褒められるって嬉しいですよね。
でも、(褒められてもなんだか嬉しくないな)という時期が私にはありました。
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親に毎日のように理不尽に怒鳴りつけられる生活を送っていた子どもの頃の私
無条件に愛して欲しいのに、
無条件に否定され続けるって辛いんですよね
どうにか自分という存在を維持するために、家以外ではとにかく他人から評価されることに必死になっていました
褒められたい、認めてもらいたい。
だから他人から評価されるような行いをしよう。
でも、それを続けていくと、自分が分からなくなっていくんです。
どこまでが自分のしたいことで、どこからが他人の目を気にしてやっていることなのか
段々と「自分」が認められたという感覚が欠落していき、褒められても嬉しくなくなっちゃいました
褒められたい。でも素直に喜べない。
「私」はどこへ行ったの?
どうしてこうなったんだろ?
私を私たらしめるものはなに?
…私と同じく母との関係に悩み、自分とはなにかを問い続けた寺山修司の作品に出会い、寺山の生み出す独特な世界観にどっぷり浸かりながら延々と考えたりしました。
大人になるにつれいろんなことが出来るようになったと思う反面、自分のしたいこと、目指すものが何なのか分からなくなって、不安で仕方がない。
いろいろ考えたりバイトなどの経験を積む中で、
やりたいことは分からなくても、やりたくないことはすぐ見つかるよな、ということに気づきました。
やりたくないって、負の感情だから受け入れるのは良くないって思い込んでたけど、そんなことはなくて。
どんなことでも自分の気持ちを自分で認めてあげる。
そしたら、「自分がどうありたいのか」が見えてくる。
着飾る必要はなく、ありのままの自分を愛せばいい。
ここ数年、そんな風に思って生きていたら、
「自分がしたことを褒められると嬉しい」という感覚が戻ってきたように思います。
したくてやっている自分、が育ってきたのかなぁ。
頑張ったじゃん、私
他人に評価されるために生きるんじゃなくて、
自分のありたい姿で生きる。
その方が他の誰かに気持ちをかき乱されることもなく、楽な気がします。
まだまだ「褒められたい」って思って行動することもあるけど、
そんな私もたまには許しつつ、
他人軸じゃなくて自分軸で生きていきたいと今の私は思います
褒められたかったら、まずは自分で褒めてあげよう
これを読んでくれた方も、自分の気持ちを大切に。
自分のこといっぱい褒めてあげましょう
今、香取くんが舞台で寺山修司を演じているんです。
見てみたいなぁ…。
私は子どもの頃、親から虐待を受けていました。
これから先、辛い思いをする子どもたち、大人たちが一人でも減るように、
そして今辛い誰かの心に寄り添えるように、
自分の虐待にあった経験から得た考え、そして今の私についていろいろ書いています。
読んでいただけると嬉しいです