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ふたしかなるにちにち

日々の出来事を記す、私小説的散文「あたし文体」

 祖母の四十九日はゴールデンウィークに行われることになった。
 晩年、痴呆症を患うも凛と生きていた祖母ではあったが、やはり寄る年波には勝てず入院の憂き目にあった。それが一昨年のこと。あたしの顔を忘れても鍬を担いで畑を耕していた日は遠く、病院での祖母の生活は実に静かな、まるで無声映画を見ているかのようであった。きっともう家に帰ってくることはないだろう。ベッドに横たわる祖母の姿を見てあたしは感じた。そしてしばらくの入院生活が続き、担当医からもって三ヶ月との申告。祖父を入院生活の末、病院のベッドで無くしていたからだろうか、父と母は祖母を自宅看護に切り替えた。あたしのもっとも望まない形で祖母は実家に帰ってきた。そして、三ヶ月の余生を実家の、祖父母が寝ていた部屋で送ることになったのだが。
 なんと、祖母はそれから一年も生きていた。まったくすごいことである。実質4倍。その間介護を続けた母は相当たいへんであっただろうが、母親を亡くした父には申し訳ないが、さらに不謹慎でもあるのだが、祖母の葬式のときあたしは密かに思った。
「ぐっじょぶグランマ!お疲れ様でした!!」

 思い返せば4年前。グランパの葬儀の時、すでに相当に痴呆の進行していたグランマには、あたしが誰だかわからなかった。大学進学とともに東京に出てきて、そのままほぼ実家には帰らず、悠悠自適に生活していたのだ。たまに帰って思い出してくださいと言うのも自分勝手な話である。だから、祖母があたしをわからないことに関して憤りは覚えない。もともとおじいちゃんっ子であったあたしと祖母の間には微妙な距離感があり、彼女が健在な折りそれは顕著に表れていた。同じ家族でありながら打ち解けられない微妙な壁が存在していた。そしてそれをあたしが排除する努力をしたのかといえば疑問である。きっと家族という関係に安心しそれ以上の歩みよりはしなかったのであろう。だから祖母との思い出も限られたものになってしまう。写真の中で笑う祖母を見ることはできるが、あたしの中で彼女の笑った顔はおぼろげなままなのだ。
 しかし、今でも強く覚えている出来事がある。それはあたしが当時彼女が熱心に行っていたゲートボールの道具を隠してしまったときのことだ。なぜ当時のあたしがそんなことをしたのか。今では思い出せないが、その時の悲しげな祖母の顔だけは忘れることが出来ない。きっとこれから先も決して忘れないだろう。
 
 祖母の棺桶の中にはいくつかの品物と彼女の半纏、杖が収められた。杖をつきながらどこまででも歩いていった彼女愛用の木製の杖だ。出棺時はきれいに焼かれてしまい跡形もなくなっていたが、きっとあちらの世界を元気で歩き回るのに重宝していることだろう。祖母の遺骨を拾いながらそんなことを考えた。そして、ゲートボールの道具が一緒に収められなかったことをふと思いだした。痴呆を患ってからゲートボールは行っていなかったので、ゲートボールの道具はきっとどこかにしまわれたまま、忘れられているのだろう。しかしあちらの世界ですることがなくてはきっとヒマをもてあましてしまうだろう。肺を患っても尚タバコを吸いつづけた祖父のお棺には、山のようにタバコを入れた覚えがある。
 
 現実がすべて。元来無信心者のあたしでも祖父母を亡くした今、ふと彼らのことを考えると、死んだあとの世界の存在を完全に否定する気にはならない。願望として在ってくれるとうれしいと考える。そこに祖父母がいるならなら尚更。絶対にある!なんて口が裂けても言う気はないが、慎ましやかな気持ちで、また彼らと一緒にいられるなら在って欲しいと思う。今度はゲートボールの道具も隠さないし、ちゃんとした関係を築けるように努力してみるつもりだ。 
 死は決して順番には訪れない。しかし次は誰かなんて考えたくもない。だからいずれあたしに順番が回ってきたとき、少しの希望を込めてたくさんのゲーム機、ゲームソフトと一緒にゲートボールの道具をあたしのお棺に入れてもらおう。そんなことを考えた。



ふたしかなるにちにち

 先に断っておくとこれからされる話はすべからく下ネタで構成されている。英語で言うならblue jokes
 もっとも下ネタとはいってもエロスではない方の下ネタであるので、18才未満でもオールオーケーのウェルカムだ。もうだいたいお分かりとは思うが、そう、密室での出来事、個室での秘め事、いわゆるビッグベンとリトルジョーの話。そして特に今回はビッグベンとそれにかかわる由無し事を語ろうと思う。
 
