稚内の天気はワッカラナイ | 柴犬さくらの旅日記

柴犬さくらの旅日記

yahooブログ終了によりこちらに引っ越しました。
九州から北海道まで全国を旅する柴犬のさくらです。
緑豊かな美しい日本の自然探訪と山歩きを中心に
旅で出会った皆さんとの触れあいを綴っています

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

稚内の港で、はなちゃんのパパさんと久しぶりに再会した夜は、氷雨が降ってもおかしくない位の肌寒い夜でした。

三ヶ月ほど潮風と太陽に晒されて、ますます逞しく海のナイスミドルになっていた彼は、
翌朝の出港が早いので早速食事の支度に取り掛かります。

ホタテやサーモン、新鮮な魚介類がところ狭しと並べられ、途中から一緒に航走してきた2艇のヨットマンのオジサン二人も宴に加わり、それぞれの旅の話に盛り上がりました。

今回、さくらの妹分のはなちゃんは家で留守番ですが、
神戸からのオジサンのヨットには息子夫婦がテニス観戦に英国に出掛ける時に預かり、そのまま連れて来たというプードルのルイ君が乗船していました。
(えらいお金持ちなんでしょうね~)


風が命のヨットですから、常に天気図の風向、風力を確認していますが、
これから宗谷岬を越えオホーツク海を知床方面に向かうのに、明日の風が最適らしいです。

実際に海が荒れ暴風が吹いたり、逆に風もなく海霧が立ち込めた時などは、港に何日も停泊することになります。
山よりもヨットの方が晴れ男向きかも知れません。

一夜明けて、朝早く出港の彼等を見送った後、日本最北端の線路の終点地点を訪ねてから、
高台にある稚内公園に上りました。
空は相変わらず曇り空で、晴れたら樺太が見えるというのに残念です。


その樺太に明治以降、新天地の開拓に大勢の日本人が渡り、先の戦争で終戦後までも武力で進攻して来たソ連軍に追われて、着の身着のままの日本人が逃れて来た港が稚内でした。

丘の上にはその樺太への望郷の念と記憶を留めるためのモニュメント、「氷雪の門」が建てられていて、ちょうど門の真ん中に晴れていれば樺太が見えるのですが、生憎の天気でした。
晴れ間が見えたかと思うと小雨が降り出します。


すぐ近くには、本も出版され、去年の夏にはテレビドラマとして放映されて知る人も増えてきた、8月15日に日本が降伏後も攻撃を続けるソ連軍から避難する人々に情報を伝えるため電話交換の仕事を続け、最後にはソ連軍の暴虐非道を恐れて全員が自殺した、真岡郵便局の「九人の乙女」の記念碑も遥か樺太を見詰めています。


また、南極大陸昭和基地に置き去りにされ、厳寒の南極で奇跡的に生き延びたタローとジローで有名になった樺太犬たちの記念碑も厳しい訓練を受けたこの場所に建てられています。


いずれの場所でも連れのさくらには一応説明して写真撮影しましたが、
後で画像のさくらを見ると、いずれも厳しく悲しげな顔をしているように見えました。

でも、すぐにいつもの顔に戻り、大好きなボールキャッチに跳びはねていました。
この平和が続くことを願うばかりです。
(終)