2009年春。
会社を辞めました。
その時の開放感といったら、口で言い表せない・・・
まさにノーストレス。
退職祝いと言うのでしょうか、こんなに素晴らしい花も届きました。
この時は知多郡の東浦に住んでいたので、碧南市のばあちゃんの倉庫まで通っていました。
毎日、ばあちゃんの農作業姿を見ながら、初めての農業を楽しんでいました。
かつては、畑や温室も今よりたくさんあったようですが、
ばあちゃんが年を取るに連れて作業をしていくのが難しくなり、遠くの土地から順番に手放していったそうです。
今残っているのはわずかな畑と倉庫のみ。
よくばあちゃんに、「こんな小さな畑だけでは生活できないよ」
と言われたものです。
が、農業の「の」の字も知らない僕が初めて見た300坪の畑はあまりにも広いように目にうつり、
「なに言ってんのばあちゃん、こんな立派な畑があればなんとかなるって」
なんて無鉄砲な事を言っていました。
今思えばお恥ずかしいですが
大型機械なんてものはありません。
あったのは写真の4馬力の管理機だけ。
でも、僕にとっては初めて触る農機。
「おーいばあちゃん、こんな立派な機械持ってたの~
凄いね
」
なんて大はしゃぎして、一日中こいつで畑を起したもんです
ばあちゃんとの日々はとても楽しく、素晴らしい日々でしたが、
この素晴らしい日々は「収入」を生まないということは少し考えればすぐにわかります。
それと共に、農業という世界の奥の深さ、決して「農業で儲かる本」のようにはうまく行かない事、
そんな事もわかってきました。
それに、農業をはじめたと言っても中々人に理解してもらうのが難しく、
「いいね、無職は気楽で」
「農業ってなに?遊んでるの?」
なんてことも言われ始めました。
「人はサラリーマンとして誰かに使われるか、それとも経営者として会社の立ち上げでもしなければ、
働いていると認められないものなのか・・・?
人は働くってことをどういう基準で判断しているんだろう。」
色々悩み考えました。
一ヶ月ほど過ぎた頃、ばあちゃんが言いました。
「今の私では充分に農業を教えることができない。
本当に農業で生きていくなら、先生を見つけなさい。
あんたはまだ若いから、もし農業が自分に合わないと思ってもまだ他のことができる。
でも、勉強した事はひとつもムダにならないから、先生を探して農業を学んでみたらどう?」
とは言っても、先生をどうやって探せばいいかわからないし、とりあえずPCで色々と検索した結果、
「農業大学校」というところがあることを知りました。
早速電話をかけて、色んな事を聞くと、
「基本的には2年間の寮生活で学んでもらうことになりますが、
社会人や新規就農者向けの短期研修もありますよ。
一つは現在農家さんで研修中だったり、新規就農したての方向けに、週に2回学校に来て学んでもらうコース、
もう一つは、新規就農希望者向けのコースで、9ヶ月の間、月~金まで毎日学校に来てもらい、初歩的なところから独立就農までを学べるものがあります。
ちなみに、会社を辞めて間もないという事でしたら、9ヶ月のコースをオススメしますよ。
こちらは県のセーフティーネット対策で受講中雇用保険を受け取ることができますので。
ただし、試験と面接での選考があります。」
これしかないだろーっ
即座に申し込みをして、試験も、面接も気合充分で挑みます
「本気で農業をやりたくて飛び込んできた人間を面接で落とすようでは、
農業大学校もたいしたことないってことになる。100%大丈夫だろう」
熱く、熱く、農業への想いを語り・・・
最初の研修先が決まりました。
「愛知県立農業大学校」
30名の仲間と出会い、そして農業のいろはを学んでいきます。
もちろん実際に研修圃場で露地野菜を栽培し、みっちり座学や加工、視察・・・
内容の濃い授業でした。
中でも、この授業は今でもしっかり覚えています。
「命をいただく」
生まれて初めて、鶏をさばいて、生き物が食べ物になっていく課程をこの身に叩き込み、
食を考え、命を考える機会も与えてもらいました。
入校して一ヶ月、
息子「麗凰」(レオ)が生まれました。
愛しくて、愛しくて。
ますます気合い入れないと。
その夏、僕にとって初めてのニンジン栽培のスタートがありました
その頃にはまだ機械もないし、「作業委託」という形で、地域のオペレーターの方に頼んで、
土壌消毒、耕運、畝立をしてもらいました。
のちに請求書が届き、その金額にちょいと驚いた僕は、
「機械類を早急に手に入れて、全ての作業を自分でこなさなければ利益が出ない」
と、うちの農園の機械化を強く意識するきっかけになりました。
種まき以降の作業はばあちゃんとの共同作業。
質問ばかりの僕に、ばあちゃんはゆっくり色々教えてくれました
ばあちゃんの管理が行き届き、グングン育っていく姿に胸を躍らせました
農大と、ばあちゃんとの畑の行ったり着たりの生活。
どっぷり農業漬け。
この頃から少しずつ、農業の世界でがんばっている熱い人を紹介してもらう機会が増えてきました。
秋ごろに、名古屋にて農業法人が集まる就農マッチングフェアが開催され、
そこで今お世話になっている岡崎市のK農場と出会い、
ちょくちょく見学や、手伝いに行きながら、堆肥などをわけてもらったりと、
少しずつ関係を深めていく事に。
もらった堆肥を岡崎から碧南に運び、畑に入れては鍬で耕運し、
少しずつ土を豊かにしていきました。
ある日、ふと土を手に取ると、たっくさんのミミズが。
気付けば土の色も変わってきた気がします。
「ばあちゃん、なんか土の感じが良くなってきたよ」
「うんうん、こりゃ凄い。あんたも本当に色々勉強したんだね。えらいえらい。」
冬が来て、ニンジンの収穫を目前に控えた頃、
ばあちゃんが「軽トラック、新しいのにしようか」と言ってくれました。
もうこの頃ばあちゃんはほとんど車の運転もできなくなっていたので、
僕のために買い換えてくれるようなものです。
農業を目指した僕への、ばあちゃんからの贈り物。ありがとう
その頃を境にばあちゃんは畑に出なくなりました。
アルツハイマーを発症してしまったのです。
農業を志したその初年度から、僕はばあちゃんという師匠を失い、
いきなり鈴盛農園を一人背負っていく事になったのです。
とてつもなく心細くなりながらも、
初めてのニンジンの収穫、調製、出荷
一人、これでいいのか?これはどうなんだろう?と悩む事ばかり。
○恒青果のHさんに本当に助けてもらいながらこの年の出荷をやり遂げることができました
2009年、農業に飛び込んだこの年。
農業大学校での研修、短すぎたばあちゃんとの時間、
K農場との出会い、初めて自分で作った農作物を出荷。
本当に駆け出しの一年生。
農業に夢を追いかけて、熱く、熱く走っていた頃。
詳しくは当ブログ、2009年の記事を見てやってください
お読みいただいてありがとうございました