラーが一人来ている」と教えてくれました。

その彼は前年の秋、阪神タイガースの練習に有望選手として招かれた高校3年生でした。

千葉県習志野高校です。

バッティングセンスが抜群で、二軍の有力投手を苦も無く打っていたそうです。

特に右中間、左中間へ見事な打球を打つ、左バッターで高校生離れしていたとのこと。

近い将来三塁のポジションを取るだろうと、一軍のレギュラー選手間の予想でした。

「名前はカケフというんだ」

まだ高校生の体格で可愛い顔した初々しい少年でした。

それから間もなく3塁のレギュラー佐野選手(?)がケガで休んだ後、カケフ選手がレギュラーの座を奪い取りました。

 

伝聞証拠①

 掛布選手は夜タニマチに招かれても必ず途中1時間位中座します。

そしてバットスイングを必ずすることがやがて分かりました。

この習慣は現役時代には1日も欠かさなかったとのこと。

やはり見えないところで努力していたんですね。

 

伝聞証拠②

 バットスイングの速さは球界NO1の評価でした。

当時巨人のON(王選手、長嶋選手)の全盛期です。

大洋ホエールズの福島捕手が証言していますが、一流投手のストレートは0・4秒余で捕手まで到達します。

投手が投げて本塁まで半分位まで来ると、ON といえどもどうにもならないとのこと。

ところが福島捕手によると、掛布選手だけは半分まで来た一軍の投手のストレートを苦も無く打ち返したそうです。

バットの素振りの音が ブーン→ビュン→ビシ に変わっていったらしいです。

確か掛布選手は180センチに満たない身長でしたが、弛みない努力の積み重ねで超一流選手になりました。

やはり見えないところで努力していたんだね。

以上がたった1回2時間位お会いした掛布選手の想い出でした。

交わした会話はほとんど無し。

無口な好青年でした。

 

次は大相撲の想い出です。

蔵間という関脇いたの覚えてる?

一緒にチャンコ鍋囲みました。

確か時津風部屋だったっけ?

 

じゃ、又ね。

 

 

 ホテル時代の数々の想い出を記します。

売上に関係がなかったけれど、印象に残っている出来事はたくさんありました。

以前ブログでアップした事柄もありますが、ホテル時代の総括です。

読者諸兄にはお許しをお願いします。

自慢っぽくなる表現が時々出てきますがご容赦くださいまし。

 

● 将棋タイトル戦を京王プラザホテル札幌に誘致。

 今将棋の様々なタイトル戦が、京王プラザホテル札幌で開催されています。

京王の22階に和室があり、将棋好きの私には是非タイトル戦を開催してほしいと考えました。

そこで当時の北海道将棋連盟のS理事長にお越しいただき、和室の客室を見ていただきました。

 加藤一二三先生(故人)が会場設営にあたり、厳しいご指摘があることを何かで読んでましたので、

照明の均等性、両対局者の外の景色の見え方等チェック項目は多岐にわたりました。

そこでS理事長(当時)にいろいろアドバイスをいただき、タイトル戦の開催可能ホテルになりました。

 

 やがて将棋の名人戦「羽生名人VS米長九段」が、北海道将棋連盟の推薦もあり実現しました。

プラザホール(当時はインドアプラザ)で大盤解説も実施、将棋ファンにも大変喜ばれました。

米長九段が唯一勝利した戦いでした。

双方とも居玉で戦い、米長九段が70手に満たない手数で勝利を収め、名棋譜になりました。

我々素人にはまだ中盤戦にしか見えなかったのですが、プロには違ったように見えたようです。

現在も女流名人戦を始め、数々のタイトル戦が行われているようです。

新聞でタイトル戦の記事を見る度に、和室の情景が思いだされます。

 

 ついでに個人的な事ですが、私が米長九段に叱られた(?)想い出を報告します。

当時JT日本シリーズも私が担当しておりました。

そのレセプションが京王プラザホテル札幌で行われていました。

 開戦の前夜両対局者を始め日本たばこ、道新、扱いエージェント(確か第一広告社)、京王プラザホテルのイベント担当者(伊東)等で立食パーテイが行われていました。

 それぞれの会社から1名ずつ挨拶があり、ホテル代表として私伊東もご挨拶させていただきました。

緊張のあまり何を話したのか記憶にありませんが、スピーチ終了後米長九段に、

「スピーチ短くでポイントを押さえておりよかったよ」

とお褒めの言葉を頂戴しました。

私は「全然自信がないです。思っていることの半分もしゃべれなかったです」と申し上げました

すると米長九段は、少しムッとした声で、

「あなたは素直でないな。私が初対面のあなたにお世辞を言う訳はないでしょ。あなたにお世辞をいって私の棋力があがるわけでもないし、初対面のあなたにおべんしゃらを言って私に何のメリットがあるんですか!もっと素直に喜びなさい!」

とダメ出しを食らいました。

確かにその通りです。私も素直に反省しました。

「米長先生ごめんなさい先生に褒められうれしかったです」

今になって思えば私が間違ってました。

あの時の米長先生の表情等今でもなつかしく思い出します。

米長先生ありがとうございました。

 以上将棋タイトル戦にまつわる思い出を報告させていただきました。

次は「掛布選手」と一緒にお酒を飲んだ想い出話です。

じゃ、又ね。