10分でわかる菅原伝授手習鑑「寺子屋の段」【文楽・歌舞伎のあらすじ】 | さきじゅびより【文楽の太夫(声優)が文楽や歌舞伎、上方の事を解説します】by 豊竹咲寿太夫




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 10分でわかる寺入り・寺子屋の段





菅原道真すがわらのみちざねといえば名前くらいは知ってる、という人は多いのではないでしょうか。


道真は流罪で九州へとばされています。

そんな道真を邪魔に思っているのが、藤原時平ふじわらのしへい菅原家を消そうと暗躍しています。


道真の子どもの菅秀才かんしゅうさいは、武部源蔵たけべげんぞうという人の家に匿われています。


今日のお話、「寺入りの段」「寺子屋の段」はそんなところから始まります。






----寺入りの段----





武部源蔵の家は寺子屋です。大勢の子どもたちが源蔵の家に読み書きを習いに来ています。

我が子として匿われている菅秀才ももちろん一緒に勉強しています。


器用な子もいれば、不器用な子もいるものです。

その中には、もう十五歳になる子もいます。

「皆、見ろ」

そう言って、おもむろにその子は熱心に筆を走らせていた半紙を見せびらかしました。


そこにはでかでかと坊主の落書きが書かれてあります。

「せっかくお師匠さんが留守なのに、勉強するなんてもったいない!おれは坊主を書いてやった!」


そんな、不真面目なよだれくりをたしなめる声がありました。

「一日に一字学べば、三百六十字との教えです。そんなことをしていないで、本を書き写しなさい」


菅秀才でした。

阿呆のよだれくりは、頭に血が上り「マセガキめ!」と叫びました。


それを見ていた他の子たち。

「兄弟子に逆らうよだれくりを懲らしめてやろう」と、わっとよだれくりに掴みかかりました。


乱闘です。子ども達が喧嘩を始めたところで、女の人が部屋に入ってきました。

彼女は、戸浪となみといって、源蔵の奥さんです。

「いつもの喧嘩?ああ、嫌だわ」

子ども達はぱっと喧嘩をやめました。

「源蔵さんはいつ帰ってくるのかしら。今日は寺入りする子も来る日だというのに」


戸浪は子ども達に向き直りました。

「さあ、お昼からはお休みにするから、ちゃんと勉強してちょうだい」


「やった!休みだ!」

とたんに、子ども達から歓声があがります。

子ども達はおとなしく勉強を始めました。


と、玄関口から声がしました。

寺入りの子かしら、と戸浪は玄関に向かいます。

外にいたのは、利発そうな女の人と、七歳ほどの男の子でした。


「どうぞお入りください」

戸浪はそう促します。

女の人は笑顔で「はい」と答えると、男の子を連れて中に入りました。


「私どもは村はずれに暮らしている者です。この子のお世話をお願いするため、早速連れてまいりました。こちらにもお子様がいらっしゃるのですね」


女の人の言葉に、戸浪は菅秀才を招き寄せました。

「この子が源蔵の跡取りです」


「これは、よいお子様だこと。他にも大勢お子さんがいらっしゃるのですね。大変でしょう?」

「いえいえお気になさらないでください。それで、寺入りはこの子ですか?」


「はい。小太郎と申しまして、わんぱくな子でございます」

「とても気高い良いお子様ですわ。村の集まりに源蔵も出かけています」

「それではまだお帰りでないのですか」

「もしよろしければ、呼んでまいりますわ」

