台風10号の接近に伴う大雨により全国各地で公共交通が運転見合わせなどの混乱が生じています。

 

 

 桜井シュウは、仕事がら国会のある東京と地元の兵庫を往復することが多いのですが、本日(8月29日)も東京から兵庫への移動がありました。少々の遅延はあったもののなんとか地元に戻ることができました。

 東海道新幹線は、昭和30年代の建設ということなのでしょうか、大雨に弱いように感じます。つまり、沿線の中にはコンクリートではなく盛り土の区間が多くあり、大雨になると地盤が緩んでしまい300km/時弱の高速の大きな荷重を支えきれなくなるリスクがあるということだと思います。明日は計画運休ということで、今日のうちに移動と思われた方が乗っていた新幹線が運転見合わせで車内で待機となったようです。

 

 また、新幹線は線路が通っているどこかで大雨が降ると運転見合わせとなる場合がありますが(線で確保)、飛行機だと羽田空港と伊丹空港の2ヶ所が大丈夫であれば(点で確保)運航できるということなのでしょう。

 もっとも、桜井は羽田発伊丹ゆきのフライトに搭乗したところ、伊丹空港付近でゲリラ豪雨のため着陸できないとして紀伊半島上空で待機の後にダイバート(divert:行き先変更)して関西空港に着陸となったことがあります。

 また、羽田空港に着陸の直前にバード・ストライク(エンジンが鳥を吸い込む事故)が相次いで発生して滑走路が2本運行停止になり、上空待機となったことがあります。

 さらに、夕方の羽田発伊丹ゆきのフライトに搭乗したものの、羽田空港上空の大気が不安定でなかなか離陸できず、伊丹空港の夜9時の門限に間に合わないということで急遽、運休になったことがあります。このときは大急ぎで羽田空港から品川駅に向かい新幹線で地元に帰りました(汗)。

 

 兎も角、桜井シュウは、天気には勝てないので、天気に合わせて日程の方を柔軟に変更するように備えておきます。

 

 スーパーマーケットなどの売り場で米が見当たらなくなっています。ワイドショーでも連日、報道されるまでもなく、スーパーにいけば米の棚だけ空っぽになっているので、みなさんご存知と思います。


(桜井シュウの地元のスーパーの棚)


 先週の衆議院財務金融委員会では、日本銀行の金融政策についてがテーマでしたので、桜井シュウは取り上げませんでした。が、共産党の田村貴昭議員が米不足と米の値上がりについて取り上げていました。

 米不足から米の値段はかなり上がっていて、消費者物価指数に影響しそうです。物価の安定は日本銀行の金融政策にも関係するものではあります。

 

 農林水産副大臣の答弁では、9月になれば今年収穫の新米が流通するので、そのころには米不足は解消するとのことでした。

 でも今はまだ8月です。「9月になれば」と言われても、9月の上旬に収穫しても店頭に並ぶには1~2週間はかかるかもしれません。それまで1ヶ月弱あります。その間、どうやって食べていけばよいのでしょうか。

 

 米の値段があがったときの国会審議としては1950年12月7日の参議院予算委員会があります。このとき池田勇人大蔵大臣(後の総理大臣)は「所得の少ない方は麦、所得の多い方はコメを食うというような経済原則に沿ったほうへ持っていきたい」と答弁したことが、「貧乏人は麦を食えと言った」と受け止められ、国民が反発しました。

 現代では、炊飯用では米よりも麦の方が高いと思いますので、経済原則ではなくなっています。米不足だから麦製品を食べて下さいと解釈したとします。パンやうどん、パスタなどで米の代わりに炭水化物を取るとしても、満腹感をえるにはやはり米の方が安上がりでしょう。

 

 米の消費量が年々減少傾向にあるとはいえ、日本において米は多くの食卓の主役です。総量として米の確保することは政治の責務です。備蓄米の放出という提案に対しては、農林水産省は備蓄米の流通までに時間がかかり、新米の流通と時期が重なってしまうから備蓄米は放出しない、とのこと。

 ならば、なぜもっと米不足を予見できなかったのか、という問題があります。6月頃から米の品薄リスクは指摘されていました。

 また、備蓄米の流通にどうして時間がかかるのか。備蓄米の流通に手間取っている間に国民が飢えてしまっては備蓄米の目的を達成できません。速やかに流通できるようにすることが必要です。

 

 今年、新米を前倒しで流通させると、来年の今頃には、今年と同じような状況に陥るリスクがあります。来年の夏は備蓄米の流通の準備に抜かりがないようにするとともに、来年以降は米の増産などの農業政策の立て直しを提案してまいります。