 
 まずは幼少のみぎり。

 この時期あたしはたいへん切れのいい童子であったと母上様がおっしゃっていた。何がって、ウンチョスが。そりゃーもうスパスパ出たらしい。残念ながらあたしの脳にそんな記憶はないのだが、そのお陰かどうなのか、現在健康な成人男子であるあたしは、日に一回は確実に個室にこもる。基本的に食わず嫌いはしないほうなので、自宅だろうと仕事場であろうと場所を選ぶこともない。
 昨年水戸の近辺にできものができて大騒ぎした以外はたいした地殻変動もなく、また大黒堂のお世話になることもなく平穏無事に生活させていただいている次第だ。さすがに人前でははばかれるが、緩やかな春の陽気に誘われるが如きウグイスのさえずりも絶好調である。
 嗚呼、なんとすばらしき個室ライフ。括約筋事情。とはいえまったく弱点がないかといえばそんなことはなく、あろうことか我が家は家系的にお腹と水戸のあたりに問題を抱えているらしい。先ずはお腹の問題であるが、コレは極端に乳製品に弱いということがあげられる。例えば牛乳、飲むヨーグルト。これらを食すと確実にグルグルと来る。ゴロゴロとなる。リキッドフォームしたブツがお腹の中でデモ行進を開始するのだ。
 しかし不思議なことに腹痛には襲われない。お腹がイタタタタとなって、急いでワシントン・クラブに駆け込むということにはならない。どちらかというと「食べ過ぎたしちょっと牛乳でも飲んでおくか~」程度の気軽なテンションでブツのデモ行進を開始させる。確実にお腹を壊す。だから、痛みを伴わない牛乳や飲むヨーグルトは、あたしにとってお腹のデモ用外付けスイッチのような扱いで、たいへん便利なのである。
 
 そして、次は水戸周辺のお話になるのだが、これはなかなかに洒落にならない。

 何しろ我が家系は一子相伝の痔の家系。それはもう市井の薬でどうにかなるレベルではなく、最終的にはメスとかカンシとかドラマティックな方面の医療が必要になる一子相伝なのだから。敬愛するグランパもダディもこの病により揃って入院→手術という道のりをたどっている。長男であるあたしも例外ではないと言わざるをえない。あたしが確認できた限り我が家系の痔率は100%。逃げ道はどこにも見当たらない。若くして絶望というヤツである。
 しかし、当時から今に至るまでそんな中でも我が家で声高にその話題があがることは一度もなかった。祖父も父も、そしてその面倒を見なければならなかった祖母と母もそれはそれはひそやかに戦っていたに違いない。が、少年は気づいてしまう。我が家に装備された東洋陶器製の最新型ウォシュレットがまだ幼かったあたしに巧妙に隠された家系の宿命を知らせるのである。何しろまだウォシュレットが珍しかった時代である。使い方すら説明書ナシではてんでわからなかった時に、片田舎のそれも幸せそのものに見えた我が家に必然と装備されたのだから、紙で拭けばいいのにわざわざ水戸まで水をジェット噴射し恵みの雨をもたらす新兵器の意味よ何処に?という話である。
 もっともウォシュレットのみにて謎が解かれたわけではなく、どちらかといえば笑いの種であった。なにしろご多分に漏れず初使用時に水量の調節を失敗し、艶かしい声とともに便座から立ち上がった少年は、水戸に向けられた水によって、魅惑の個室もろとも水浸しにされるのだ。さらにいえば、その後のトイレ掃除によりトラウマとなったウォシュレットを再度使おうなどとは考えもしなかったわけで、結果として毎夜のごとにウォシュレットを眺めては妙な推理を展開していたわけでもなかった彼にとって、最新兵器ウォシュレットは、級友への自慢の種くらいにしかならなかった。

