日劇最後にも「僕たちはきたない大人になりたくない」って、ジュリーの言葉 | 咲くLOVE会@驚く未来へpart 3

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こんにちは!巨人と三宅一生の大ファン、ココ・シャネルを尊敬し、マスコミを信じる運動不足人間と甘いものは苦手。そんな私は2021年4月、人生のフィナーレ舞台を開始します。

 現在の有楽町マリオンの場所に、昔々、日劇が建ってました。

 私も、大学生時代にはウェスタンカーニバルってのを見に行ったこともありました。

 その、日劇が壊される直前の、最後のウェスタンカーニバルの、ザ・タイガースの映像があるなんて! 1981年の1月の!

 

 

 

 

    沢田研二さんの現在のファンの皆様!

      【さよなら日劇 ザ・タイガース】と

    検索してくださいませ。

    大昔からの大ファンさまは、ご存じでしょう。

 

 私は数日前に悪友の一人に教えてもらって、初めて見て、泣きそうになりました。これはニッポン放送の記事です。

 

 

 

 

 ザ・タイガース解散からぴったり10年たって、サリーにタローさんに、トッポ、そしてシローが歌ってます。この写真は「タイガースのテーマ」を歌っているところで。(いまさらながら、元気なシローが死んでしまったなんてね・・・)

 

 

 

  最初の頃に「僕たちはきたない大人になりたくない」って、やっぱり、10年たっても言ってるのですね!!

 

 

  『ロング・グッバイ』の3番、ジュリーの作詞の最初は「僕らはきれいな大人になれたかな 歳ばかり重ねてきたな」

 

 

  ザ・タイガース時代の若者たちは、芸能界で、きたない大人をたっくさん見てきたのだろうと私たちは思ってたです。

 

  温和な人だけれども、大正生まれの父親に至っては、バカ娘が{日本の芸能人のファンになるなんて、わけわからん状態}のままでした・・・それもそのはず。

  大手(?)暴力団組長お気に入り、っていう歌手が、昭和を代表する歌手だと言われてるなんて・・・そもそもマスコミに出てくるなんて、現在ならアカンでしょね、さすがの日本でも。

  当時の演歌のなんというか・・・。

 

 

 

  さて、今年は、母の日に、悪友3名が我が家に集合して、巨大なスクリーンで【最後の日劇のザ・タイガース】を鑑賞します(笑)。

 

 動画があることを教えてくれた悪友が、我が家にある、オンライン授業用に買った馬鹿げて大きなPCで見たいといったのです。

 それもいいけど・・・プロジェクターもスクリーンもあるよ。

 ってことで、大昔の8ミリフィルムみたいな感じで、鑑賞会。

 

 どの教室にもデジタル機器がある時代になるのは21世紀も10年代の最後あたりで、その前には、何しろ1996年から私は授業でPowerPointを使ってましたから、プロジェクターとスクリーンを買って、研究室から教室まで持ち歩く、という考えられない重労働をしてたのです。

 もったいないから、退職するときに家に持ってきましたが、まさか、家の中で使うことがあるとは思わなかった。

 

 小学生時代に我が家の母親にかわいがってもらった、って記憶が残っているという彼女たちは、今年はカーネーションを届けてくれるのだそうで。

 

 

 

 

 

  最後のウェスタンカーニバルは、81年1月末かぁ・・・

  それどころじゃなかった時だったから、まったく見ていなかったのでした。

  修士論文の最後の最後の仕上げ。いやそれより、博士課程の試験に合格してるのに「1円もお金は出さない」って両親がいじめていて、困ってた(広告代理店のアルバイトなどは家庭教師の数倍のお金になりましたから、なんとかなると私は思ってましたが、それでも、ザ・タイガースどころではなかった・・・)。

 

  我慢して頑張っていたおかげで、日劇跡のマリオンにも頻繁に、バブル期にはほんと、頻繫にお仕事で呼ばれるようになった・・・頑張ってきたから「きたない大人」にはなってないです!!!

 

 

  今。最後のウェスタンカーニバルのザ・タイガースを見ていて、「何かやらなくては病」が久しぶりに私の中で顔を出しました。ロシア語は完璧に駄目、駄目、駄目でした(もう、降参した)が、何か、新しいことを学び始めたいと思います。