 兵庫県政は斎藤知事のパワハラ等問題で揺れています。ここにきて、兵庫県内の有名人が県議会で県知事不信任案提出の動きアリとのツィートをしていたので、情報収集しました。



 県議会で連携している議員に聞いたところ、まずは県知事辞職勧告決議案だろうとのこと。県知事の不信任案の可決には、単純過半数(1/2以上)ではなく3/4以上の賛成が必要です(地方自治法178条)。兵庫県議会の議員86名のうち、議長は採決に加わりませんので85名ですが、3/4以上の賛成というと64名の賛成ということになります(欠席がない場合)。維新の会は、100条委員会の設置に反対するなどこれまで斎藤県知事をかばってきましたが、維新の会の県議が21名なので、微妙なところです。県知事不信任案に維新の会の所属議員全員が反対しても、その他の議員が賛成に回れば可決できます。しかし、100条委員会設置の議決では自民党の一部が反対しました。県知事不信任案で、もし同様に反対すれば不信任案は否決となり、信任されたかのような結果になります。ということにならないように、まずは法的拘束力がない県知事辞職勧告決議案を提案するという方向のようです。

 

 ですが、本日の報道では、大阪府の吉村知事が、兵庫県知事の不信任案の提出もありえると発言しました。兵庫県知事の去就について、お隣の大阪府知事にアレコレ言われるというのは、まさに兵庫県が大阪府の植民地支配を受けているということなのでしょうか。兵庫県民として心中穏やかではありません。

 ともかく、これまで兵庫県知事をかばい続けてきた維新の会もとうとう見捨てるようです。これまで斎藤県知事をかばってきたきたことを帳消しにするためなのか、維新の会が県知事不信任案を提出するとなれば、可決は確実です。であれば、これまで斎藤県知事を追及してきた他の会派も県知事不信任案を提出するでしょうから、ほぼ全議員による提案となります。

 

 さて、県知事不信任案が可決した後の日程についてです。

 8月30日(金)の100条委員会では、斎藤県知事が証人として呼ばれています。ここでどのような証言を行うかがポイントになりますが、基本的には記者会見での答えと同じでしょう。ただし、台風10号が接近中ということで、委員会が予定通りに開会されるかが実はポイントになりますが、台風10号で開会延期となれば来週に開会されるでしょう。

 

 9月19日(木)が県議会の9月定例会の初日です。ここで県知事不信任案が採決されるかもしれません(県知事不信任案は賛成3/4以上で可決:地方自治法178条)。可決となると、県知事は10日以内に県議会を解散しなければ、辞職になります(地方自治法178条)。県知事が辞職になれば、50日以内に選挙になります(公職選挙法34条)。10日+50日=60日以内で最後の日曜日の投開票と考えれば、11月10日(日)になります。

 逆に県知事が県議会を解散すれば、40日以内に選挙になります(公職選挙法33条)。10日+40日=50日以内で最後の日曜日の投開票と考えれば、11月3日(日)になります。選挙後の県議会で再び県知事不信任案が可決(2回目は1/2以上の賛成:地方自治法178条)されれば、今度は県知事が解任となります。そして、50日以内に県知事選挙が執行されます。

 県知事不信任案が可決されれば、県議会と県知事のどちらかが選挙になります。衆議院議員選挙を重なる可能性があります。


 選挙になった場合には、今度こそまっとうな候補者を選んでいただきたいです。

について、元県民局長の公益通報を

 昨日(8月25日)、大阪府箕面市の市長選挙の投開票が執行されました。現職は維新の会公認の市長で2期目に立候補し、無所属で元大阪府議会議員なども立候補しました。箕面市長選挙の開票結果は、元大阪府議会議員が当選、維新の会の現職がほぼダブルスコアで落選との結果でした。

 普通、現職で2期目の立候補であれば、現職が有利です。現職の市長は、普通にしていてもアチコチに名前が出てくるので(例えば、住民票の発行者)、市民に名前を覚えられます。圧倒的な知名度ですから有利です。ですが、悪いことをやってしまうと有名が悪名になってしまいますから、逆効果になることもあります。とはいえ、よっぽどのことをやらかしてしまわない限り、悪名ということにはなりません。

 それなのに、現職が大敗したという結果は、ビックリでした。近隣市に住んでいて、市議会で市議会議員にヤジったというぐらいです。ですので、市長自身というよりは、公認した政党の方に原因があったのかもしれません。

 他市のことですので、これ以上の分析を披露することは控えますが、大阪府内にあっては維新の会の公認というブランド力は強烈でした。そのブランドの威光が陰っているということであれば、大きな変化です。

 本日(8月25日)は第4日曜日ということで月例の青空対話集会を開催しました。

 11時からは阪急宝塚駅南側の宝塚ゆめ広場で、14時からは阪急川西能勢口駅南側のアステ川西デッキで、16時からは阪急伊丹駅北側ロータリーで、それぞれ活動しました。

 


