「悪いことってなんで続いてしまうのだろう」

…そう思ってしまう出来事がこの数日間で起きました。


自分が救急車で運ばれてから1ヶ月経ち、体調も落ち着いてきたかな〜という日の夜でした。

ふとスマホを見ると不在着信が残っていて、誰からだろう?と名前を見た瞬間、心臓がバクバク。


何年も連絡を取っていない、母方の親戚からの電話でした。


「あなたのお母さん…って言っていいかしら。お母さんがね、救急車で運ばれて、入院したのよ。」


(母と私は中3の頃からずっと離れて暮らしています。)


母が運ばれた事実と、「あなたのお母さん」という言葉に心がギュッと締め付けられ、(これ以上聞きたくない)と思ってしまいましたが、なんとか堪えて今の状態を尋ねると、今すぐに命がどうにかなってしまう、ということでは無いらしいことと、手術するかもしれないということを教えてくれました。


そして親戚が「今言うのもあれだけど…もしものとき、分かるわよね。」という言葉を何度か言い残して、通話は終わりました。


私は電話を切ると、我慢していた涙が止まらなくなり、声を出して泣いてしまいました。


悲しいとか、心配とか、そういう感情ではなくて、


考えたくない、向き合いたくない、何もしたくない


…という、拒絶の涙でした。





このブログでも何度か書いてきましたが、私は母から虐待を受けて育ちました。

しかし、完全に恨んでるというわけでもなく、最近では母との思い出もブログで振り返っていたりしました。


子供の時より、少しは母に寄り添える様になったのかな…という思いもあったけれど、

それは今の自分の生活に「母」が存在しないから出来ていたことであり、

いざ、これからの自分の人生に一瞬でも「母」が登場するかもしれないと感じた瞬間、崩れてしまうようなものだったのです。それが今回のことで分かってしまい、自分でも凄くショックでした。




良い娘ではないかもしれません。冷たいと思う方もいると思います。

親子なんだから、お母さんなんだから、娘なんだから…。

頭では分かっているのです。母が私を虐待したのは、母がなった病気のせい。幻覚や幻聴、妄想が母を壊してしまった。

そして、今は治療もして、本来の母に戻っているということも、頭では理解しているのです。


しかし、母と向き合うことが現実的になると、私の心は全力でそれを拒否してしまう。

心は、私を守ろうとしてくれているのだと思います。


母が好きだったドクダミ。花言葉は「白い追憶」「野生」「自己犠牲」



数日後、再び親戚から電話があり、「とりあえず容態も落ち着いて、手術はしなくても大丈夫になったから、退院するよ。」という報告がありました。

そして、これからについても少し話をしました。

前回、頭の中が真っ白になってしまい自分の考えを伝えられなかったので、今回はいろいろとお伝えし、とりあえずの落とし所を見つけ、話は終わりました。


この数日の間に自分の中で起きたこと、考えたこと、まだまだ答えは見つかっていませんが、「自分の今を生きること」を大切にしたいと思います。





私が虐待を受けて、助けを求めるまでのお話はこちら↓



母との思い出については

こちら ↓


そしてこちら↓


…などに書かれています。