特養への道、その① | ダジャレコーチの独り言

ダジャレコーチの独り言

日々の生活で出会った素朴な疑問や発見について発信しています。

実家で一人暮らしの母親は昭和9年の生まれ。「昭和一桁女子」である。先の大戦を生き延び、昭和、平成、令和と駆け抜けた彼女も、彼の地へと移動の時期と相成った。

 

彼女が今回入所する特養ホームは実家が所在する市川市内にある「レガーレ市川」。ここに亡父が3年ほどお世話になり、2年前に亡くなった。特養ホームの良し悪しについては、統計的な情報収集と分析をしているわけではないが、父の存命中から親身に相談にのって頂き、できる限りの対応をしてくれたことで、信頼感が厚かったのが今回も母をお願いすることに繋がった。

 

1月26日(金)は父親の三回忌であった。京成鬼越駅そば、常開寺の管理する風の丘にて、墓前供養をご住職に行っていただいた。特養への入所は、結局のところ定員があるので、なんらかのご事情で部屋が空かなければ次の方は入所できない。どんなご事情があるかは様々だが、

・入所している方が永眠される

・他の特養へ引っ越しされる

・病院へ長期入院となる

などが、その一般的な理由であろう。

 

偶然だが、父親の三回忌を行い、その後実家を回って息子と市川駅近くのタワマン、「ザ タワーズ ウエスト」の最上階にあるカフェで休憩をしていたその日の夕方に、レガーレ市川の相談員のWさんから母の入所の内定について連絡があった。偶然と言えば偶然で、親父が天から見ているのかもしれないなと息子と話をした。

 

父は昭和4年生まれ、当時学んでいた早稲田中学から学徒出陣し、水戸連隊で敗戦を迎えた。「粉骨砕身」を口癖にして菓子問屋「酒井商店」を立ち上げ、50年やって店を閉めた。   享年93歳「昭和一桁男子」の大往生である。今は天でうまい酒をしこたま飲んで、先に逝った親族・友人・知人とバカ話をしているのだろう。ありがとう!

 

というわけで、しばらくは父母の「特養への道」シリーズを通して体験したことや、老人大国日本の現状や自分も含めた50代後半から60代の諸兄にこれからどんな展望があるのかなど、思うことをつらつらと記載してみたい。その内容については、様々なご意見があろうが、あくまで個人的な考えなのでご容赦頂きたいと思う今日この頃である。 老人大国ニッポンのコーチ