12/1(日)
02:15、妻は永眠いたしました。
2022/09/09初発腫瘍摘出術より、
2024/12/01、永眠、0:40(死亡診断2:15)
でした。
昨晩のチェーンストーク呼吸から、カミさんのベッドを囲み、家族水入らずで、アラジン見ながら、お菓子食べたり、お酒飲みながら、過ごしました。
看護さんが、帰り際に、血圧70程、脈拍160程です。
後は、脈拍が下がってきて、、、と。
カミさんの体は、顔、手、足と、徐々に冷たくなってきて、足元に置いておいた湯たんぽのお湯を入替えたり、家族で、カミさんの手を擦ったりしながら過ごしました。
日付が変わり、無呼吸時が増えてきて、とても辛そうと言うか、難儀そうに。
眉間にシワは、それ程よっていませんでした。、
0:30頃か、呼吸が止まった!と思ったら、結構長い間が空いた後、ハァ〜と、
深く、浅く、無呼吸がきて、が数回あり、、
とても長い無呼吸時間を過ごし、
0:40頃、完全に呼吸が止まったと、家族で認識、看護さんに連絡。
直ぐに看護さんが到着して、直ぐに暖房を全部切って下さい!と。
バイタル、瞳孔の状態を確認し、お亡くなりになっています、と。
何時に、息を引取りましたか?と。
看護さんが、訪問診療医へ連絡。
体が硬直する前に、お洋服を着せましょう!と。
看護さんと家族で、カミさんの体の清拭、洗髪、陰部洗浄を行いました。
清拭前には、看護さんが、何度も、お腹を強く押して、ウンチ君を出そうとしていました。
オムツを新しくして、お気に入りの服では無いかもしれませんが、普段着を着せました。
奥様の、ご愛用の化粧品はございますか?と。
お化粧をして頂きました。
顎が開いているのを閉じさせるために、タオルで押さえていました。
目は、チョッと開いていましたが、完全には閉じませんでした。
全部終わって、一息ついた、1時間半後位に、訪問診療医の、夜間バイトの先生と看護師さんが到着。
死亡確認し、2:15、ご臨終です。
と。
何故か、誰も涙は流しませんでした。
多分、十分にお別れできたからなのかな、、、
死亡診断書を頂き、葬儀屋さんへ連絡。
当てにしていた葬儀屋さんは、混んでいてダメと!
有名どころをご紹介出来ますが、で、一応依頼し、直ぐにその他の葬儀屋を探し、テレビCMの葬儀屋さんへ電話して、そこにお願いする事で、話を進めました。
カミさんの妹さんへ、LINEで連絡。
遅くに連絡したのは、佐渡に居住を考慮し、看護さんと相談したうえでの事でした、。
1時間半後位、5:30頃、葬儀屋さんが、ドライアイスを持ってきてくださいました。
葬儀の内容のお話しを10時に、お伺いしたいと思いますと、帰られました。
一段落したところで、家族で、リビングのゴロ寝で、チョッと遅い朝まで仮眠しました。
葬儀屋さんが、来られて、葬儀プランの相談と決定を。
私らは、菩提寺、檀家も有りませんので、葬儀ナシで、火葬式プランで。
少数の親族のみで行うので、オプションは、何もなし。
お顔の周り、花束を選びました。
骨箱の化粧袋を、選びました。
葬儀屋が帰ると、訪問看護さんが、お花を持ってきてくださいました。

そこで、涙が溢れてきた、、
私以外の家族が、今後の野暮用で、外出し、私とカミさんだけになったら、急に涙が溢れてきて、しばらく止まらなくなりました。
ヤバい、、、
色々、介護用品の片付けを、やりながら、お隣さんと、自治会長さんへ、妻のお知らせしてまわりました。
夕方、自治会長さんが、お花を持って来て下さり、手を合わせて頂きました。
その後、お隣さんが、手を合わせに来て頂きました。
ありがたい事です。
どんどん、寂しさが込み上げてきて、涙が突然溢れてきます。
まいったなぁ、
社会復帰出来そうにありません、、