15歳から39歳までの人で学校に通ってなく、就業をしていない人が75万人との発表がありました。75万人というと私は住んでいる市の人口の1、8倍以上の数で相当な数だということがわかります。


このようないわゆるニートの人が多いことは日本が抱える社会的課題の1つです。

「学校も行かず、仕事もしていないのであれば一体何を毎日しているんだ」と思われる方も多いと思います。

ニートである理由を見ても「仕事をしたくない」「学校にも行かない」「働く気がない」「自分に合ったいい仕事はない」というものが多く働けないのではなく、働けるのには働かない。という人が一定程度、含まれているように思われます。

義務教育終了後から39歳までは、24年の年齢差があり、一概にまとめて論じるのは、よくないかなあ。と私は思います。


また、別に資料によると、経済的に自立しておらず、実家暮らしという人が当たり前ですが多いです。

ということは、生活するための衣食住にかかるお金は自分で得ているのではなく、親等に支援してもらっている状態です。


経済的自立とともに,精神的自立も含めて社会的自立ができていない状態です。

75万人の中には、義務教育終了後、数年間自分のやるべきことややりたいことを見極めている人もいるでしょうし、心理的に塞ぎ込んでいたり、精神的な疾患が見られるなど苦しんでいる人もいると思います。

つまり、今この先の人生を探していたり、苦しんでいる人もいるのですから、全てひっくるめて、「働け」とか、「甘えるな」ということはできないと思います。

しかし、一定数いる、「働くことはできるのにはたらきたくない人」や「仕事を選んでいるので仕事がみつからない」あるいは、

「親からの援助があるので別に今は働いたり、キャリアップする必要はない」という人もいると思います。


そもそも人の生き方は自由なので、私には干渉する立場にないし、こうしないといけない。ということもありません。

幸せの感じ方やも違います。


ただ、このようなことをしている親御さんがもし、心配や苦痛を感じているとしたら、

そのような状況はよくないとおもいます。特に成人しているのならもっと良くないと思います。


ある引きこもりの方のことがテレビで取り上げられていて、老齢のご夫婦が、機嫌を損ねると暴れ回る息子さんに怯えて生活し、命令を聞くだけに暮らしをしておられました。夕食を部屋に運ぶと「出て行け!」と言いしばらく立つと「飯が不味いんだよ!」と食器を一階に投げ捨てます。

お母様はそれを拾い、また新しく料理を作って部屋に運んでいました。

「家を出て行きたいけど、息子が怖い」と言われていました。


明らかな家庭内暴力で犯罪であり,息子さんは逮捕されてもいい案件ですが、やはり子どもは子ども、どんな子でも親は大事なのです。

その気持ちよくわかります。生きてくれさえあればそれでいい。と願うこともあるでしょう。

最後にそのご夫婦は45歳を迎えた息子さんのことを、もすぐ自分達がこの世からいなくなったら息子はどうして生きていくのだろう。

と心配をされていました。


かなり難しい状態ですが、同様のご家庭がかなりあるとききました。

少し話はそれましたが、子どもさんに勉強しろ,そうしたら幸せになれるぞ。と言ってもそうならないことは多いし、感じ方も違います。


そのことよりも子どもの頃は、人間としてこの世に生を受けたことの素晴らしさとそれが実感できる体験が必要だと思います。

また、人の温かさや夢を持って前に進んでいる人を見て自分も自分なりに頑張ってみよう。と心が震えたり、

成し遂げたいと思って歩みを進めることは、成し遂げること以上に大切なことなのだと知ることも大切です。

かつて我が国では「学校生活を送り、集団生活をすること」がまさにそのような経験や感じる心を育めたと思います。

しかし、登校できない子はもちろん、今の学校のシステムは非常に窮屈になっており、行事や経験よりも学力重視、

先生位の業務削減や働き方改革、部活動地域移行、など、かつて学校が担っていた役割は崩れつつあるように思います。

だからこそ、学校に行くことが苦痛だったり,強い抵抗感があったりして行けなくなるのだと思います。


不登校の子がニートになるとか、そんな極論を述べる人もいますが、大きな偏見です。

文科省の調査によれば、学生時代、学校に行けなかったこの約8割は社会の中で、学校や仕事をしているというデータがあるので、

心配はないです。ただ、不登校である我が子に学力の向上だけを目標にがんばらせたり、四角い部屋だけで学ぶことをメインに過ごさせることはすごく危険だと思います。

人間である以上、心と身体で感じる経験や人間らしい人間との交流は、できるだけ多くさせたいものです。

学校外施設に役割はそんなところにもあると思います。


自己肯定感がある程度高く安定していれば、社会の中で苦労しながらでも自分の歩む道を見つけることができると思います。