相撲取り | 売上増を実現する宴会セールステクニック

売上増を実現する宴会セールステクニック

小手先ではなく心構えからしっかり考える、目から鱗のホテルセールス実践論。当たり前だけど大切なことを、ご一緒に確認していきましょう!

 大関琴の若が改名、祖父の四股名”琴桜”を襲名しました。

この記事を読んだ時、ふとホテルに勤めていた時に何人かの関取と言葉を交わしたのを思い出しました。

以下思いつくままに関取の想い出を記します。

今の若い人には聞いたことのない関取ばかりでしょうな。

筆者は昭和23年生まれの後期高齢者76歳、皆様の祖父祖母と同じ年代だと思います。

 

ホテルマン時代、朝は午前9時半には営業に出かけ、昼にいったんホテルに戻り、その後営業午後の部をスタート

夜は5時頃ホテルに戻り日報書き、当日宴会のアテンドしたり館内各セクションに根回ししたりで

お客様にご挨拶する暇は殆どありませんでした。

そんな毎日でも何人かの関取にお会いできたのもすべてお客様のおかげです。

以下思いつくままに関取の想い出を報告します。

 

「先代琴桜(元横綱)」

昭和55年札幌グランドホテルフロントに勤務していた時に、先代琴桜さんが宿泊されました。

当時は佐渡ケ嶽部屋の親方で、総責任者です。

彼が北海道に新弟子スカウト行脚に来ました。

東京に戻る時、新弟子候補者を書いたノートをルームに忘れたのであります。

親方に電話した後ノートを送りました。

親方からは礼状と高価な扇子を送っていただきました。

 チェックインのときの親方の精悍な表情はまだ覚えております。

親方が高校生の時体育大会の最終競技、棒倒しで親方が大将として登場、相手方がその精悍な態度に逃げだしたと

テレビで見てました。

確か柔道部の主将で、ニックネームは猛牛だったかな、このあたりうろ覚えです。

 

「高見山(ジェシー)ハワイ出身」

ルームサービスで高見山のルームに朝食をお届けに伺いました。

シングルルームでドアを開けてもらった時、もう一枚ドアがあったような錯覚にとらわれました。

もう一枚のドアの正体は、高見山の首から下だったのです。

いやもーその大きさにビックリ!

こんな相撲取りに勝てる訳ないと瞬間的に感じました。

根拠がないのですが、日本人相撲取りが外国出身力士に勝つのは八百長以外に考えられないと思いましたね。

ところが今の日本人相撲取りは大きくなり、190センチ180キロ超える日本人がゴロゴロいます。

 この時気が付いたのですが高見山は床に毛布1枚敷いて寝ていました。

(相撲取りの多くは床に毛布一枚敷いて寝てました。当時のベッドは柔らかすぎだったようです)

 

「大鵬親方」

大鵬親方が宿泊されるときは、必ず札幌グランドホテルの和室でした。

ルームに布団敷にいくとボーイ一人一人にチップ1000円くれました。

(昭和47年頃の事です。結構大きかったですよ、ススキノスナックのチャージが500円でした)

 

