とにかく読む。
小さい頃、父の部屋は壁中が全部本棚だった覚えがある。
そして、自分もまた本を読む。
今週購入した本は17冊。
どうせ「積ん読」だろー?と疑いたくなるような量に感じる人もいるかもしれない。
しかし、読むのです。
いつ読むかといえば、
朝は少し早起きして読む。
昼の休憩には当然読む。
夜は食後に読む。
スマホゲームが好きな人が隙間時間を見つけてはゲームをするように、
NetflixやAmazonプライム・ビデオで連続ドラマにハマっている人が隙間時間を見つけては視聴するように、
僕の場合は本を読むのが好きなのです。
もちろんスマホゲームも多少はやるし、海外ドラマのプリズンブレイクやウォーキングデッドなんて目にくまを作りながら観た。
ただ、読書は自分の中で娯楽として息が長い。
自分の中で読書は娯楽。好んでやりたいこと。だから続く。
あなたは本を読みますかと聞くと、いえまったく。と答える人も多い。
そんな人と話していると本を読むこと=勉強、しかも苦痛なタイプの、という意識を持っているのが伝わってくる。
そういう人に本は読むと楽しいよといくら伝えても嫌な事を押し付けてくる相手としか思わないだろう。
ある人にとっては娯楽で一日中飽きずにやっていられることも、ある人にとっては苦痛で10分ともたずやめたくなるという話で言えば自分は「パチンコ」が本当に苦手だ。嫌いではなく、苦手だ。
ギャンブルが好きな人でパチンコ好きな人は多い。開店前から並んで閉店まで打ち続けられる人もいると聞く。
僕はパチンコを打ちつづける事がとてつもなく苦痛だと感じる。たとえ勝っていても、だ。このままこの台を閉店まで打てば随分儲かるぞと言われても投げ出すと思う。
勝ち負けでなく、椅子に座ってひたすらハンドルを握り盤面を凝視することに自分の時間を費やすその作業が苦手だからである。
本が嫌いな人が読書を苦痛に感じるように、
僕からしたらパチンコを打ち続けることは苦痛なことであり、作業だ。
良い悪いでなく、ただ、そういうこと。
だから俺はやらないよというだけのことで、パチンコ店やパチンコ好きの人を否定しようとは一切思わない。そして、誰かに本を読めと強制することもしない。
誰かに迷惑をかけないなら、みんな自分の好きな事をやるのが一番良いに違いないから。
そういう意味で言うと、人参が大の苦手という人に「うちの人参なら絶対大丈夫だから食べてみて!ほら!」みたいな事は絶対やりません。
だって嫌いなものは嫌いなんだから。
どうしても食べられないものが無い僕ですが、苦手なものを無理矢理食べさせられる苦痛は理解できます。
ですから、生産者がうちのなら大丈夫だから食ってみろと本人の前で無理矢理食べさせる生産者ハラスメントには反対です。
自分の好きでないことを人に押し付けられてもNOと言える自分であるためには、自分の好きなことを人に押し付けないことも大切だと思います。