水には流せない。 | ふたしかなるにちにち

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日々の出来事を記す、私小説的散文「あたし文体」



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 先に断っておくとこれからされる話はすべからく下ネタで構成されている。英語で言うならblue jokes
 もっとも下ネタとはいってもエロスではない方の下ネタであるので、18才未満でもオールオーケーのウェルカムだ。もうだいたいお分かりとは思うが、そう、密室での出来事、個室での秘め事、いわゆるビッグベンとリトルジョーの話。そして特に今回はビッグベンとそれにかかわる由無し事を語ろうと思う。
 
 
 まずは幼少のみぎり。

 この時期あたしはたいへん切れのいい童子であったと母上様がおっしゃっていた。何がって、ウンチョスが。そりゃーもうスパスパ出たらしい。残念ながらあたしの脳にそんな記憶はないのだが、そのお陰かどうなのか、現在健康な成人男子であるあたしは、日に一回は確実に個室にこもる。基本的に食わず嫌いはしないほうなので、自宅だろうと仕事場であろうと場所を選ぶこともない。
 昨年水戸の近辺にできものができて大騒ぎした以外はたいした地殻変動もなく、また大黒堂のお世話になることもなく平穏無事に生活させていただいている次第だ。さすがに人前でははばかれるが、緩やかな春の陽気に誘われるが如きウグイスのさえずりも絶好調である。
 嗚呼、なんとすばらしき個室ライフ。括約筋事情。とはいえまったく弱点がないかといえばそんなことはなく、あろうことか我が家は家系的にお腹と水戸のあたりに問題を抱えているらしい。先ずはお腹の問題であるが、コレは極端に乳製品に弱いということがあげられる。例えば牛乳、飲むヨーグルト。これらを食すと確実にグルグルと来る。ゴロゴロとなる。リキッドフォームしたブツがお腹の中でデモ行進を開始するのだ。
 しかし不思議なことに腹痛には襲われない。お腹がイタタタタとなって、急いでワシントン・クラブに駆け込むということにはならない。どちらかというと「食べ過ぎたしちょっと牛乳でも飲んでおくか~」程度の気軽なテンションでブツのデモ行進を開始させる。確実にお腹を壊す。だから、痛みを伴わない牛乳や飲むヨーグルトは、あたしにとってお腹のデモ用外付けスイッチのような扱いで、たいへん便利なのである。
 
 そして、次は水戸周辺のお話になるのだが、これはなかなかに洒落にならない。

 何しろ我が家系は一子相伝の痔の家系。それはもう市井の薬でどうにかなるレベルではなく、最終的にはメスとかカンシとかドラマティックな方面の医療が必要になる一子相伝なのだから。敬愛するグランパもダディもこの病により揃って入院→手術という道のりをたどっている。長男であるあたしも例外ではないと言わざるをえない。あたしが確認できた限り我が家系の痔率は100%。逃げ道はどこにも見当たらない。若くして絶望というヤツである。
 しかし、当時から今に至るまでそんな中でも我が家で声高にその話題があがることは一度もなかった。祖父も父も、そしてその面倒を見なければならなかった祖母と母もそれはそれはひそやかに戦っていたに違いない。が、少年は気づいてしまう。我が家に装備された東洋陶器製の最新型ウォシュレットがまだ幼かったあたしに巧妙に隠された家系の宿命を知らせるのである。何しろまだウォシュレットが珍しかった時代である。使い方すら説明書ナシではてんでわからなかった時に、片田舎のそれも幸せそのものに見えた我が家に必然と装備されたのだから、紙で拭けばいいのにわざわざ水戸まで水をジェット噴射し恵みの雨をもたらす新兵器の意味よ何処に?という話である。
 もっともウォシュレットのみにて謎が解かれたわけではなく、どちらかといえば笑いの種であった。なにしろご多分に漏れず初使用時に水量の調節を失敗し、艶かしい声とともに便座から立ち上がった少年は、水戸に向けられた水によって、魅惑の個室もろとも水浸しにされるのだ。さらにいえば、その後のトイレ掃除によりトラウマとなったウォシュレットを再度使おうなどとは考えもしなかったわけで、結果として毎夜のごとにウォシュレットを眺めては妙な推理を展開していたわけでもなかった彼にとって、最新兵器ウォシュレットは、級友への自慢の種くらいにしかならなかった。

 かくして、それらの出来事が記憶の片隅に追いやられつつあった約10年後。謎の病にていつの間にか入院していた父親を見舞った際に、病院のベッドで患部をひょっこり持ち上げた状態でうつ伏せになった父の姿とウォシュレットの水流、そしてそれを指差して笑おうかどうしようかの思案の刹那に「謎はすべて解けた!」と相成ったわけである。 
 呪われた家系の宿命を知った青年は、その後何事もなく成長を続け、またもウォシュレットは記憶の奥底にしまわれていくわけである。特に痔に怯えるでもなく、かといって再びウォシュレットを使うこともなくなった彼が、ふと会社のトイレについたウォシュレットのボタンを見やり、薄れ掛けた初使用時のトラウマも手伝って迂闊にも「おしり」なんてかかれたボタンを押してしまう。
 実りの三十台。晴れて三十路に到達したかつての少年は、20年ぶりの衝撃に、やはり20年ぶりの艶かしい声をあげ、流れる川の如く蘇ってくる記憶に、亡き祖父母から脈々と受け継がれた血の繋がりを想い苦笑いするのであった。