先週ですか、 カレンダーでは9月も間もなく終わろうとしており、中秋の名月を控え、気になっていたのが水戸にある「偕楽園の萩」でした。実は昨年のリベンジもあり、萩まつり(9月9日から10月1日)の間に見ておきたいと、今年も残暑厳しい9月の末に偕楽園に足を向けました。ちなみに昨年の記事はこちらです。

 

  昨年は9月初旬が暑すぎたので、最終日曜を待って行ってみると、じゃーん、

 

 まだ咲き初めでした。これでは仙台伊達藩から寄贈された由緒ある萩が名月にも間に合わず「萩の月」が泣くではないか。

ああ、むなしい。

 

 さて、偕楽園の一つのシンボルともいえる「烈公梅」の前に「日本遺産」と称する標識が示されておりました。

ここからは、その翌週に東京より来た友を弘道館に案内した時の話に移ります。

 

 いつの間にか立派に再建された大手門。この奥には公立の中学高校のキャンパスがあるのと同時に江戸時代中期以降に江戸から移された修史事業の中心である「考証館」があった地であります。

 水戸学とのかかわりではこのブログにおいても、

 

 

 

 とYahoo時代の全く反応なしエッセイがネット上に残されておりますが、あれから時はいくばくか流れておりますが、

 

 至善堂の姿は変わりなく、

 

 凛とした空気を保っております。

 

「芸に遊ぶ」彼らの学んだ「芸」や「遊び」は、わしらの知っている刹那的享楽文化とは対極にあるものなのかもしれません。

天保から慶応まで一心不乱に追い求めてきた日本国のありよう、それは残念ながら彼らの求めた国体の姿とは同一ではなかったかもしれません。けれども、人の思いに勝る大御心が今なお支配する現世を見れば、彼らの魂も報われるのではないでしょうか?わしには計り知れないけれども。