リーディング小説「生む女~茶々ってば~」
第三話 傷つくのは、こわいですか?
傷つくのは、こわいですか?
城から出た私達姉妹は、母の実家の織田家に預けられた。
けれどそこは、以前のような華やかなで勢いのある織田家ではなかった。
伯父、信長の死と共にすべてが変わっていた。
織田の後ろに、いつも秀吉がいた。
後ろ盾もなく心細い身の上の三姉妹は、肩を寄せ合うように過ごした。
秀吉は、私達の親代わり、という名目で、堂々と私達に会いに来た。
織田家の人々はみなペコペコ頭を下げ、彼の顔色をうかがった。
もし伯父が生きていれば・・・
もし浅井の父が伯父に対立せず、ずっと協力し合っていれば・・・
母も私達もこんなみじめな立場にいなかったのに・・・
と、何百回となく海に流される砂のような思いを心の中で噛みしめた。
その時、秀吉が馬から落ちた時の話しを面白おかしく話し、場を盛り上げた。
身振り手振りで大げさに話す彼のしぐさに、妹達も侍女たちも声を出して笑った。
なんてはしたない、と私は口元をきつく引き締め、無表情を決め込んだ。
この秀吉こそ父や母の仇なのに、初も江もわかっていないことがもどかしく、両手を握り締める。
憎しみと怒りで固く握った爪が肌を食いちぎり、掌に赤い血がにじむのがわかる。
だが心の奥で
「これが戦国の世の下剋上。
強いものがすべてを手に入れる。
戦では勝った方が正義だ」
とさめた目で彼を見る自分がいた。
伯父信長でさえ成しえなかった天下統一。
伯父信長、浅井の父、柴田の父、彼らと秀吉は何が違うのだろう?
どのように彼が成し遂げるのか、正直興味がある。
吐き気がするほど、嫌いな男なのに。
石のように冷たい私の顔に気づいた妹達も、笑いをひっこめ口を閉じた。
明かに気まずい雰囲気が流れ、周りは秀吉の機嫌を損ねたのではないか、緊張感に包まれた。
その時、秀吉が大声で笑った。
「おや、茶々殿はこの話がすきではなかったかのう。
わしもまだまだ修行が足りんわ。
こりゃ、まいった、まいった」
わざとらしく肩をすくめ、おどけて頭をかく秀吉に、ハラハラしていた侍女たちの顔がゆるみ、ほっ、と落したため息が聞こえた。
こうやって秀吉は周りの者たちを取り込んでいく。
初も江も、私の顔を伺いつつ口元をゆるませた。
何も悪いことなどしていないのに、私一人がのけ者のようだ。
表情を崩さず、下唇を軽く噛みしめた時、秀吉と目が合った。
彼の顔は笑っていたが、獲物を狙う目で私を見ていた。
その視線に耐え切れず、私は顔ごと庭に向けた。
庭には、母の好きだった白い百合の花が咲いていた。
翌年、秀吉は十三歳になった末の妹江を従兄の佐治一成に嫁がせた。
だが初の結婚は一年足らずで終わり、彼女は家に戻された。
しばらく一緒に過ごしたが二年後、今度は秀吉の養子羽柴秀勝に嫁がされた。
その頃、十七歳の初も従兄の京極高次に嫁がされた。
私一人だけどこにも嫁がされず、残された。
私を手に入れる為、周りに知らしめるようなあからさまな方法。
周りも私を秀吉に差し出すことが彼の機嫌を良くする方法だとわかり、やっきになって私を秀吉のそばに置こうとする。
頑なな私は、孤立していった。
秀吉は戦の合間を縫い、たびたびやってきた。
「おみやげをお持ちしました」
と満面の笑みで豪華な着物や小間物を広げる。
妹達もいない今、私しか秀吉の相手をするものはいない。
しかたなく向き合ってお茶を飲み、彼の話を聞く。
秀吉の話は、とても面白かった。
彼は三十も年上なのに、十八の私にどこか気を遣っているように見える。
それは柴田の父と母の関係に、どこか似ていた。
最初は私が自分の元城主の姪で、浅井の父や母、柴田の父を倒した罪の意識から来ているのだろう、と思った。
が、時折ねっとりした目で私を見て、隙あればボディタッチをし触れようとするので、私はさっ、と身をそらして逃げた。
それは、二人だけのゲームのようだった。
父親代わりではなく、私を女とみる男として私を口説くような言葉もあった。
私はしっかり自分をガードし、失礼にならない程度にはねつけた。
秀吉にもらった着物は、貧乏人の成り上がりもののくせにセンスは悪くなかった。
私好みの色とデザインだと思っていたら、私の侍女を手なづけ、私の好みを把握していたことが後に分かった。
次に彼が訪れた時は、受け取った着物を身に着けた。
そうすると彼が「よくお似合いになる!」と飛び上がって喜ぶ。
そうやって彼の機嫌を取る私も、やはり今は卑屈になった織田家の人間だ、と苦く思った。
私はこれまで、誰かを好きになったことがない。
ほのかに好意を抱く男はいたし、恋されたこともある。
だが私は人の心を信じられない。
もともと慎重な性格な上、私の耳に亡くなった母の言葉がこびりついている。
小谷城を出た母は幾度も恋をし、私にささやいた。
「ねぇ、茶々。
恋は何度してもいいのよ。
恋は、心を縛らない。
でもね、愛には気をつけるのよ。
愛は、心も身体も縛るの。
だから、本当に愛を知ると苦しい。
