こんにちは。


今年もよろしくお願いします。



初詣は上野不忍池
『辯天堂(べんてんどう)』に行きました。



(東京都荒川区にある『菓匠あかねね』のおはぎです。)



前回も書きましたが

斎藤姓のルーツ、起源をもとめて

古代史を調べていきますね。



(前回の項はこちら)




先祖は群馬県高崎市(多野郡)

吉井町の川内村で名主をし


「八塚(やつか)という

屋号を称していました。





さて今回は、去年の年末に

おとずれた群馬県の上毛三山の一つ



『榛名山(はるなさん)について



書いていきたいと思います。



榛名山はこの一帯の歴史を

調べる上で、とても大切だと

考えています。




私の先祖の墓からの眺めです北に榛名山を望みます。



榛名山は、群馬県中部にある

三重式火山で、山頂部にカルデラ湖があり



その湖畔に溶岩ドーム

秀麗な山容の榛名富士があります。






とてもうつくしく、群馬県を代表する

名峰であり人気の観光スポットです。


ぜひおとずれてみて下さい。

息をのむうつくしくさです!


 

同山は古来より山岳信仰の山として

ふかく信仰され、とくに中世に修験者の行場

として大きく発展してきました。






山頂部に、(榛名湖)(榛名富士)をもち

中腹には、ファリシズムに通じる巨石(御姿岩)

を有する榛名山は、原始信仰にも

ふかく通じる要素があります。





 


東の山麓には縄文時代のムラの跡

茅野(かやの)遺跡があります。




山麓には古くから人びとが暮らして

いたことがわかっています。



榛名山への信仰の起源は

とても古いと推定されます。







ちなみに

この茅野遺跡からは大量の

土製の耳飾りが出土し



『立体メガネで見る耳飾りの魅力』より
企画、榛東村教育委員会 制作・発行、㈱日本形色




これらは遺跡に近接する

「榛東村(しんとうむら)耳飾り館」

みることができます。



『榛東村耳飾り館』

(群馬県北群馬郡榛東村大字山子田1912)



入り口に出土した耳飾りのオブジェクトがあります。




縄文人のつくった繊細で緻密なつくりの

耳飾りが多数展示されており、縄文人のもつ

美的センスと高度な技術に驚かされます。




(「石棒」も出土しています)




さて今回のテーマは「榛名山」ですが



まずはこの『はるな』という名称由来に

ついて調べてみたいと思います。



 

資料上の「はるな」の初見は


927年にまとめられた、朝廷が霊験あらたかと


官社認定した神社一覧である『延喜式神名帳』


榛名神社」として記載された部分ですが



じつは、この「はるな」という名称の

起源はあまりはっきりしません。



・榛名湖畔『御沼龗神社(みぬまおかみじんじゃ)』
 (入水した木部姫伝説があります)



「はるな」の起源説はいくつかあり


 

      

『万葉集』巻14東歌上野国歌に

「波里波良(はりはら)と詠われており



墾原(はりはら)・墾野(はりの)

榛野・榛名と変化した。

(『角川日本地名大辞典10群馬県』より)


 

     

また「榛」という字は


「榛の木(ハリノキ・ハンノキ)という

湿地帯など水辺に生える木を意味し



榛名とは、ハンノキが生い茂る山を

意味するなどの説があります。



ハンノキは日本全土に分布しますが



Alnus japonica3.jpg 「wikipedia」



「榛」を地名とする場所は

それほど多くありません。



 

・埼玉県深谷市榛沢(はんざわ)


・埼玉県川口市榛松(はえまつ)


・群馬県北群馬郡榛東(しんとう)


・静岡県榛原(はいばら)


・奈良県宇陀市榛原(はいばら)


・徳島県吉野川市山川町榛木原(はりのきばら)



そもそも榛名山一帯に

・ハンノキの神木

・ハンノキにまつわる伝承


がみられません。



②説によれば、榛名神社は

単なるハンノキの多い山にある

神社ということになってしまいます。



このことによって

縄文からの生殖信仰を含んだ

榛名神社を説明することは

むずかしいのかなぁと思います。







 

推したいのは①説です。

『榛名(はるな)という地名は


 

墾野(はりの)・墾原(はりはら)

語源としますが


じつは「はり」は

『はる』に通じます。


 

『春(はる)』の語源は

「張る(はる)との説があります。


妊娠することを「孕む(はらむ)」とも表現しますが


春は


樹木や花々の芽が「張り」

芽吹く季節です。






つまり


「榛名山(はるなさん)の由来は

植物の芽が「張り」新たな命が生まれ出ずる




『春の山』由来するとの説です。







以前

『咲前神社(さきさきじんじゃ)』について

  (群馬県安中市鷺宮3308)


「咲(さき)」は「エミ」と読み

花が笑う、春に通じると書きました。


 





「春」は男女の陰陽の合一

男女の営みも意味します。




「異質なもの二つが交わり新たなものが生まれる」




「春」には、四季のほかに

人の普遍的な営み、根源的かつ神聖な祭祀

そんな意義も含むのではないでしょうか。





 

この祭祀がなければ、私たちは

滅ぶことになってしまいますからね。



『性』についてはこちら

(古代の「性」を語る上でわいせつと

思われることは本意ではないとご理解ください)

 



 


ここを「わいせつ」と取るか「神聖」と

取るかが分水嶺で、前者・後者で


大きく意味が変わってしまいます。






縄文土器には

男女の性器や出産の光景が

おおらかに表現されており








わたしたちと縄文時代の人びとでは

「性」に対しての理解が大きく異なって

いたと思います。





「榛名歴史民俗資料館」をたずねたときに


榛名山の原始信仰について

妻がいったことばが印象的です。



 「シンプルでわかりやすい、それだけに力強いね。」



 

平均寿命がわたしたちより

はるかに短く、おそらく虫歯や盲腸でも

さらには食糧不足や動物に襲われても


命をおとす可能性のある縄文社会。







でも博物館で彼らの残した遺物に

ふれると、不思議と悲壮感を感じない

のはなぜでしょうか?







彼らは自然にままに、力強く懸命に生きて


神より子どもを授かることを

榛名山の御姿岩に祈ったのでは

ないでしょうか。




わたしは『春(はる)にこそ


縄文信仰の聖地・榛名山の本質が

あると考えています。







榛名山は「歌垣(うたがき)

(東国の方言では「かがひ())


の行われた場所では

なかったかといわれています。




「歌垣」とは古代の日本に存在した

男女が特定の日に特定の場所に集まり

恋歌を掛け合い、思いを伝える

習俗のことです。




とくに歌垣は

水辺や温泉地で行われたようであり



美しい榛名湖と伊香保温泉

をもつ榛名山は、歌垣が行われるに

ふさわしい聖山だと思います。






そしてじつは、アジア全域に目を向けると

この恋歌を掛け合う歌垣が現在も行われて

いる場所があります。



そこは現代でもきわめて稀な

母系制を残している「女たちの王国」です。



続きます。