前回からの続きです。




『荒脛巾(アラハバキ)神』

についてみてきました。


日本最古層の神ともいわれ

その実体について諸説あり

正体不明の謎の神です。




『大宮・氷川神社』
(境内摂社『門客人神社(もんきゃくじんじんじゃ)』は
古くは、『荒脛巾(あらはばき)社』と呼ばれていました)




そのアラハバキ神の正体について

数ある説の中から

女性民族学者・吉野裕子氏が提唱された




『アラハバキ神』=『蛇神』説について



前回、書きました。




蛇は現在、嫌われ者のイメージがありますが

(蛇好きの方、すいません!)



吉野氏の著書

『蛇 日本の蛇信仰』において




「たとえば、隣国中国の天地開闢(かいびゃく)の創世神は、伏犠(ふつき)、女媧(じょか)の陰陽神であったが、この二神の神像は人面蛇身の兄弟神で、しかもその尾を互いにからませ合っているから夫婦関係を示している。要するに、中国の祖神は蛇なのである。



 

と記しています。



蛇は時として

祖先神として信仰されました。



蛇は脱皮をしますが

脱皮をして成長し、強い生命力をもつことから

不死の象徴とされ、男根への形状の酷似から

祖先神として崇拝されたのでは

ないでしょうか。



この蛇神(アラハバキ神)『月神』とともに


『生殖』について

深い相関関係をもっていたと

私は考えています。



(『月』の黄泉返りについては、以前に書きました)



月神と生殖の神格を分有し

樹木に降臨させる蛇神(アラハバキ神)


私は、『縄文の蛇神』と定義していますが





(詳しくは前回をどうぞ)




 

そもそも、根本的な疑問があります。


いったい何のために

樹木に『蛇神(アラハバキ神)』を

降臨させるのか?




それについても

次回以降で考察してみたいと

思いますね。



今回は

『アラハバキ神』が深く関わる

縄文の『生殖信仰』の周辺


(前回の最後に、『月』『蛇』『生殖』について

書くと意気込みましたが、今回はその前段階)


『縄文の性』について書きます。

(ゆっくりマイペースですいません)



というのも、現代の私たちと

縄文人の『性』に対する考え方は

おそらく異なり、この点をふまえないと

うまく伝わらないし、それどころか

誤解されると思ったからです。



じつは、ここが一番難しく感じます。



現代の感覚で理解すれば

「性」は

気恥ずかしく

避けるべきと、思われてしまいがちですが


『川崎マリエン』より富士山をのぞむ
(妻曰く『相棒』の聖地だそうです)

やはり、ここを正面から見ないと

古代(縄文)の信仰を

見誤る可能性があります。




『縄文ストーンサークル』
群馬県安中市『ふるさと学習館』より




縄文土器には、男女の性器も造形されており

現代において、あえて厳しい言葉を使えば

わいせつとされてしまいます。



『石棒』 
「七社神社(ななしゃじんじゃ)」
(東京都北区西ケ原2-11-1) にて販売しています。



今後も、当ブログで

縄文の「性」について書くことが

あると思いますが

上記のように理解されてしまうことは

わたしの本意ではないことを


あらかじめ、ここに書かせていただきますね。



時代による価値観の相違が

とても難しいです。



ところで最近、武光誠氏の本を

図書館で借りて読むことが多いです。


この武光氏の著書で、縄文の人びとについて

とても素晴らしい、感動した文章がありましたので紹介します。




 

『神社に隠された大和朝廷統一の秘密』 武光誠


私は、精霊崇拝をとる縄文時代の人びとの思想を「円の思想」と読んでいる。

それは、次のページの図のようなものである。


人びとは、精霊が宿る人間はすべて善良な心をもっているとして、自分と異なる考えをもつ者も尊重した。そして精霊の力でつくられた自然を大切にし、山や野原や海、川の自然を破壊しないように努めた。


さらに、まわりの人びとと良い関係を築くためには、他人の長所を認めて明るく前向きに生きるべきだとした。


このようや「円の思想」は、さまざまな形を変えながら現在まで受け継がれている。


文化人類学者は、きわめて古い時代には、世界のすべての民族が精霊崇拝にたつ宗教を信仰していたと想定している。


円の思想

    自然を大切にする

    人間を大切にする

    明るい気持ちをもって人生を楽しむ




 


縄文の人びとは、精霊崇拝を基本とし


あるがまま、自然のままを

最上の価値としたのではないでしょうか。


縄文文化の絶頂とも言われるのが

縄文中期(およそ5500年前~4400年前)

長野県から山梨県にかけての

八ヶ岳山麓の周辺地帯と言われます。





茅野市ホームページ『縄文プロジェクト』より




縄文時代中期は八ヶ岳山麓に非常に多くの遺跡が残されたころです(50004000年前、カレンダーに合わせると55004400年前)。立体装飾が特に発達して、土器表面のレリーフ状の文様や上方に伸びる「取っ手」のような飾りつけのある土器が目立ちます。






この地域から、関東にかけて出土するのが

蛇紋が豊富に造形されたのが

『勝坂式土器』ですが


 かながわの遺跡展・巡回展
(「勝坂縄文展」より)


