それは平日の昼下がり。
エレベーターの中で金髪美女と二人っきりになった。二人きりだったが、「めし どこか たのむ」ということにはならなかった。モデル体系な上にジュリア・ロバーツみたいだったが、理性もすっ飛ばなかった。薄手の生地がヒラヒラたなびくロングスカートだったが誰も神風の術とか使ってくれなかったし、スカーフを頭にかけたそのスタイリッシュなオシャレさんは、あたしに振り返ることもなかった。
だってジュリア・ロバーツだもの。きっとこのビルのレストランフロアでダーリンと遅めの昼食をといった風情なのだろう。しかし、残念。このエレベーターはオフィスフロア専用。レストランフロアには止まらない。かごの中には二人きり。日本語が不自由に見受けられるジュリアにとって、ここに存在するインターナショナルはあたしのギリギリイングリッシュのみ。
こうして、彼女の不幸が幕を開けた。
まずはじめにジュリアがとった行動は困ることだった。レストランフロアと思しき階のボタンを何度も押し、点灯しないことを確認する。その横には「このエレベータはこの階には止まりません」と書いてある。ジャパニーズで。ジュリアには読めない。あたしには読める。
次にジュリアがとった行動はあたしを見ることだった。ジュリアが押したボタンは光らないが、あたしが押したボタンは光ったからだろう。「このエレベーターはジャップ専用ですか?」声に出さなくてもジュリアの青い瞳が訴えている。しかし海の向こうの人とアイコンタクト可能なほどあたしの心は開いていない。むしろ自分以外には閉じている。青い瞳はあたしを見るが、あたしの頭の中は先ほどからmp3プレイヤーが流すサンボマスターでいっぱいだ。「もう少しテンションがあがれば歌いだすよ?」黒い眼で切り返した。
成立しないコミュニケーションに、いくら押しても答えてくれない操作盤。かごの中には無愛想なジャパニーズ。湖面を移したような青い瞳が時計の針に向けられ、徐々に曇っていく。
エレベーターは速くはないが着実に上を目指す。光を発しない階に止まるわけがない。ああニューヨークのお母さん!そのときジュリアが何か言った。と思われた。ほんのりと赤い口紅があたしに向けられ、薄い唇が動いたのだ。しかしあたしの耳には山口隆の大絶叫。「~世界じゃそれを愛と呼ぶんだぜええええええええええ!!」
そうです。世界じゃそれを愛と呼びますが、コミュニケーションは相変わらず不成立のまま。しかし、ここはあたしもジャップなおのこ!山口隆が愛を呼ぶなら、あたしだって薄紅色の唇に答えないわけにはいかない。愛だって叫んじゃえ。とはいえいきなりジュリアの青い瞳を見つめて「ハロー!ハイ!チャオ!ボンジュール!ボンジョルノ!愛してる!」とはじめても混乱必死なので、要点だけのコミュニケーションでスタートしてみることにした。
「restaurant?(レストラン?)」
ジュリアには視線を投げず、あくまでクールに。エレベータのドアを見たまま聞いてみる。
「yah…(うん…)」
まるでハミングバードの羽音のような、微かだがしかし喜びを感じられる返事が返ってくる。意思疎通完了。あとは愛を囁くだけで、世界はそれを以下略なのだ。OKジュリア!さーあたしを頼ってくれ。あたしこそ世界に誇れるジャップだ!さーあたしに何でも聞いてくれ。ギリギリのイングリッシュだけど君へのラヴにまみれているよ。さージュリア!さぁさぁさぁ!
あたしは絶好調だった。あたしのインターナショナルがジュリアに通じたから。あたしは有頂天だった。ジュリアが返事してくれたから。ただ絶好調だったのはあたしだけではなかった。まさに絶好のタイミングでエレベータはあたしが降りる階に二人を運んでくれた。神の奇跡!オーマイジーザス!これはジュリアを誘うしかない。ジュリアを誘ってエレベータを降りて、レストランフロアに止まるエレベータまで!ジュリアと二人、愛のランデブー!
ゆっくりとエレベータの扉は開かれ、あたしがジュリアに視線を向けるその刹那。青い瞳のハミングバードは飛び出した。まさに絶好のタイミングで!
かごから飛び立つ幸せの青い鳥。
あたしのギリギリイングリッシュがその後を追う。
「ああ!ジュリアここはオフィスフロアで、君の目指すレストランフロアは…」
しかしジュリアは一目散に非常口に向かって走る。あたしが駆使したインターナショナルはさびしくオフィスフロアに取り残され、その残響すら許さないかのように鉄製の扉が閉まる重々しい低音が響き渡った。
そうだねジュリア。非常口の向こうには非常階段がある。それさえ使えばきっとどこにだって行けるし、誰からだって逃げられる。走り去るヒラヒラの青い鳥。それはとてもきれいで、あたしはそこを動けなかった。金髪でスタイリッシュでスカーフなジュリア。ヒラヒラがロングスカートでオシャレなジュリア。青い瞳とまた会えるかな?でもきっと薄紅色の唇はこう言うよね?
「I'll see you dead!(まっぴらごめんよ!)」
世界じゃそれを愛と呼ぶんだぜぇ。山口隆はもう愛を叫んではいなかった。いつの間にかあたしに語りかけているのはスピッツで、侭ならない想いについて草野正宗が、切なげに歌ってくれていた。