だけど、とても幸せな苦しみよ」
母の恋の相手はいくらでもいたから、一度きりの逢瀬に不自由などしなかった。
軽い恋をいくつも楽しむ母を見て、心は自分で軽々コントロールできるものなのだろうか、とよく自分に問いかけた。
母には怖くて聞けなかった。
だが伯父信長を本能寺で失った時に、母の数々のアバンチュールは幕を閉じた。
母は女を閉じ、秀吉と戦うために柴田の父に嫁いだ。
私は学んだ。
自分をしっかり閉じていれば、誰にも惑わされず、翻弄されない。
だからしっかり心に鍵をかけた。
私は人の心を信じないし、信じられない。
心を閉じていれば、何にも傷つかない。
私は傷つくのが、怖い。
だからいくら秀吉が私に好意を持ち言い寄っても、受け入れなかった。
女好きの彼のことだ。
今は私に夢中でも、いつ心変わりするかわからない。
どうせ見た目が母に似ているから、秀吉は私に母の面影を見ているだけだ。
そう思い邪険にしていたら、どんどん私への贈り物が増え、織田家の人達も躍起になり、秀吉に私を差し出そうとした。
側室として。
ある夜、彼から
「今日は満月だから、一緒に庭で月見をしよう」
と誘われた。
もちろん断れるはずもなく、渋々一緒に庭に出た。
庭の東屋に並んで腰かけ、空を見あげた。
満月が煌々と夜空に輝いていた。
夜風が木々の葉を揺らし、手をのばして葉に触れると、夜露がひんやりして心地良い。
コロリコロリ、と虫の音が聞こえ、季節が過ぎゆくのを感じた。
私達は黙って月を眺める。
この日、何かを彼から告げられる予感があった。
それを聞くのがこわかった。
自分で自分を袋小路に追い込んだくせに、不安で心臓がドクドク音を立てた。
彼に胸の鼓動が聞こえないことを祈った。
「なぁ、茶々・・・」
突然、秀吉が口を開いた。彼はまっすぐ私の方を向いて言った。
「わしは、本当にお前のことがすきなんじゃ。
すきで、すきでたまらんのだ」
三十も年上の男が、あけっぴろげに自分の気持ちをさらすことにビックリした。
だが私が口に出したのは
「秀吉様にはたくさんの側室がおられます」
とチクリ、と言ったあと
「何より秀吉様には、誰にも代えがたい寧々様がおられます」
と牽制した。
彼の妻、寧々もずっと私達姉妹の面倒を見ていた。
秀吉の手綱を握る賢い女だ。
彼らは子供はいないが、仲がいい。
秀吉は大きくため息一つ着いた。
「寧々はなぁ、わしがここまで上りつめるのを一緒に戦った大切な戦友じゃ。
だがな、わしの心に火をつける存在ではないんじゃ。
茶々はわしの心に火をつけ、わしに生気を与えてくれる」
そう言って私の手を取り、逃しはしないとばかりに自分の両手に挟みこみ、兎のような目で私を射抜く。
「茶々を思うだけで、わしは胸が苦しい。
ずっとお前のそばにいたい。
もちろん茶々にとってわしは憎い仇だ。
それはわかっている。
わかっているが、もうこの気持ちは抑えきれん。
どうしたらいいんじゃ、茶々・・・」
そう言うと、彼は泣き出した。
驚いたが、これは彼の常套文句で女を口説くための彼の演出だから、驚いてはいけない、と自分に言い聞かせる。
理性ではわかっていた。
だが私はこれまで女として自分がここまで求められたことはなかったことに気づいた。
北ノ庄城から出た私達を出迎えた時の彼の笑顔。
あれほどの笑顔を私はこれまで男に向けられたことはない。
もしや私は彼に心底求められるほど、存在価値があるのかもしれない。
もう後戻りできない、と覚悟を決め、秀吉が私の肩を抱き寄せると、私は彼の胸にそっと頭を寄せた。
腿に置かれた彼の左手がジワジワ上にのぼってくる。
ぐっと固く閉じた両足をゆるめ、身体と心の鍵を開こうとした時だった。
「ゆるすな・・・・・・」
どこからか低い声がした。
耳元で囁かれたような冷たい声に刺され、ゾクッと背筋が震えた。
私は彼の手から逃がれ、立ち上がり東屋を出て走った。
私は思わず両耳を手で塞ぎ、目を閉じた。
彼を仇として赦すことを禁じたのか、私が心を許すことを禁じたのか、わからないまま混乱した。
秀吉はいきなり東屋を飛び出した私を追いかけてきた。
私の名を呼び、後ろから抱きしめた。
その手は着物の上から私の乳房を掴んだ。
彼の下心を冷静に見つめ、私は心と身体のシャッターを降ろす。
そしてすべてを受け入れたふりをし、乳房の上の彼の手に自分の手を重ねた。
真実のない媚びた目で彼を見つめる。
私は傷つく前に、自分で自分を傷つけた。
コロリ、コロリ
私をあざ笑うように虫たちは鳴き続ける。
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あなたは傷つくのは、怖いですか?
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あなたを傷つけるのは、あなただけ。
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