宝塚ゆめ広場



アステ川西前



阪急伊丹駅前


 実は、先月の第4日曜日の7月28日(日)は台北に出張のため、青空対話集会に桜井シュウは参加できませんでした。桜井シュウにとっては久しぶりの青空対話集会で懐かしくやらせていただきました。

 

 本日もさまざまなご意見をいただきました。兵庫県知事は早く辞めて欲しい、自民党は総裁選をやっているようだが裏金問題や統一教会問題などは解決されていないので正してもらいたい、立憲民主党の代表選挙では昔の顔だでなく新しい人もチャレンジしてもらたい、次の衆院選では野党で協力して自民党を政権から引きずり降ろしてもらいたい、スーパーで米が全く売っていない、物価高で生活がたいへん、賃金が物価に追い付かずたいへん、パレスチナで日々多くの人が殺されているのを何とかしてもらいたい、など。

 多くのご意見をいただき、誠にありがとうございます。いただいたご意見を踏まえて、取組みを進めます。

 昨日(8月23日)は、千鳥ヶ淵戦没者墓苑で開催されたシベリア・モンゴル抑留犠牲者追悼の集いに参列しました。


(写真1:衆議院を代表して追悼の辞を述べる海江田万里副議長)


(写真2:立憲民主党を代表して追悼の辞を述べる泉健太代表)


 日本がポツダム宣言を受諾した後の8月23日にスターリンの指示により、中国東北部や朝鮮半島にいた日本人約60万人が拉致されてシベリアに送られ、極寒の中で十分な食料が与えられず強制労働させられました。過酷な環境から約6万人はその地で亡くなり、凍土に葬られました。

 1991年に日本政府はソ連政府と協定を結んで遺骨収集を進め、約2万人余りの遺骨を日本に持ち帰りました。しかし、戦後79年を経ても3万人以上のご遺体がシベリアやモンゴルなどの地に眠ったままです。

 

 先人の幾多の苦難に想いを馳せつつ、政治の責務は再びこのような苦難を繰り返さないことです。勇ましい言説が散見される昨今ですが、桜井シュウは一人一人の命と暮らしが大切される社会づくりに力を尽くしていくことを改めてお誓い申し上げました。

 

 本日(8月23日)、閉会中審査として開会となった衆議院財務金融委員会で財務大臣、金融担当大臣、日本銀行総裁に質問しました。

 





 日本銀行は、3月の金融政策決定会合で異次元の金融緩和を解除すること、7月の金融政策決定会合で金利を0.25%に引き上げるとともに国債買い入れを月6兆円から月3兆円にペースダウンすることを決定しました。

 「異次元の金融緩和」の終了の手順を2023年2月に立憲民主党は「新しい金融政策」として提案していました。この間の日本銀行の金融政策は概ね立憲民主党の「新しい金融政策」の通りに進めてきました。進める方向と手順については評価するところですが、スピードが遅いという問題があります。

 本日の質問では、物価高が国民の最大の心配事であるという内閣府の世論調査結果や、物価高は低所得者層に特に負担感が大きいとする日本経済新聞の記事、また、金融政策の修正の遅れが円安バブルと株価バブルを引き起こし今般の調整を招いたとのエコノミストの意見を引用し、金融政策の修正が遅かったのではないか、として日本銀行の見解を問いました。

 植田総裁は、適切なタイミングだったと答弁しました。

 しかし、桜井からは、朝日新聞の記事を引用しつつ、アベノミクスに基づく異次元の金融緩和の解除は安倍派の解散があったからできたのではないか、安倍派に忖度したから異次元の金融緩和の解除が遅れたのではないか、と質しました。

 植田総裁は、忖度はないとの答弁でした。

 ですが、忖度していれば、「忖度した」と答弁するはずがありません。事実は正確に説明すべきと申し上げました。また、安倍派への忖度で金融政策の修正が遅れたのであれば、物価高で国民を苦しめたことになり、自民党の罪は重いと指摘しました。

 

 FRB、ECB、Bank of Englandなど諸外国の中央銀行の金融政策では、金利引き上げ幅は0.25%刻みですが、現在の金利が4~5%であることを踏まえれば、0.25%という幅は適切と考えます。ですが、日本銀行の今世紀での最高の政策金利は0.5%です。ですから、0.25%刻みではスグにピークに達してしまいます。日本の場合には0.1%刻みにすることを提案しました。

 

 金利上昇局面では、日本銀行は保有国債に評価損を発生させてしまいます。2024年3月期には、約580兆円の保有国債で10兆円弱の評価損を発生させています。今後の金利上昇局面での日本銀行の財務シミュレーションによる財務健全性の検証について国民に公表して説明することを提案しました。

