あるある人生 第3段
昭和には無かった言葉 や 人生観 が昭和以降とっても許されています
寛容になっている部分もあれば
「え? こんなことも言っちゃいけないの? 」 と慎重になるべくシチェーションが多い現実にも悩まされます
草枕の
兎角人の世は住みにくい
そのものです
子育てが とてもし辛い時代です
数年前なら 根性論で済まされる子育ても
今に時代では 虐待 と吊し上げられます
加減が判らない子育ては いずれ 親は我が子のことを よく知らないまま世に出してしまいます
まさか うちの娘や息子が そんな考えでいただなんて!!!!
昭和版 家政婦は見た! が
令和版 親は今更知った!
さながら どこのご家庭も ドラマな家庭事情です
なんでも器用にこなす我が子を持つと
親は すっかり 本当に 超安心します
素晴らしい社会性には 素晴らしい人間性が備わっているのだと 信じてしまっています
彼もまた然り、 素晴らしい社会性 なのです
だから 素晴らしい人間性が 備わっているもんだと 信じてしまいますね
至極当然な感覚です
だけれど、
人間性が備わってこその、 社会性であります
そして その社会性には 「 仕事ができる できない 」の成果は当てはまりません
社会性とは どれだけ 社会で(外の世界で)責任ある生き方ができているか です
そして 責任とは 自分のことをしっかりする というのは 至極当たり前の事で
貢献できる精神性があるか とか 協調性や建設的な考えや行動に伴う感謝や謙虚さが備わっているか否か です
すなわち、 社会性の真髄は 人間性なのです。
こんな事を 理解して生きている 若者は どれだけ存在しているでしょうか
こんな事を 子育ての教育または躾の一環として教えている 家庭は どれだけ存在しているでしょうか
むかーし むかし、
日本に 大和魂のような生き方が 当たり前のようにあった時代
これらの生き方は 武士道 とか 淑女の嗜み のように
技術と精神論を併せ持って とても必要に叩き込まれていたのです
こんな事柄を 家の家督として教える家こそ 素晴らしい家柄です
今の時代 こんなお家の家督は
「 時代にあってない 」 と 大ブーイングされそうですが
こんな時代になったのは この教えを無くしてしまったから でしょう。
人は 堕落して生きる生き物です
人とは ついつい 楽を好み少しでも楽な方を選択します
自ら 努力の連続の人生を好む人なんて イチローさんや本田圭佑さん 達です
だから 彼らは 天才なのですが
人はみんな天才に憧れるけれど その真似はなかなか出来ないものでして
ついつい 堕落してしまうのですね
親としての責務さえも
「 彼は(彼女は)分かっているだろう 」
とか 「 きっとそんな馬鹿じゃないはずだ 」
と 思って(願って) 伝えるべきことを放棄してしまっています
言わなきゃ 伝わらん
言わなきゃ 本当に 伝わりません
そして 一回言ったからといって 伝わったとは限らないものです
伝えると 伝わる は 違いますから。
何事も 過信せずに しつこいくらいがいいのだろう
そして 言われる側は 「 言ってくれるうちが花 」 ということを
絶対に 忘れてはいけないのです。