 かくして、それらの出来事が記憶の片隅に追いやられつつあった約10年後。謎の病にていつの間にか入院していた父親を見舞った際に、病院のベッドで患部をひょっこり持ち上げた状態でうつ伏せになった父の姿とウォシュレットの水流、そしてそれを指差して笑おうかどうしようかの思案の刹那に「謎はすべて解けた!」と相成ったわけである。 
 呪われた家系の宿命を知った青年は、その後何事もなく成長を続け、またもウォシュレットは記憶の奥底にしまわれていくわけである。特に痔に怯えるでもなく、かといって再びウォシュレットを使うこともなくなった彼が、ふと会社のトイレについたウォシュレットのボタンを見やり、薄れ掛けた初使用時のトラウマも手伝って迂闊にも「おしり」なんてかかれたボタンを押してしまう。
 実りの三十台。晴れて三十路に到達したかつての少年は、20年ぶりの衝撃に、やはり20年ぶりの艶かしい声をあげ、流れる川の如く蘇ってくる記憶に、亡き祖父母から脈々と受け継がれた血の繋がりを想い苦笑いするのであった。



ふたしかなるにちにち

 人は昔から多くの動物達と関わり生活してきた。
 例えば牛とか豚とか鶏とか。
 ビーフとかポークとかチキンとか。
 カタカナにすると俄然美味しそうだが、人と肉との、いや動物との関わりは、別に食用としてでなくて。なんだかいまいち説得力に欠けるが、革パンとかウールとかカシミアとか、とにかく長い歴史の中で人と動物はくんずほぐれつ、互いにくしゃくしゃになりながら生きてきた。
 その歴史を紐解けば、羊は1万2000年前、ヤギは1万年前、牛や豚は9000年前から家畜として存在していたらしい。もっともあたしが紐解いたわけではないし、その実際を見たわけではないので真偽のほどは判らないが、エライ学者さんはそう言っていた。
「馬や鶏でさえ5000年前ですし、ロバやラクダだってそれに近い頃なんですよ」
 だそうなのだ。もっとも何が「でさえ」で「だって」なのかは知らないが、とにかく彼らが家畜化されたのはそのくらい昔で、それほど長い間人間はイロイロ食べたり、イロイロ加工したりしてますよ。ってコトらしい。
 人間と家畜の歴史は斯くも長く深いのである。
 ちなみに、日本における家畜としては1万年前、縄文時代まで遡る。当時は犬が唯一の家畜として人間と仲良くやっていたのだそうだ。それを食べていたかどうかまでは話していただけなかったが、各国文化様々、犬食べる国もあるわけだから、日本でもないとはいえないだろう。
 そんな食用も兼ねていたかも知れない犬達だが、その後狩猟用やら番犬用やら柴犬用やら秋田犬用やらと用途、種類ごとに細分化され今や愛玩用になるまでに至った。ちなみに新種としてはAIBOあたりもそうなのだろうが、彼らは食べられない。誠に残念である。
 ところで、先日のことだ。ドラックストアで犬用シャンプーなるものを見つけた。
 そういえば、あたしも実家にいたときに我が家の飼い犬をよくシャンプーしたものだ。水をかけると嫌がり、シャンプーを泡立てると暴れたかのお犬様は今も健在なのだが、そのシャンプーを見て一時、懐かしい思い出に浸ってしまった。我が犬とのめくるめく日々。なんとも心地の良い時間だった。がしかし、シャンプーに張られたラベルを見て、あたしは首を傾げてしまった。
 何しろソコには、
「愛犬用」
 と書いてあったのだから。
 なんのつもりだろうか。この商品独自の表記なのだろうかと思い、他のものも手に取ってみたがほぼすべての商品に「愛犬用」「愛猫用」の表記。
 コレはおかしくないか?
 わざわざ自分で飼う犬や猫である。愛してるに決まっているではないか。いちいち愛犬用とか表記せずとも「犬用」で十分だ。なんなら「犬用。人にも使えます」とかでもいい。わざわざ「愛」を付けるからには何か意味が欲しい。 
 例えば同じ商品で「そうでもない犬用」とか「そこそこの猫用」があるとか。
 しかし、どの棚を探しても「そうでもない犬用」なんて商品は見あたらないし、「そこそこの猫用」も無い。見えてくるのは「愛愛愛愛…」。愛の大行列である。
 啓蒙活動か何かだろうか?しかし、いくらあたしが非常識だって「嫌いな犬用シャンプー」で他人の飼い犬をシャンプーして回ろうなんて考えないし、野良猫を集めて「そこそこの猫用シャンプー」でおフロ大会も開かない。売っていたって買わないし、そんなこと考えたって実行しないのに。
 でも、商店街のドラックストアはその有り様である。
 ペット用品の棚に整然と並んだ「愛」を見るだに、「生類憐れみの令」なんていう愛を思い出すのは、きっとあたしだけでは無いだろう。