先ほど触れたように

この土器には、男女の性器も表現されています。あまりにも自然・陽気に、性を表現していて逆に戸惑うくらいです。



『勝坂式土器』

こちらは上記の性器を表現した土器では、ありません。
インターネットで検索すると、見ることができます。
興味のある方は、ぜひお調べください。

(「縄文2021―東京に生きた縄文人―」 
        江戸東京博物館 特別展より)




おそらくこの時代は

新生児死亡率もかなり高かったはずで


縄文の人びとは

子孫繁栄・新しい生命の誕生を重要視し


『生殖』を大切なもの

信仰と理解していたのではないでしょうか。

(※現代の私たちと異なり、具体的な妊娠のしくみを

知らなかったこともポイントだと考えます。)



土器に見られる、あらわな性の表現は


『性』は秘するものではなく

自分たちの精霊信仰を構成する

重要なエッセンスと考えていたのでしょう。



・あるがままを受け入れ

 互いの長所を認め合う

・自然(精霊)と共生し

・自分たちが必要な分だけ

 自然(精霊)から恵みをいただく

 (狩猟採集する)。




群馬県安中市『ふるさと学習館』より



群馬県安中市は、縄文遺跡密集地帯で

この地方の土器には、蛇よりも『猪(いのしし)』が多いです。『石棒』も大量に出土するそうです。





子孫をつなぐ、生殖も

そんな自然(精霊)に導かれた行為の一つであり、縄文の人びとにとって



『性』は、あるがまま

きわめて自然で、秘する必要のない

重要な営み(信仰)の一つだったのでしょう。


私は、そこに『荒脛巾(アラハバキ)神』が

(もしくは単に『ハバキ神』)

深く関与していたと考えています。



自然であるならば、はずかしがることも

隠す(タブー視する)必要もないのでは

ないでしょうか。


だから土器に性器を造形して

子孫を授かることを願ったのでしょう。



当ブログも、武光誠氏のいわれる

おたがいの長所を認め合う

「円の思想」をもって読んで頂けると

嬉しいです。



そして、生殖を重要な神事とするならば

その祭祀の中心に女性がいることは

きわめて自然なことだと思います。


新しい生命の誕生は、今も昔も女性のみがなし得る究極の祭祀です。


吉野裕子氏は、その著書

『蛇 日本の蛇信仰』で


・日本原始の祭りは、神蛇とこれを斎(いつ)き  

 祀る女性蛇巫を中心に展開する。


・本土においては、祭祀権は男性に奪取され~



と記しています。

祭祀権が男性に奪取されて

この生殖祭祀の本質が見えにくく

なったのではないでしょうか。




さて、縄文世界の信仰について

ながめてみましょう。


といっても

縄文人は文字をもたなかった(とされる)ので

彼らの信仰世界を具体的かつ確実に

知ることができる遺物は

(書物や文字を刻んだ粘土板など)

ありません。



しかし、垣間見ることはできるのでは

ないでしょうか。


そこに挑まれたのが、ドイツの女性日本学者

ネリー・ナウマン氏です。

 



氏は、最後となる著書



『生の緒(いきのを) 縄文時代の物質・精神文化』

(檜枝陽一郎 訳)



において


「縄文人のおこなった宗教行為の大半は

永遠に秘されたままであろう。」



としながらも


縄文の人びとが、残した土器や土偶の数々



(「縄文2021―東京に生きた縄文人―」 
        江戸東京博物館 特別展より)

これらに造形された図象のメタファーを抽出し

彼らの意図(何を信仰したのか)を探り

他の世界文明の遺物と、比較・検討することで


縄文の人びとの信仰の実体を知る

手がかりになるとしています。


私も氏の考えに、賛同するものです。

(という物言いは、不遜ですが…)



ネリー・ナウマン氏の著書

『生の緒(いきのを)』は

氏の日本へのプレゼントだと

私は考えています。



またナウマン氏の研究をもとに

大島直行氏が『月と蛇と縄文人』という

画期的な本を刊行されています。



なかなか衝撃的な表紙の本ですが

(興味ある方はぜひ、とてもおもしろいですよ)


大島氏のこの本からも

多くの知見を得ることができました。

ありがとうございます。



一部を紹介させていただきますね。




   

 どんな学問もそうですが、考古学もまた「人間

とは何か」を明らかにするためにあります。

ですから縄文人についても、もっと人間としての側面から研究することが必要なことは明らかです。


科学も文字もない社会で生きていくためには、もっぱら「人類の根元的なものの考え方」を用いて「世界(自然)を認識する」ことが必要だったはずです。


人類の根元的なものの考え方とは、合理的・科学的でものを考える、あるいは経済的価値観を至上とするような現代社会に生きる私たちが、はるか昔に失ってしまった思考方法といってよいでしょう。


おそらく、そうした思考方法によって世界を認識し生きてきた縄文人たちの行動には、人間とは何かを考えるためのヒントが満ち溢れているに違いありません。






この根元的な問いかけ



 『人間とは何か』



縄文の人びとも、もちろん私たちと同じ人間であり(しかも、私たちの祖先です)


人間である以上、私たちと同じ根元的な疑問をもっていたでしょう。



この根元的な問いかけに対する一つの解答が


荒々しくも愛嬌をもって、性を表現する

彼らの土器にあるのではないでしょうか。


そしてそこには、輪廻を基底とする

循環する思想があったと思います。



続きます。