「いえ、それなら私も行かなければならない所がありますので、その内にはお帰りになるでしょう」


といって、小太郎の母は家の外に向かって、「その持って来た物をこちらへ」と声を上げました。


威勢良く返事をして、遣いの男の人が重箱と包みを持ってきました。

中には、蒸し物や煮物が入っています。


「ほんの心ばかりですが、よろしくお願い致します」


そして、母は小太郎に向き直りました。

「小太郎、ちょっと隣村まで行ってくるから、おとなしくしているのですよ。それでは奥様、少し出てまいります」


「お母さん、一緒に行きたい」


去ろうとした母に、小太郎は縋り付きました。母はその手を、ぱっと振り放します。


「もう大きいのですから、後を追ったりしてはいけません」

母は厳しい口ぶりで小太郎を嗜めます。


「すみません、まだ分別がない子で」

「仕方ないですよ。ほら、おばさんが良いものをあげましょう。奥さん、どうぞお行きになって」


「はい。それではちょっと行ってきます」


そう言い残し、母は源蔵の家を出て行きました。



後を追う子に、後ろ髪を引かれながら。振り返り、見返りながら。





----寺子屋の段----





しばらくして、源蔵が帰ってきました。すぐれない顔色です。

蒼白な顔で子どもたちをじろりと見回し、

「どの子も山育ち。役立たずめ」とぼそりと呟きました。


戸浪が小太郎を連れて源蔵のそばに寄りました。

「顔色がわるいですわ。山育ちは当たり前の事。今日は約束していた子が寺入りしましたよ。機嫌直して会ってやってくださいな」


小太郎は、むすっとしている源蔵の前で手をつき、「お師匠様、今からお頼み申します」と深々と頭を下げました。


びっくりしたのは源蔵です。ぎょっとした顔で、じろりと小太郎を見つめました。すると、どうしたことか、その顔色が良くなっていきます。


「気高い子だな。公家の子と言っても恥ずかしくないほどだ。おまえは良い子だ」


けろりと機嫌がよくなりました。

源蔵は戸浪に向き直ります。


「この子の母はどこに行かれた?」

「あなたの留守の間に隣村へ言ってくると」

「なるほど!戸浪、子どもたちを奥の部屋へ。遊ばせてやりなさい」


戸浪は源蔵の言葉通りに、子どもたちを奥の部屋へとやりました。

襖をしめ、源蔵の方へ寄ります。


「先ほどの鬼気迫った顔色、おかしいわと思った瞬間に、あの子を見て打って変わっての機嫌。なおさらおかしいわ。何かあったの?」


源蔵はどっかと腰を下ろし、渋い表情になりました。

「うむ。今の村の集まりだが、食事会というのは口実だった」

「どういうこと?」


「そこにいたのは、藤原時平ふじわらのしへいの家来、玄蕃げんば松王丸まつおうまるだったのだ。松王丸はどうやら病をわずらっている様子だったが、厳しい口調で詰め寄ってきた。菅秀才を匿っているのは分かっている。首を討って、渡してもらおう、と」


戸浪ははっと息をのみました。


「しかし、若君の首を討つなど、出来る筈が無い。身代わりをたてようと思ったが、浮かぶ顔はどれも似ても似つかない田舎育ちばかり。それが、どうだ。あの寺入りをした子どもは!気高く、器量がいい。身代わりで欺き、この場を逃れる事が出来る」


「でも、その松王丸という男は、たしか道真様の家臣、梅王丸と桜丸の兄弟でしょう?若君の顔は見知っている筈ですわ」


「そこが、一か八かだ。生き顔と死に顔は変わるもの。似たあの子をもはや偽とは思わないだろう。もしばれるようなことがあれば、松王丸もろとも皆切り捨ててくれる。残る問題は、小太郎の母だ」


