この記事は、施設長の若山三千彦が書いている文福コラムです。
文福コラムは、ちょっと重いテーマについて書いているので、エッセイとは別のジャンルにしたものです。
7月にコラムを書いてから、ホームでのクラスター感染発生や夏休みのために、しばらく書けないでいたのですが、やっと続きをアップできます。
という事情ですので、7月にアップした下のコラムを最初にお読みになってから、本コラムを読んで下さると嬉しいです。
文福との出会い | さくらの里山科公式ブログ ご入居者様とワンちゃん、猫ちゃん (ameblo.jp)
文福の事情 | さくらの里山科公式ブログ ご入居者様とワンちゃん、猫ちゃん (ameblo.jp)
※この記事にアップしている写真は全て、2年前に撮影した文福のお散歩風景です。
記事本文とは直接の関係はありません。
2012年4月7日、文福はさくらの里山科にやってきました。
私が文福と初めて会った日です。
動物愛護団体のちばわんさんのスタッフさんは、ホームのドッグランで文福と遊びながら、文福を紹介してくれました。
そして、ちばわんさんが帰った後、私は文福と一緒に散歩に出ました。
私にとっては、文福の初散歩でした。
一方、文福にとっては、見知らぬ場所で、知らない人に、どこかに連れていかれる訳です。
さぞ不安だったろうと思うのですが、文福は元気いっぱい。
飛び跳ねるよう足取りで、大喜びで歩いていました。
もちろん内心では不安も大きかったと思います。
大好きなちばわんスタッフさんに置き去りにされてしまったのですから。
ちばわんスタッフさんは、保健所で殺処分直前にいた文福を助け出してくれた恩人です。
そして、数カ月間、文福を世話して、たっぷり愛情を注いでくれた家族です。
保健所に入れられる前、文福がどんな生活をしていたかわかりませんが、
おそらく文福は生まれて初めて、人に愛される経験をしたことと思います。
そんな大好きなスタッフさんに置き去りにされ、文福はショックを受けていたかもしれません。
でも、能天気なようでいて実は賢い文福ですから、スタッフさんといつまでも一緒にいられないのを察知していたかもしれません。
スタッフさんも、一時預かりしている犬達の中には、自分がいつまでもここにいられないとわかっている子もいる。
文福もきっとそうだと思う、と言っていましたから。
だから、文福は、これから新しい場所で生きていかなければいけなんだ、と決意していた可能性もあります。
私は今でも、この時の「初めての散歩」のことを明確に覚えています。
私は文福が寂しいだろうと思い、散歩中、ずっと文福に声をかけていました。
「ここがお前の家だよ。」
「ここがお前ら暮らす街だよ。」
「お前はこれからずっとここで暮らすんだよ。」
「もう、どこにも行かないんでいいんだよ。」
「これから毎日一緒だよ。」
こんな言葉をかけ続けたのを覚えています。
文福は、私が言葉をかけるたびに、私を見上げてきました。
じっと私の眼を見つめては、笑いかけてきました。
なんて可愛いんだろう、と私は感じていました。
そして、なんて賢いんだろうと驚いていました。
以前のコラムで書いた通り、この世のどこにも居場所がなかった文福は、
さくらの里山科が自分の家だと完全に信じられるまでに5年程かかったと私は勝手に推測しています。
でも一方では、生まれた初めて手に入れた自分の家を喜ぶ気持ちが、最初からあったようにも思えます。
喜びながらも、心の奥底に、いつか、ここにもいられなくなるかも、という不安の気持ちが潜んでいたのかな、と私は考えています。
もちろん、実際のところは、文福に聞いてみないとわかりません。
文福が、自分の家を手に入れたと喜ぶ気持ちをもっていたとしたら、それは、この、初散歩の時に芽生えたような気がします。
私は文福と初めて散歩した時に、文福との間に確かな絆が生まれたように感じましたから。
この時文福は、さくらの里山科を自分の家と定め、私をパートーなーだと認めてくれたのだと思っています。
まあ、すべては私の思い込みかもしれませんが。
初散歩の時は、文福が奇跡的な力を持っていることは、もちろんわかっていませんでした。
文福が、大勢のご入居者様を看取ってくれるなんて、予想だにしていませんでした。
さらに大勢のご入居者様を癒してくれるなんて、想像もしていませんでした。
でも、だからこそ私にとって、この初散歩は、私と文福の間に純粋な絆が結ばれた日として、今でも鮮明に記憶に残っているのです。
などと色々語ってしまいましたが、犬を飼っている人は誰でも、初めて会った時のこと、初めて家に迎えた日のこと、初めての散歩のことなど、いつまでも覚えている思い出がたくさんありますよね。
私と文福も、同じなのです。
犬を飼っている人にとって、愛犬の思い出は永遠のメモリアルとして心の中に刻まれていますよね。