 植田総裁は、内部ではやっているが、公表できるものはない、との答弁。

 桜井からは、アメリカFRBやイギリスBank of Englandは財務シミュレーションを公表して説明していること、すなわち一時的には債券の評価損で債務超過に陥るものの、その後に回復するなどを示しています。したがって、日本銀行も同様に公表して国民に説明すべきと改めて求めました。

 結局、委員会への提出を要望して、財務金融委員会の理事会での協議事項となりました。

 

 その他、金利上昇局面では、政府は国債の利払い費(公債費)が増加します。財政が大丈夫なのかを財務大臣に確認しました。

 民間金融機関は、金利上昇は利ザヤを確保しやすくなるというメリットがある一方で、短期的には保有債券の価格下落による評価損が発生します。民間金融機関の財務健全性についての検証についても金融担当大臣に確認しました。

 

 最後に、桜井の意見を述べさせていただきました。

 金融正常化、金利引き上げに賛成というと、「緊縮派でケシカラン!」とお叱りを受けることがあります。桜井は、緊縮派でも拡張派でもなく、費用対効果、コスパ重視です。

 日本の第一の問題は、1,000兆円もの借金をして財政支出したのに、この30年間、日本経済は停滞したままです。効果が十分に上がっていないことが問題です。wise spendingやEBPMと言うけれども結果をみれば、stupidなspendingがたくさんあったということです。

 第二の問題は、日本国内に投資機会が乏しいことです。実質金利がマイナスなのに投資が増えていません。日本の経済社会構造を改善すべきです。

 現在の日本円の実質実効為替レートはニクソン・ショックのときよりも低いです。すなわち、日本経済の実力は50年前よりも低いということです。

 では、どうすべきか。

 7月に神田前財務官が取りまとめた「国際収支から見た日本経済の課題と処方箋 懇談会報告書」の内容に100%賛成するわけではないが、良いことが書いてあると考えます。処方箋も書いてあります。処方箋は分かっているのに、財務省ナンバー2の財務官をもってしても、実施できませんでした。

 できなかった理由は、内閣の責任と言わざるをえません。したがって、日本を立て直すためには、政権交代が必要と申し上げて質問を締めくくりました。

 明日(8月23日)は、閉会中審査として衆議院財務金融委員会が開会します。桜井シュウは10:00~10:30に質問します。
 明日の財務金融委員会のテーマは、7月31日の日本銀行の金融政策決定会合での金融政策の正常化です。これにより、為替市場では乱高下しながらも円高方向となり、株式市場は乱高下しています。
 金融政策は国民生活から遠いように思われるかもしれませんが、実は国民生活に直結します。というのは、金融政策の目的が物価の調整だからです。
 国民の生活をまもるために、物価高を抑えていく必要があります。桜井シュウは質問を通じてまっとうな金融政策と経済政策を提案します。
 

 

 

 
 

 本日は、54回目の誕生日です。多くの方からお祝いのメッセージをいただきまして、ありがとうございます。この場をお借りして御礼申し上げます。

 また、この歳まで元気に楽しくやりがいをもって活動できているのは、多くの方にお支えいただいているからです。このことについても御礼申し上げます。

 



 四捨五入して50になる年齢帯のことをアラフィフ(約50歳、around fifty)というようです。35歳でアラフォー(約40歳)になったときには、いい年になったなぁと思いましたが、それを越えてアラフィフも最後の歳になりました。来年からはアラ還です(約60歳、around 還暦)です。

 地方議会と国会を合わせて政治の世界に入って13年が経過しました。個別の政策で成果を上げたところもありますが、大きな課題については道半ばです。日本と課題の本丸は経済と社会の閉塞感打破、具体的には賃上げや人口減少対策。世界の課題は平和。アラ還までに、こうした課題に成果を上げていきたいと改めて決意しました。

 本日(8月15日)は終戦の日です。東京都千代田区の武道館で開催の戦没者追悼式に参列して、改めて戦争で亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げました。





 桜井シュウが生まれたのは、戦争終了後25年でした。子どもの頃は、戦争は遠い過去のことだと思っていましたが、約54年も生きてみると、自分が生まれたのは戦後、それほど時間が経過していないとき、すなわち戦争を現場で知る方々が大勢いた時代です。その頃は、戦争はもうこりごりという認識が社会で共有されていたと思います。私自身は祖父母から戦争の体験をたくさん聞かされたので、直接の戦争体験はなくとも戦争に対する忌避感は強く持っています。この感覚を語り継いでいくことが戦没者の無念の想い対するせめてもの償いになると考え、実践してきます。