夫の覚悟に、戸浪は考えます。


「女同士の口先で、騙してみましょうか」


「いや、ことによったら母もろとも」

戸浪は、ひゅっと息を呑みました。


「若君には替えられまい」


重い声で源蔵は言いました。鬼になって、と夫婦は覚悟を決めます。

「今日という日に寺入りしたのは、あの子の宿命なのでしょうか」

「報いは、地獄でうけよう」





***





玄関が騒がしくなってきました。

子どもたちの親の声です。彼らのそばにいるのは、どうやら玄蕃と、首をあらためる役の松王丸です。


松王丸は口を開きました。


「病気ながら拙者が首の検分役をつとめるのは、他に菅秀才の顔を知る者がいないためだ。百姓どもがぐるになって逃がさないためにも、今からひとりずつ呼び出せ」


有無を云わせぬ口ぶりに、親たちはそれぞれ玄関から子どもたちを呼びはじめました。



しかし、出てくる子、出てくる子、あとけない田舎の子どもばかりです。


子どもを全員呼び出しても、松王丸ののぞむ子どもはいませんでした。





ほどなく、ふたりは寺子屋に踏入りました。


部屋の中で待ち構えていた源蔵夫婦と正面から向き合いました。


「源蔵、この玄蕃の目の前で首を討つと請け合った菅秀才の首、受け取ろう。早く渡せ」

玄蕃がずいと詰め寄ります。


松王丸は静かに源蔵へ眼光を光らせました。


「時間稼ぎをして、裏から逃がそうとしても無駄だぞ。すでに家来どもが裏道を塞いでいる。また、身代わりの偽首をたてようなどと無駄なことを考えるな」


そう言われて、源蔵はぐっと咳上げます。


「いらぬ念押し。まぎれも無い菅秀才の首をすぐに差し出そうではないか」


「うむ。その舌の根が乾かないうちに、さっさと討つがよい」

「早く斬れ」


源蔵は取り乱さぬよう、気持ちを押沈め、菅秀才のいる奥の部屋へと入っていきました。


松王丸は戸浪と玄蕃が残った部屋をぐるりと見回し、目を眇めました。


「合点がいかない。先ほど帰っていったガキどもの数と、机の数が合わん。一脚多いではないか。その子どもはどこにいる」


戸浪は呼吸も止まる思いです。


「い、いえ、今日初めて寺い、いえ、あの、寺参りした子がいます」

「む、馬鹿をいうな」

「い、いえ、それが、菅秀才のお机ですわ」


しどろもどろに戸浪は言葉を絞り出します。




と、奥から剣が振り落とされた重苦しい音が響きました。



戸浪は「はっ」と自分の肩を抱きました。





厳かに源蔵が首桶を抱えて部屋から現れました。



「菅秀才の首を討ちたてまつった」

松王丸の目の前に首桶を置きます。


「さあ、松王丸、しっかりと検分せよ」

松王丸はぐっと首桶を引き寄せ、蓋を引きあけました。





中に入っていたのは、小太郎の首です。





源蔵は刀の柄に手をやり、松王丸の検分を見守ります。


戸浪は天に祈ります。


眼力を光らせ、松王丸は首をじろりと見据えました。




「これは、菅秀才の首に間違いない!」


びっくりしたのは源蔵夫婦。玄蕃は松王丸のことばに、

「でかした。よく討った。褒美に匿った罪を赦してやる。では松王丸、少しでもはやく時平さまの元へ」

「いや、拙者はこれから暇を頂く。病気の保養をいたす」

「おお、役目はすんだ。勝手にしろ」


玄蕃は松王丸から首を受け取ると、館へ向かって急ぎ足で去っていきました。


松王丸もまた、駕篭に乗り込み、去っていきました。





ふたりが去ったのを見届けると、夫婦は玄関をぴっしゃりと閉め、いまだ高鳴る胸をなで下ろしました。

そこへ、再び玄関を叩く音。


「寺入りの子の母です。遅くなりました」

小太郎の母の声です。


「一難去ってまた一難。どうしよう」

戸浪が声を震わせます。

しかし、源蔵は胸を据え、

「狼狽えるな。若君には替えられん」

と戸浪をぐっと押し退けました。



玄関をがらりと開けると、母は礼儀ただしく会釈をしました。


「お待たせ致しました。迎えに参りました」


「奥で子どもらと遊んでおります。どうぞ連れて帰ってください」

源蔵は真顔で言いました。


「そうでしたか。では、連れて帰ります」

そう言い、母は玄関から部屋へと上がりました。


背を向けたところへ、隠し持っていた剣をふりかぶる源蔵。

ひと討ちにしてくれる、と源蔵は剣を振り下ろしました。


危機を感じたのか、すんでのところで小太郎の母は剣を避けました。


逃がすものか、と源蔵が血眼で斬りつけようと追いつめます。


咄嗟に母は、小太郎の机文庫で、振り下ろされた源蔵の刃を受け止めました。


まっぷたつになる机文庫。

その中からは予想外の物が出てきました。言葉を失った源蔵。


『南無阿弥陀仏』と書かれた旗と経帷子がでてきたのです。


「どういうことだ」

源蔵は戸惑った顔です。


母は涙をはらりと流しました。

