【東京】

東京都千代田区外神田の

 江戸総鎮守

神田明神

  (神田神社)

 

     令和5年は

明治7年8月17日に少彦名命の御分霊を

   大洗磯前神社よりお迎えし

 

 神田明神二の宮のご祭神に奉祀して

      150年の年。


   少彦名命の記念の年に

      初めて

 新しい年中行事として「えびす祭

    が行われます。

 

   8月のえびす祭りに合わせ

      ステキな

少彦名命御奉祀百五十年記念御朱印が

    いただけますラブラブ

 ※枚数限定授与

 

【神田明神(神田神社) 限定御朱印】

絵獅匡さんことエサカマサミさんデザイン

 

【神田明神(神田神社) 限定御朱印】

THE ALFEEギタリスト

 高見沢俊彦氏デザイン

 

クローバー授与所 神田明神文化交流館御朱印窓口
クローバー時 間 【平日】9時~17時30分

     【金土日祝】9時~18時

 

【神田明神(神田神社) 限定御朱印】

納涼祭り限定

  令和5年8月11日〜13日(日)

    神田明神「納涼祭り」

 

【神田明神(神田神社) 御朱印帳】

 

神田明神(神田神社)

  正式名称は神田神社
 
    東京の中心
神田・日本橋・秋葉原・大手丸の内
 旧神田市場・築地魚市場
  108町会の総氏神様で
明神さまの名で親しまれる神社。
 
神田明神
 
 
【御神殿】

【御祭神】

  一ノ宮 大己貴命
  二ノ宮  少彦名命
  三ノ宮 平将門命
 
   社伝によると
 
730年、出雲氏族で大己貴命の子孫
      真神田臣により
    武蔵国豊島郡芝崎村
(現在の千代田区大手町・将門塚周辺)
       に創建。

      その後
天慶の乱で活躍した平将門公を葬った
    墳墓(将門塚)周辺で
      天変地異が頻発。
 
 将門公の御神威として人々を
    恐れさせたため
  時宗 遊行僧・真教上人が
    御霊をお慰めし
    1309年、合祀。
 
     戦国時代には
太田道灌や北条氏綱など名武将により
    手厚く崇敬されました。
 
    1600年
関ヶ原の戦いで徳川家康公が
  合戦に臨む際に
 戦勝の祈祷を行うと
 
 9月15日 神田祭の日
見事に勝利し天下統一を果たし
 
これ以降、徳川将軍家より
  縁起の良い祭礼として
絶やすことなく執り行うよう
   命じられました。
 

    江戸時代

幕府の尊崇する神社となり

    1616年

江戸城の表鬼門守護の場所である

   現在地に遷座し

幕府により社殿が造営され

 

  以後、江戸時代を通じて

   江戸総鎮守として

幕府をはじめ江戸庶民にいたるまで

 篤い崇敬を集めてきた神社。

 

     明治時代

社名を神田明神から神田神社に改称。

 

   東京の守護神として

准勅祭社」「東京府社」

   となりました。

 

 1923年、関東大震災により

江戸時代後期を代表する社殿を焼失。

 

    昭和9年

当時としては画期的であった

   鉄骨鉄筋コンクリート

総朱漆塗の社殿が再建されました。

 

     東京大空襲で

境内の多くの建造物が烏有に帰しましたが

 

   耐火構造の社殿のみ

わずかな損傷のみで戦災を免れました。

 

クローバー神田明神公式HP

 

御祭神
【一ノ宮 大己貴命】だいこくさま

 

御祭神
【二ノ宮 少彦名命】えびすさま
1874年、茨城県大洗磯前神社より
    神霊を迎え奉祀。
 商売繁盛・医薬健康・開運招福の
   神様として崇敬されています。
 
  最初にお生まれになった
     神様のお一人
   高皇産霊神の御子神で
 
大海の彼方・常世の国よりいらっしゃり
   手のひらに乗るほど
 小さなお姿ながら知恵に優れ
  一ノ宮・大己貴命とともに
 日本の国づくりをされた神様。
 
  海の仲間に守られ
大海原を渡られる姿を造形。
 
作者 元東京藝術大学学長
   宮田亮平氏
  2005年、建立。
 

  神田明神内に多くの屋台が出て

盆踊りが楽しめる場所になっていました音譜

 

 

 


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