人間的な進化と霊的退化 | 宇宙・自然・輪廻・万物の理の中で魂と共に自分を生きる✴︎自由が丘kotowari〜理〜麻結サキ

宇宙・自然・輪廻・万物の理の中で魂と共に自分を生きる✴︎自由が丘kotowari〜理〜麻結サキ

二子玉川→自由が丘のプライベートサロンにてセッションやヒーリング、講座などをさせて頂き11年目。ヲタク気質の探求者。本来の感覚や意識の広がりを思い出し、自然や宇宙の理の中で、魂の目的と『自分』をどう生きるのか。ソウルプランティーチャー日本人第一号。


こんばんは星

10月を迎え空気が変化したのを感じますね。



笑顔は万国共通
笑顔で接客
笑顔で挨拶
笑顔は人を幸せにし
笑顔に人は安心する
 

私自身も当たり前のように笑顔は良いものと思っていました。


でもそうなったのは実は、
歴史の中で近年なのかもしれません。





9月末に3回目の阿寒の地を訪れました。

蝦夷地のなかでも、ひときわ阿寒の地が大好きです。



その響きも、自然も、人も。


なぜなのかや、

多くの方に知ってほしい前田正名さんと前田一歩園財団については以下の記事に綴っています。


初めて阿寒に訪れた時から毎回会いに行っている方もまた、

前田一歩園との関わりがあり、

お父様の代から山や森を護ってこられたこと、今回初めて知りました。



アイヌの文化に触れる度に

何か、どこか、触れられないような
閉ざされているような感覚を感じていました。

悲しみや痛み
まだまだ和人とアイヌには隔たりがあるのか?


それもまた自分の内側の現れなのかもしれないなど


感じている違和感は何なのか?
訪れるたびに感じていました。



そして今回やっと少し感じられたことが
冒頭の文章と繋ながります。



もしかしてアイヌの人たちは、笑顔ではなく
内側を見せない、それが普通で
そこに良いも悪いもなく

そういう性質なのでは?


違和感を感じている私の方が概念に縛られているのかもと、今回ふと感じました。



野生動物は笑わず
飼い慣らされた動物は笑う




大祭など、儀式や祭祀で笑顔はありません。


表情豊かな宇宙人を私は知りません。




もう何度も綴っていますが、


昔のきれいは『氣零』

その人の氣の状態がプラスにもマイナスにも偏ってない状態がきれいだったように

感情や表情もまた常にフラットで


そこに大きな起伏はなく中庸または無で在れることが普通だったのかもしれません。




魂と本当に繋がっている時に私たちは急ぐことはできず、

自然と動作がとてもゆっくりとなり

大きな満ちた感覚はありながらも
内側はとても静かでフラットで無であるように。




思い出すとネイティブアメリカンも
アボリジニもエスキモー、インカ

先住民たちの笑顔の記憶はなく




それはカメラというものの前でもあるかもしれませんが、

それ以上にいつもの姿でもあるのかもしれません。



思い返すと、祖父母の結婚式などの写真も
みんなすました顔

人前で感情を出すことは、"はしたない"ことだったのかもしれませんが、


でも『はしたない』は"氣零"

中庸の大切さや美学がまだ残っていたからなのかもしれません。


にっこりと笑うことは綺麗で、氣零ではなかった。




笑いの文化も18世紀に入ってからなのだそうです。


すべての芸事は神に捧げるものだった所から
自分たちが楽しむためのものとなっていった。



競争社会と物に価値がある時代の流れとなり

目に見えないものより
目に見えるものが重要となっていき、


霊性や繋がりを失い
仕事が神への仕え事・奉仕から労働となり

私たちには楽しみが必要となった。




絵画がなぜか恐いと感じたことはありませんか?


よく見ると天使も女神も誰も彼も表情があまり読み取れない。


フラットで笑顔がないのです。




モナリザの微笑みって、

よく見ると大して微笑んでなどなくて


この程度で微笑みと言えちゃうくらい

かつては誰もが真顔だったのかもしれません。




現代人ほど表情豊かで


それは人間としての肉体の進化ではあるのかもしれません。



何かが衰えると

その代わりに、違う器官が進化するものですから。




霊性や霊的感覚や器官が衰えた代わりに

私たちは人間的な感情は豊かになり、表情や表現が豊かになった。



嬉しいような、悲しいような(笑)




でもまた霊的に進化していくと


感情の起伏は少なくなり

個より全体性に意識が向き

また外側より内面に意識が向く


霊的成長と共に人間的な感情や表現はなくなっていくように感じます。




先住民族は、現代人によって翻弄されながらも

それでも失っていない霊性や自然界との繋がり


無や中庸であり続けるからこそ

いつも真顔で

それがらかつての"氣零"ならば


その有り様から私たちの方が思い出さなければならない事があるのかもしれません。




そんな事を感じ、気付いた

阿寒の旅でした。



到着した日も


帰る日も

虹が見えました。


行きは一瞬、帰りは長く


この地の虹は遠くではなく


手を伸ばしたら触れられそうなほど

その始まりが近くに感じます。




ラヨチ(虹)


アイヌの人たちにとっての虹は妖怪や魔物の類とされ良いものではなかったようです。


文化によりどんなことも捉え方は様々ですね。




2024年6月末か7月の初めに
阿寒湖でリトリートが出来たらなと感じています。


みなさんにこの地をぜひ感じて欲しいですし
特にお連れしたいお店が二つあります。

天然石やクリスタルが好きな方は特におすすめです。


そのほかにみんなで船をチャーターして
阿寒湖の中の白龍の島へも
行けたらなと感じます。


豊かで、活きた自然。
精霊の質が違うという感じでしょうか。



3回目の今回は阿寒湖のほとりではなく

阿寒川のほとりで過ごしました。



何もなくて

ただ川がある豊かさ。



数名の方から個人セッションでドラゴニックチャートをとご連絡を頂きました。


明日はオンラインにて、そのセッションです。









明日もあなたらしく在れる1日になりますように赤薔薇



生きとし生けるものが幸せでありますようにピンク薔薇 




一なるものから生まれ出た全ての存在に愛と感謝と祈りを込めてクローバー