こんにちは。森本智子です。
私が何故、セラピーを始めたか。
ちょこちょこ書いてますが、息子のお陰です。
息子は1994年12月25日、阪神淡路大震災の3週間ほど前に産まれました。
22年前の7月、風邪から肺炎を起こして入院。
市民病院で検査途中に心拍停止。
神戸方面は復活しておらず、倉敷中央病院へ緊急搬送。容態が落ち着いてから再検査。
告げられた病名は三尖弁閉鎖症。大血管転移。肺動脈狭窄。サンセンベンヘイサショウ?
…お医者さんの言葉が耳に入ってこなかったことだけ覚えてます。
家庭の医学には載ってない。
専門的な知識なんて無い。
私にできることは息子の命を守ることだけだった。
風邪一つが命取り、とお医者さまに言われたのを真に受け、命を繋ぐことだけを考えてた。
刺激を与えないようにと、過保護になり過ぎた。
3歳、フォンタン術という心臓外科手術を受け、術後は浮腫んではいけないからと水分を制限。汗をかく夏の暑い時期に水分制限の生活はキツかった。お茶やジュースを欲しがって泣く息子。上の娘だけに与える訳にはいかず、娘にも色々な我慢をさせた。
小学1年の7月、お医者さんに質問があるというので定期健診の時に聞いてごらん、と答えた。
「せんせー、ボク、ジェットコースターに乗ってもいい?」
2学期にバス旅行で遊園地に行くことになってた。みんなと乗りたかったらしい。
水泳とマラソンは禁じられていたからやってなかったけど、ジェットコースターもスピードが出ることとか、止まる時にガクン、となることとか胸部に刺激はかかる。家族で遊園地に行ってもジェットコースターには乗せなかった。
「大丈夫だよ」
お医者さんから許可を得た息子は嬉しそうに笑った。
みんなと同じことが出来る。
それが息子の憧れだった。
中学1年の7月。息子は学校に行くのをしぶるようになった。
行ったり休んだりを繰り返して、私はその度にグラグラ揺れた。
今日は行くのかな?
明日は?
学校に行かない、という息子の選択を私は理解出来なかった。
「みんなと同じことが出来ない」
そう言って泣く息子に対して健康体に産んであげられなかった後悔と申し訳無さでうなだれるしかなかった。
出席日数が少ないから公立高校は受けられなかった。
幸い、岡山県吉備高原学園を紹介してもらい、途中つまづきもあったけれど恩師や友人に恵まれ高校3年間を過ごせた。
私は、高校を卒業出来たことで息子はもう大丈夫だと信じ切っていた。
専門学校2年の7月、
「俺、何がしたいのか分からなくなった」
と、息子はまた、家にこもりがちになった。
血管内の酸素濃度が低くなり、体調も崩した。
主治医に相談して診断書を書いてもらい、自宅学習とレポート提出によって何とか専門学校を卒業させてもらったけれど。
無気力に過ごす息子を見ているのが辛かった。
何の為に、私は頑張ってきたのだろう。
息子を守る為ではなかったのか。
少しでも学費を稼ぐ為にと痛む足を鎮痛剤でごまかしてパート勤めをしたのは何だったのか。
どうすればいいのか、分からなかった。
7月は、辛い思い出が多すぎる。
そう、思ってた。
3年前の7月末、悩む私を見かねた友人がヒーリングの講座に誘ってくれた。
「無気力な息子が変わってくれるかもしれない」
一縷の望みをその講座にかけた。
「何故、この講座を受けに来たの?」
と聞かれて
「息子に変わって欲しくて」
と答えたら
「お母さんが変わらないと息子さんは変わらないよ」
ズバリ言われた。
後頭部をぶん殴られた気がした。
クラクラした。
今まで頑張ってきたこと、全て無駄だったの?
むしろ、悪影響?
それなら。
…私が変わったら、息子も変わってくれる?
ヒーリングを徹底的に学んでみよう。
私を変えよう。
そう、思った。
ヒーリングも多岐に渡って学んでみた。
学ぶうちに、この仕事をしたいと思うようになった。
家族に練習させてもらいながら、私は変わっていった。
自分のことキライだった。
無価値だと思ってた。
いじけてた。
自分の正義を息子に押し付けてた。
自分のことを客観視できるようになっていくにつれ、息子も変わり出した。
1年目。
息子はバイトを探してきた。人が怖い、と言ってた息子が人が多いコンビニのバイトを始めた。貯めたバイト代で県外の友人に会いに行くようになった。
2年目。
バイトやめたい、と就活を始めた。障害者枠がある雇用を探し、面接を受け、契約社員として働き始めた。ちょこちょこ一人旅に出るようになった。
3年目の今年。
息子はお金を稼ぐ目標を持つようになった。うつむいて歩いてたのが、顔を上げるようになった。猫背がのびて、肩幅が広くなって。オトコ、の顔をするようになった。長期の休みを利用して一人旅の範囲も広がった。
資金が貯まったら、日本一周に行くらしい。
嬉しいような。
寂しいような。
でも、嬉しい。
みんなと同じことが出来ないと泣いてた息子はもう、いない。
だって、
みんなと同じにならなくていい。
私のもとには子どもさんのことで悩む方が訪れてくださるようになった。
分かる。
分かるよ。
一生懸命、大切に育ててきたんだよね。
自分のことなら我慢できるけど、子どもが辛い目にあってる姿を見るのはもっと辛いよね。
そんな話をしながら、越し年月を振り返れるようになった。
私の経験が役に立つなら、力になりたい。
泣いた7月。
迷った7月。
一人ぼっちだった7月。
…一人じゃなかった、と気づいた7月。
あなたも一人じゃないよ。
未来は変えられるよ。
可能性は、あなたの中にある。
あなたの大切なお子さまの中にも、ある。
今度は私が言う番。
「大丈夫だよ」
あなたの願いが届きますように。
あなたの大切な人に届きますように。
ここまで読んでくださってありがとうございました。
私を見つけてくれてありがとう。
あなたがしあわせでありますように。
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