先日、友人同士の飲み会で少し前に厚労省が発表した "飲酒のリスクや体への影響を纏めたガイドライン"(末尾URL) のことが話題になり、以下の会話が交わされた。
飲酒ガイドラインを簡単に図示すれば以下の通りである。
私はそのやり取りを聞いて読んだばかりの『晩酌の誕生』の本のことを思い出していた。
米・米麹・水で造る日本酒の歴史は、凡そ稲作が日本に伝わった時期と同じと考えてよいと言うから、約3000年前(紀元前10世紀)からに約600年後の紀元前4世紀にかけて全国的に酒造りをするようになったのであろう。
本によれば、元々、酒は神酒のこと。直会(なおらい = 祭りの酒宴行事)に於いて、神事の際に神前に捧げた神酒や神饌(しんせん = お供え)を下ろして神と共に頂くものであった。それが、神とは無関係に人々の間で酒を酌み交わす酒宴に発展し、遅くとも飛鳥時代には個人飲みもするようになった。例えば、以下の万葉歌人の大伴家持。
価(あたひ)無き
宝といふとも
一坏(ひとつき)の
濁れる酒に
あに益(ま)さめやも
家持は、「たとえ値のつけられない貴重な宝でも、一杯の濁り酒に勝ろうか」と詠っているのである。
鎌倉時代の建長四年、鎌倉幕府の北条時頼は「沽酒(こしゅ)の禁制」を出して鎌倉中で酒を売買することを禁止した。それ程飲まれていた訳だ。その後も、酒の売買禁止を全国に拡大したが、さほど効果はなかったようである。実際、兼好法師は『徒然草』の中で以下の通り酒宴の狂乱ぶりを書いている(175段)。
世には心えぬ事の多き也。何事にも酒を勧めて強ゐ飲ませたるを興ずること、いかなるゆへとも心えず。飲む人の顔、いと堪えがたげに眉をひそめ、人目測りて捨てんとし、逃げんとするを捉えて、引き止めて、すゞろに飲ませれば、うるはしき人もたちまちに狂人となりて、おこがましく、息災なる人も目の前に大事の病者となりて、前後も知らず倒れ付す。(中略)百薬の長とはいへど、よろづの病は酒よりこそ起これ。
家飲みが熊さん、ハつぁんたちの庶民にまで拡がったのは、菜種油、綿油、魚油などの灯火材料が庶民まで行き渡って明るい夜を過ごせるようになった江戸時代になってからであった(蝋燭は奈良時代には中国からもたらされていたが、高価なので庶民には買えなかった)。加えて、江戸には酒が出回り、酒屋の丁稚は家々を回って注文を取って歩いた。肴は屋台でも簡単に買うことができ、また棒手振りが毎日売りに来てもくれた。
上で引用した兼好法師の「百薬の長とはいへど、よろづの病は酒よりこそ起これ」の警鐘は江戸時代にも受け継がれた。江戸の作家・山東京伝は『鬼殺心角樽(おにころしこころつのだる)』の中で以下の通り書いているそうだ。
酒は百薬の長なりといひて、食後にお腹の盃で二つばかり、寝酒には小さな猪口で八分目ぐらい呑んでゐれば、至極体のために薬となるなり。
ここで言う「お腹の盃」とは約40mlとのこと。つまり、「夕食後に80ml・寝る前に盃八分目」を限度とせよ、ということである。80ml+α ≒ 90ml と見なせば、冒頭に揚げた厚労省の飲酒ガイドラインの四分の一(男性)もしくは半分(女性)だから晩酌としては甚だ物足りない。松尾芭蕉やその弟子・其角も独酌の文や句を残しているが、行間から受ける印象はとても90ml以下しか飲まなかったとは到底思えない。
以下の写真は、山東京伝の『教訓乳母草紙』にある挿絵である。これは、春米(つきごめ)屋の主人・きね右衛門とその妻・おみのが夫婦で晩酌やっているシーンである。おみのは鍋の中に箸を入れ、きね右衛門は箸を立てて食べるタイミングを伺っている。長火鉢の銅壺(銅や鉄製の湯沸し器)に入れたちろりで酒に燗を付けている。
かと思えば、松亭金水は『花廻志満台(はなのしまだい)』の中で、お吉という髪結女が人と言い争いをしてむしゃくしゃしながら夕方に帰宅し、やけ酒を飲む準備に取り掛かっている場面を描いている。
独(ひとり)で何か訥々(くどくど)と呟きながら燧筥(ひうちばこ)とり出して打つ石と鎌、お吉「エゝじれってへノウ。人を空戯(こけ)算段が違やァ火までつかねへョ。誰ぞ水でもぶっかけやァしねへか。火口(ほくち)が湿(しめつ)てゐるやうだ。
江戸時代には「晩酌」とは言わず、「寝酒」と言っていた。明治になると蝋燭や菜種油・綿油・魚油などに代わって石油ランプを使うようになると、夜はより明るく且つ長くなった。それに伴い、晩飯のときに飲むのが「晩酌」、寝る前に飲むのは「寝酒」と区別するようになり、今日に至っている。
こうして見ると、過去約2500年の間に酒と肴の質は随分向上したが、人と酒の関わりは全く変わっていないことが分かる。「酒は百薬の長」とか「酒は命を削るカンナ」とか言うが、飲める人は喜びにつけ、悲しみにつけ飲む。「一杯にして人酒を飲み、酒二杯にして酒酒を飲み、酒三杯にして酒人を飲む」などと言いながら飲み、それを見た飲めない人は「酒と書いて気ちがい水と読みまする」などと言ったりする。まあ、『人酒関係不変の法則』とでも言おうか。
https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_37908.html