前回は群馬県にある、上毛三山の一つ


『榛名山(はるなさん)について書きました。






 

(前回はこちらです)






榛名山の「はるな」という地名の由来は

「春(はる)に由来するのではないか?



そんなことを書きました。




春の語源は「張る(はる)との説があります。






 

「春」は


 ・花々や樹木の芽が張り(はり)

 芽吹く季節であり


・陰陽の合一、男女の営みも意味し

 女性が妊娠することを孕む(はらむ)


いいます。




『性』についてはこちら

(古代の「性」を語る上でわいせつと思われる

ことは本意ではないとご理解ください。)



 


榛名山の山中にある、上野国六宮


『榛名神社(はるなじんじゃ)

(群馬県高崎市榛名町849)






巨大な「御姿岩(みすがたいわ)

ご神体です。





 

御姿岩は下部に洞窟()をもち

神社の本殿は、その洞窟に

つながっています。




洞窟の奥「ご内陣」といわれる場所が

神職の方も入ることのできない

神を祀る聖域となっています。




 


東京北区王子にある

『王子稲荷神社』(東京都北区岸町1-12-26)

こちらの神社の最奥に「狐穴(きつねあな)」

穴のある磐座が祀られています。




 「穴」と原始の「生殖信仰」は

 関係があると考えています。





御姿岩は、ファリシズムそのものであり


下部の穴と相まって

 


まさに『はる』を体現する

巨大な磐座(いわくら)となっています。







この洞窟の奥はお腹の見立てであり

神がこもる聖域なのではないでしょうか。



榛名神社は、自然崇拝とともに

縄文の生殖信仰の気配が濃厚で





 


榛名山とは「春の山」

誕生と生成を司る聖山ではなかったか




・『榛名富士』と『榛名湖』



このように考えています。




さて前回、榛名山はかつて

「歌垣(うたがき)

(東国の方言では「かがひ())



の行われた場所ではないかと書きました。






「歌垣」とは古代の日本に存在した



男女が特定の日に特定の場所に集まり

恋歌を掛け合い、思いを伝える習俗

のことです。




そして現代においても

この恋歌を掛け合う、歌垣が行われている

場所が中国の奥地にあります。




それは現代において

きわめて稀な母系社会を残している



『女たちの王国』です。




今回のブログはこちらの書籍『女たちの王国』

「結婚のない母系社会」中国秘境のモソ人と暮らす

(曹惠虹 著 秋山勝=) 草思社 参照しました。




今回はこの「女人国」について

書きたいと思います。




そうすることで榛名山一帯の

古代の原始信仰を解き明かす

ヒントになるかもしれないと

思うからです。




この「女人国」の場所は

ヒマラヤ山脈のはるか東麓



中国の雲南省と四川省の境界

にある海抜2700㍍の高原地帯です。







ここは、榛名山のように



うつくしい花崗岩の「山」

青く澄み切った「湖」があり




『瀘沽湖(ルグ湖)』
LuguLake.jpg 「wikipedia」




この山に抱かれた湖畔に暮らすのが



女人国の住人

『モソ』と呼ばれる人びとです。



彼らは


 

・山を「ゲム(格姆)

山の女神」と崇拝し



・湖を「シェナミ(謝納咪)

母なる湖」と名づけ信仰しています。



(ちなみに後に、湖(シェナミ)さんは

「ルグ湖」と名前を改めますが

これは湖の形がヒョウタンを干して作った

水筒「ルグ」に似ていることに由来します。)




ここで重要な点は



彼らモソ人が

山や湖を「女性」とみなし



みずからの保護者として

深く信仰するといったぐあいに



 

社会を成立させる基本要素として

女性を仰ぐ精神を保持していることです。





 


さきほど、モソ人は世界でも稀な

母系社会を維持している人びと


と書きましたが



 

彼らは「家母長制社会」を選択しています。



 どういうことかというと、たとえば


 

その家の祖母が家長であり

その跡を娘が継いでいくということです。



一方、日本は「家長制社会」であり



 

父親から息子へと家系が伝えられて

いきます。




 


つまり、モソ人のもつ母系社会は


我々とまったく逆のシステムと

いうことですね。





 

そして、モソの「家母長制社会」では


 

・「結婚」「夫」「妻」「父親」概念存在せず


・男女は「走婚」と呼ばれる

 自由恋愛を通じて子をなし



すべての子は母の家に属しています。



 

ちなみに「走婚」とは

「通い婚」「妻問い婚」ともいい

夫婦が同居せず、どちらかが相手の家を

おとずれて何日か暮らす形式のことです。



はたしてこれで社会が成り立つのか?

と思ってしまいますが

(とくに「結婚」という概念がないという点で)



 





彼らの社会は、うまくいっています。


 

女性が「愛人」として

(モソの社会では「アシア」といいます)



アシアを受け入れるかどうかは


すべて女性が判断し

同居することはありません。



アシアは夜にその家を訪れ

朝には帰宅するケースが多いようです。







生まれた子供に対して、男の責任はなく

さびしいかと思えば、そうでもなく



男も家に帰れば従うべき女性(祖母・母親)

がいて、かわいい姪や甥がたくさんいる。







経済的には、その家の家長である女性が

事業の計画をたて(植え付ける作物の選定や

収穫時期、飼育する動物の種類や頭数など)



心をくだき、その家の財政を差配し

収入を管理する。







男はとくに力仕事などの肉体労働で

貢献し、収入はすべて家長が受け取り

(それはとうぜんのこととして受け入れられています)



 

男たち小遣いという形で

家長から金銭を受け取ります。







いろいろな意見があると思いますが

みなさんはどう思われましたか?

(妻には「我が家はモソだね」と言われました)



私はこれはこれで、完結している

システムではないかと思いました。




この『女たちの王国』の著者(曹さん)の父は


家父長制の強い

シンガポール中国人社会の人物で



その反動から曹さんに

フェミニストの考えが生まれ



最終的にこの王国に移住しています。

(同書はこのときの曹さんの体験記です)





それにしても、世界のほぼすべてが

父系社会に覆われる中で

(とくに父権の強力な中国にあって)







モソ人が母系社会を維持して

きたことが驚異的です。




現在はこの女人国へのアクセスは

比較的容易になりましたが




90年前まで200㎞におよぶ

荒々しい山地をぬう古道を



馬の背に揺られながら

ようやく七日目に到着したそうです。





この隔絶されたコミュニティ

そしてモソの女性のもつ強さたくましさが

世界でも稀な母系社会が現代に生き残った

理由でしょうか。



 

日本列島の縄文社会も「島」ゆえに

大陸からそれなりに隔離された世界でした。







日本の古代にも「女たちの王国」が

あったのではないかと、私は考えています。




「室田町誌」によれば


かつて榛名神社には

『奇稲田姫神(くしなだひめのかみ)





一柱が祀られていたと記されています。

(『榛名山麓の性神風土記』小板橋靖正より)



榛名神社には


女性が単独で祀られていた

との説があるのです。





次回は


日本の神話にみられる母系制の痕跡

について、みてみたいと思います。


 

続きます。