「若君菅秀才のお身代わり、無事にお役にたちましたか」


「ど、どういうことだ。承知なのか」

「承知だからこそのこの経帷子です。この六文字です」

「いったい、あなたは何者なのだ」


尋ねる源蔵の声を聞いたかのように、戸口から声がしました。


「千代、喜べ。息子はお役にたったぞ」


男の声に、母、千代はわっと泣き崩れました。

「未練者め」と叱りつける声とともに入って来たのは先ほど帰ったはずの、松王丸でした。


夫婦は驚きのあまり声も出ません。


源蔵は松王丸の前につっと出ました。


「これまで敵と思っていた松王、いったい、これはどういうことだ」


「うむ。ご不審はもっとも。ご存知だと思うが、我ら兄弟はそれぞれ別れて奉公に出ていた。情けないことにこの松王は時平公に仕え、親とも兄弟とも絶縁状態だった。昔からご恩を受けている道真公とも敵対することとなってしまった。主従の縁を切ろうと病気と偽ったが、菅秀才の首を見れば暇をやるといわれ、今日に至った。まさか貴殿が討つことはないだろう、身代わりをたてようと思うに違いないと考えたのだ。しかし、身代わりになる子がいなければどうしようもない。そこで女房千代と話し合った。今こそ道真公にご恩返しする時だ、と。息子を身代わりにしよう、と」


松王丸の言葉に、千代はせきあげました。

「思い返せば、別れの時、あの子がいつになく跡追ったことを叱った時の、その悲しさ。包んできた祝儀はあの子の香典。四十九日の蒸し物まで持たせて寺入りさせるほど悲しいことなんてありません」

千代は泣き伏しました。戸浪は彼女のもとに立ち寄ります。


「夫、源蔵が身代わりをたてると思いついた時に『お師匠様、今からお頼み申します』と言った時のことを思い返すと、骨身がくだけます」


「千代、泣くな。家で存分ほえたではないか。源蔵殿、申し付けて来させましたが、最期は未練な死に方をしたでしょう」


「いいえ、若君のお身代わりと言い聞かせたら、潔く首をさしのべて」

源蔵は答えました。

「あの、逃げ隠れもいたさずに、ですか」


「にっこりと笑いまして」


ぐううと松王丸が拳に力を込めるのが分かりました。

「あの、にっこりと笑いましたか。にっこりと笑いましたか・・・、笑いましたか・・・、笑いましたか」


喉が詰まったように、松王丸は笑い声を上げました。


「でかしました。利口なやつ。立派なやつ。健気なやつ。お役にたったは孝行者です。手柄者と言って思い出すは、切腹した桜丸。息子のことを思うにつれ、思い出す」


松王丸が見せた、悲嘆の涙は、家族を忘れることはなかった痛みなのでしょうか。

「桜丸様に、冥土で小太郎が会いますわ」

千代が「わっ」と松王丸に縋り付きました。

嘆き声が漏れたのか、奥の部屋から菅秀才が出てきました。

「わたしに代ると知っていたならば、そのような悲しみはさせなかったのに」

そう言って、菅秀才は涙を拭いました。


「若君様、御土産がございます」

松王丸は立ち上がり、表にいる家来を呼びつけました。


家来たちは何やら乗り物を担いできました。

「御出でください」

そういって松王丸が開いた戸から出て来たのは、行方不明になっていた道真の御台でした。


「母様!」

ふたりは互いに駆け寄ります。その様子を見て、源蔵は松王丸に尋ねました。

「いったいどこにおられたのだ」


「北嵯峨の隠れ家におられたのを時平の家来が聞き出してきた。時平に捕えられる間一髪のところを、それがしが山伏に姿をかえてお助け申したのだ」


松王丸は千代の方を見ました。


「女房、あの乗り物へ小太郎の死骸を移し、野辺の送りをいたそう」


千代は返事をし、戸浪が抱いてきた小太郎の死骸を受け取ると、乗り物へ乗せました。





松王丸夫婦は上着をとります。と、その下に着ていたのは白無垢でした。


心を察した源蔵夫婦。


「野辺の送りに親の身で子どもを送ることはなさるな。我々が代りましょう」


「これは我が子ではありません。菅秀才の亡がらなのです」

松王丸は決然と言いました。


「さあ、門火を」

皆が涙に包まれ、冥土の旅へ小太郎を見送ります。


いろはを書くほど幼い子の、あえなく散った命。


明日からの夜は誰が傍で眠ってあげるのでしょうか。


夫婦はあさい夢を見ている心地で、鳥辺野へと連れ帰っていくのでした。








豊竹とよたけ咲寿太夫さきじゅだゆう


人形浄瑠璃文楽ぶんらく
太夫たゆう
国立文楽劇場・国立劇場での隔月2週間から3週間の文楽公演に主に出演。
モデルとしてブランドKUDENのグローバルアンバサダーをつとめる。

その他、公演・イラスト(書籍掲載)・筆文字(書籍タイトルなど)・雑誌ゲスト・エッセイ連載など
オリジナルLINEスタンプ販売中




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