「元大関北葉山、元関脇蔵間」

昭和50年、札幌準本場所が中島公園で行われていた頃、タニマチのお客様に誘われ、元大関北葉山のいる二所ノ関部屋(間違ってたらゴメン)に昼ごはんを頂きに行きました。

北葉山親方と関脇(?)蔵間関(若くして亡くなりました)とご一緒でした。

若い衆が私の真後ろに立ちビールを注いで呉れました。

アルミのどんぶりに並々と注いで呉れ、少しでも減るとすぐアルミどんぶりが一杯になるまで追加で注いで呉れました。

あたしゃ調子に乗って沢山いただきました。当然午後は営業中止、センチュリーローヤルホテルの地下サウナ室に直行。

 当時ハエが沢山いて蔵間関が若い衆に、

「ハエ何とかしろ!」

と不機嫌でしたが北葉山親方が、

「蔵間、ハエは美味しい物には寄ってくるんだ。若い衆を怒鳴ったってしょうが無いだろう!」

と一喝したことをおぼえています。

その時北葉山親方に聞きました。

「私が高校生の頃二度大相撲に誘われたのですが何故ですか?」

当時174・7センチで体重は65キロぐらいです。

北葉山曰く、

「あなたの身長と手の長さ、足の大きさからみて亡くなった横綱玉ノ海(玉ノ島だったっけ?)とほぼ同じになる」

と言われたことをよくおぼえています。

それと高校生時代下駄を履いていました。

アシは27センチあり、その点もアマチュアスカウトが私をスカウトした原因との事、

アマチュアスカウトはすれ違うとき瞬間的に足をみると伺いました。

アシが大きと体重が増えても全然心配ないそうです。

ちなみに元横砂輪島さんからも同じことを言われました。

 

私がワイシャツ作る時の腕の長さが87センチありましたが、横綱北の湖さんが86センチだったそうであと1センチ腕が長かったらもう1年現役を続けることが出来たそうです。(横綱輪島談)

(あと1センチ長かったらまわしをしっかり掴めたので)

 

「禊鳥」(みそぎとり)

確か横綱柏戸のころの幕内力士、

四股名はあやふやですが「みそぎとり」はあっていると思いますがいい加減です。

ススキノのラーメン横丁あたりにお店がありました。

チャンコ料理の店で味はそこそこでしたがなんせ店主が時々居なくなるのです。

時にはボクシングの世界一を決めるタイトル戦の鑑賞だったり、友達の店に飲みにいったりしてたみたい。

お客さんをほっぽり出してお店から居なくなってしまうんだなこれが。

それで自分のお店に帰ってきて「留守中何か飲んだ?」といい加減なんですよ。

味は良かったけどお店は間もなく潰れたらしい。

 

「輪島さん」

私が札幌グランドホテルでフロントの頃、当時横綱現役だった輪島さん、札幌準本場所で来札、

只一人横綱の特権でホテル住まい。

ススキノから午前一時頃帰館した輪島さん、その時は何も言わず、翌朝フロントで

「昨日帰った時、エレベーターの隅っこに婆さんが座っていたけど何かあったのか?」

輪島さんがご指摘通り前の日にエレベーターで80歳すぎの御婆さんが心臓発作かなにかで黄泉の国へ。

輪島さんそれを感じたんですね。

早速三吉神社にお祓いをしていただき、おばあちゃんの魂はぶじ成仏しました。

 

さて輪島さんが現役引退して親方になりました。

新聞で読んだのですが、親方の株を売った売らなかったで輪島さん相撲界に嫌気がさしプロレス入りの噂がなっがれていた頃

京王プラザホテル札幌にお越しになり地下の「北の居酒屋」でタニマチと一杯飲んでました。

タニマチと私は古くからの知り合いで私も合流、2時間位ご一緒しました。

雑談多々お話に花が咲きました。

印象に残っているのは相撲現役の頃のライバル北の湖さんのこと、

・黄金の左下手マワシさへ掴めれば誰にも負ける気はしなかった由

 北の湖さんと対戦した時も、左下手取れたら勝ったも同然、165キロ前後あった北の湖さんの体が浮いたそうです。

私も輪島さんの左手首をさわらせていただきましたが、私の倍はあると思われる平骨でした。

 北の湖さんはお酒もつよくサントリーの達磨さんが30分もしないうちに空になり全然酔わなかった由。

また腕が短くそれが原因で引退を決意したのです。

 

関取を始め、沢山の有名人と酒席をご一緒させていただいたのも全てお客様のおかげです。

何故お客様が私をさそってくださったのかは分かりません。

でも繰り返しになりますが、ホテルマンは給料やすかったけど楽しかったなあ。

このほか芸能人にも沢山あいましたがそれは別の話。

(水森亜土さん、平尾昌晃さん、高倉健さん他多数)

 

今日はこれでお終い、又ね。