お久しぶりです、みかんです🍊

4月、全国各地で桜が咲きましたね桜皆さんのお住まいの地域ではどうでしょうか。




さて、今日は今まで断片的にしか語ってこなかった、虐待にあってから助けられるまでをお伝えしようと思います。

虐待というと、児童相談所などが助けられなかった残念なニュースが目立ちますねショボーン


私の場合、大人に上手く助けて貰えた成功例としてあえてお伝えしたいと思いますクローバー



長くなりますが、最後まで読んでいただけると嬉しいですぽってりフラワー


キラキラハートマカロンリボンキラキラハートマカロンリボンキラキラハートマカロンリボン

【母が母でなくなる】

私が4歳くらいの頃、母が「部屋の外にオバケがいる」と言って騒ぐことがありました。今思うと、これが異変の始まりでした。

母はしばらくして怒りっぽくなったり、
部屋の掃除をしなくなったりと、子供から見ても大きく変化してゆきます。
そんな母を見て激怒した父と毎日のように行われる夫婦喧嘩。


10年近く後になって分かることですが、この頃の母親は※統合失調症 


という病気を発症していたのです。


でも、当時は誰も気づけませんでした。

家庭内別居が続き、私が小学2年生の頃になると離婚することになりました。
まだ小さかった私の親権を父と母で取り合いになります。そんな中、「お母さんを1人にするのは可哀想」と思った私は、自ら母について行くと宣言。母と家を出ました。

【虐待の始まり】
母と2人で暮らすようになると、
最初の1ヶ月、母は何度か「父親に顔が似ている」という理由で、布団にくるまった状態の私を蹴ってくることがありました。


ここで私は、「選択を間違えた」のだと絶望しました。


その後、体への暴力は無くなりましたが、代わりにネグレクトと、理不尽な叱責という心への暴力が始まりました。


具体的に言うと、ご飯を作ってくれない、体調が悪くても病院へ連れて行ってくれない、服を洗濯してくれない、お風呂に入れてくれない。

根拠もないのに私が悪いことをしているという妄想により決めつけて1日何時間も激しく怒鳴られる。

…これが中学3年生まで続きました。

私はいつ怒鳴り出すか分からない母親に怯え、顔色をうかがいながら生きる子供になっていました。

また、小学生の頃はとにかく貧乏でした。

小学6年生の頃、ガスも電気も水道も止まってしまったときには、市役所の人が私たち親子が生きているか確認しに来たことがありました。

(中学生になるときにようやく市役所に行き生活保護を受けることになりました。)

暗く辛い毎日でした。

【身体の異変は心のSOS】
中学3年生になった頃、急に咳が止まらなくなりました。

当時、海外でSARSが流行っていたこともあり健康診断に来たお医者さんから、病院へ行くように勧められました。

それをきっかけに学年主任の先生に病院へ連れていかれました。それから数回通い、咳がウイルスなどのせいではないと言うことが分かります。


すると学年主任の先生は放課後私を呼び出し、「辛いことはないか、お母さんのことで何か言いたいことはないか」と聞いてきました。

生活保護を担当していた市役所の方が学校と連絡を取りあっていたので、家庭環境については学校も知っていたのです。

私は、「辛いこともあるけれど、この経験は将来、夢である先生になったら役立つものだし、頑張ります。」と答えました。


私の言葉を聞くと先生はため息をついたあと、「お前はなぜ身体が悲鳴を上げているのに、その声を聞いてあげないんだ。」と私を叱りました。


私は自分でもびっくりするくらい涙が溢れてきて、「辛い」「いつもお母さんが怖い」など、自然とたくさんの言葉が出てきました。

私が私のSOSに初めて向き合った瞬間でした。


先生は、「お前が『助けて』、『親から離れたい』、と言わないと助けてあげられない。ただ、『助けて』とここで言ってくれたら全力で動く。どうする?」と聞いてきました。


私は、「助けてください。親と離れたいです。」と答えました。
虐待が始まって6年。ようやく、助けを求めることが出来たのです。


そこから、学校や市役所の方と何度も話し合い、慎重に話を進め、助けを求めてから5ヶ月後に母親は強制的に入院。その後1人になった私がどう生きてゆくか児童相談所の方とも面談し、学区の問題でお世話になった中学校を転校しなくてはならない児童養護施設にはあえて入らず、中学校の近くの下宿で生活したいという私のわがままを叶えてもらいました。


そう、私はたくさんの大人たちによって助けられたのです。

【最後に】

私が自分の経験を通して同じような境遇の子供たちに伝えたいことは、SOSは伝わると信じて、まずは助けを求めることを大切にして欲しいということです。誰も助けてくれないと諦めたり、自分はまだ我慢できるからとか、私以外にも辛い思いをしている人はいるなどと自分の辛いという気持ちに蓋をしなくて良いのですハート


そして、生きることの尊さ。私は子供の頃にたくさん辛い思いをしてきたけれど、「死ぬ」という選択だけはしませんでした。だから今がある。生きることを選択した連続で、今を楽しんでいるのですむらさき音符



どうか、今辛い思いをしている子供たちに伝わりますように。

傘曇り太陽虹傘曇り太陽虹傘曇り太陽虹


母親との関係や離れるまでのエピソードについてはこちら 




大人に助けて貰えたエピソードはこちら 



の記事でも書いています。


※統合失調症の人が全て虐待などをしてしまうというわけではなく、たまたまうちの母親がそうだっただけということと、治療して社会生活を送ることができる病気ということは知っておいてくださいね。