夫の命日に思うこと
2023年1月23日
14時36分
脊髄原発悪性黒色腫と闘ってきた
夫が亡くなりました。
あれから1年。
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とここまでは数日前に
キロクしていて途中で断念。
まだ涙が溢れてきます。
ひいてくれていました。
戻って来ない。
看病アカウントでは
こんな事書いてます。
夫が亡くなって1年が経ちました。
脊髄原発悪性黒色腫
10万人に1〜2人が
皮膚に発症する希少がんです。
夫の場合は
原発が皮膚ではなく脊髄
似たような症例は
何名かいるとのことでしたが
比較対象にはならず
非常に珍しいと
いくつもの病院で言われました。
2020年10月
自覚症状が出る前に
会社の健康診断で
たまたま発見に繋がったのですが
その時すでに播種があり
手術不可の遠隔転移でした。
進行が早いので
年単位では生きられないでしょう。
脊髄に出来たがんの影響で
すぐに歩けなくなります。
そう告知を受け愕然としました。
わたしは前の夫を白血病で
看病の後亡くしています。
その後わたしも
卵巣がん・肺がんになり
ようやく体力がついてきた頃の
夫のがん告知でした。
2年にわたるワンオペ介護(看病)。
ゴールは【死】
という厳しい現実。
配偶者との死別の辛さを知っているのに
また闘わなければならない
気が遠くなりました。
救われたのは
夫の強さと優しさでした。
夫の事を話すとまだまだ涙が溢れて
夫の居なくなった自宅に
ひとりで暮らすのは
思い出がある分淋しさが増します。
子供も欲しかった。
何を言っても思っても
夫は帰って来ないし
『どこかで見ていてくれているよ』
などと慰められても…
わたしの実生活の中に
もう夫は居ないわけで
『だんなさまの分まで生きてね』
(この言葉が苦手です)
などと言われることもあるけど
そんな烏滸がましい考えは
わたしにはなくて
夫は夫の人生を生き抜いたし
わたしはわたしの人生を
必死に生きるしかない。
誰かのために生きられたら
どんなにいいかと思います。
夫のために…
子供のために…
わたしもがんなのに
わたしの方が先にがんになったのに
1年経ってもこんなもんです。
分かってます。
死別は2回目です。
いつになっても
傷が癒えることはありません。
介護は想像以上にキツイです。
ただ、介護中に一緒に過ごした時間は
キツイだけではなく
普通に暮らす時間よりも
深く尊い時間が
流れていたように思います。
夫が願っていたこと。
それはこの病気が
この先よい治療法が見つかり
根治を目指すことができること。
わたしも同じ思いです。