6.23に想う
W杯記念臨時ブログ、ここまで出来るだけ客観的に、うちのお客さん(特に女性)でも入り易いよう、淡々と書き連ねてきましたが...
今回はちょっと感情的に、主観的に書いてしまいたいと思います。
ブラジル戦後、ピッチ上に長々と倒れ込んだ中田英寿選手の姿に対し、様々な論評と憶測が流れています。伝え聞くところによれば、彼は引き上げた後通路でも泣いていたという。女々しいと切り捨てることは簡単です。本当のところは本人にしかわからないでしょう。が、延々と映し出される中田の姿を見て、私は思わず貰い泣きをしてしまいました。
あれこそは正しく、<討ち死に>の姿ではなかったのか?
美化でもカリカチュアでもない、戦場で敗れた侍の姿。
一般イメージとして、日本人的感性とは最も遠いところにいた誇り高いプレイヤーが中田英です。そんな彼が、敢えてあの醜態を晒してみせた。彼はその一身をもってして、自分を含む祖国サッカーの惨敗と限界を体現し、歴史に焼き付けてみせたのではないか? <同胞>中、最も秀でた選手が惨めな姿を世界に晒している、あの映像を見て何も感じぬ者は日本人とは言えない、と言い切るのは過激に過ぎるだろうか?
サムライブルー? ちょっと待ってくれ。鎧武者のハリボテを着込み異国で騒げるほど我々に余裕があったのか? 祭り気分で浮かれていいのはW杯の常連国のみで、我々はようやくその仲間入りが許されかけた新参者、サッカー後進国に過ぎないはずである。どうしても侍に例えたいなら、まずは幕末の志士達が押し寄せる列強先進国からどのような屈辱を味合わされ、どのように立ち向かっていったかを思い起こしてみるべきだ。その不肖の子孫たる我々に必要だったのは、敢然たる戦闘精神、心構えなのではないか?
「戦う準備が出来ていない」
中田英が発し続けていた警告を、サッカー協会、選手、マスコミ、ファンが己自身に叩き込まなければ、日本サッカーは世界どころかアジアの中で埋没し、巨大な国内市場というぬるま湯の中で再び<精神的鎖国>を強いられることになるだろう。<戦闘>は終結しても<戦い>は永遠に続く。<戦後の戦い>に負けることこそが真の敗北なのだという冷厳たる事実を、<長過ぎる戦後>を通じ誰よりも思い知らされてきたのが、我々日本人ではなかったのか。
さんぴえーる
まずは八強にドイツ、アルゼンチン
6/25 ドイツ 2 - 0 スウェーデン
6/25 アルゼンチン 2 - 1 メキシコ
一次リーグの余韻も束の間、決勝トーナメント一回戦に突入です。ドイツは調子の良いクローゼ、ポドルスキの2トップが機能し2点を先制すると、そのまま逃げ切りました。対するスウェーデンは前半にDFルチッチが退場となり、エースのイブラヒモヴィッチが本調子でなかったのが痛かったですね。大会前のドイツの評価は決して高いものではありませんでしたが、考えてみれば前回日韓大会の準優勝国だったんだよね、すっかり忘れてた(笑)
さて、中南米の強豪二国の激突は見応えがありました。互いの得意技を封じ合うような攻防が続き、特にメキシコDF陣の踏ん張りは見事でしたね。エドゥさんも言っていましたが、体格的に小柄な日本がお手本にすべきはこういう基本に忠実なスタイルかもしれません。組織的な守備、的確なポジショニング、そしてとにかく走ること!
それにしてもアルゼンチンの層の厚さは脅威です。後半30分を回ってからテベス、アイマール、メッシを投入してくるんだからねぇ。勝負を制したのは延長戦、マキシロドリゲスのボレー。互いに手を尽くした末に最も美麗な、敗者も納得し得るシュートが決まるあたり、これぞW杯ならではの光景と言えるでしょう。前半開始直後に先制された後、間を置かず同点弾を押し込んだベテランFWクレスポの<嗅覚>も忘れてはなりません。
ドイツvsアルゼンチン...凄い戦いになりそうですよ!
さんぴえーる
ワールドカップ物語#4
4度ワールドカップに出場し、3回優勝したペレ。
ペレ不在の1974年からは群雄割拠の時代がはじまります。
まず世界の覇権を争ったのは「空飛ぶオランダ人」ヨハン・クライフと西ドイツの「皇帝」フランツ・ベッケンバウワーでした。
1974年・西ドイツ大会
参加国 : 16ヶ国
開催期間 : 1974年6月13日-1974年7月7日
優勝 : 西ドイツ
準優勝 : オランダ
3位 : ポーランド
4位 : ブラジル
得点王 : 7得点
グジェゴシ・ラトー (ポーランド)
出場国
ヨーロッパ
西ドイツ(開催国&前回3位・6大会連続8度目、旧ドイツ時代を含む)
イタリア(前回準優勝国・4大会連続8度目)
スウェーデン(2大会連続6度目)
ユーゴスラビア(現セルビア・モンテネグロ)(3大会ぶり6度目)
ブルガリア(4大会連続4度目)
オランダ(7大会ぶり3度目)
スコットランド(4大会ぶり3度目)
東ドイツ(7大会ぶり3度目、旧ドイツ時代を含む。東西分裂後は初出場)
ポーランド(7大会ぶり2度目)
南米
ブラジル(前回優勝国・10大会連続10度目)
ウルグアイ(4大会連続7度目)
アルゼンチン(2大会ぶり6度目)
チリ(2大会ぶり5度目)
北中米カリブ海
ハイチ(初出場)
アフリカ
ザイール(現コンゴ民主共和国)(初出場)
オセアニア
オーストラリア(初出場)
トリビア
1.この第10回記念大会で初めて現在でも使われているFIFAワールドカップトロフィーが、優勝国に手渡されました。それ以前に使われていたジュール・リメ杯は、1970年大会でブラジルが3度目の優勝を遂げたため、ブラジルにて永久に保管されることとなっており(盗難されましたが)、新しいトロフィーが今後の大会のために準備されたのです。
2.決勝戦でベッケンバウワーの西ドイツに敗れましたが、クライフ率いるオランダが展開したトータルフットボールは世界を魅了しました。
トータルフットボールとは、ボール狩り(現代戦術のフォアチェック)、オフサイドトラップを多用し、ポジションに縛られないワイドでスペクタクルなサッカーを展開する戦術の俗称。現代サッカーはこのトータルフットボールから始まったと言っても過言ではありません。
トータルフットボールの最大の特徴は“ポジション”が存在しないこと。当時のオランダ代表にとってポジションとは、「キックオフ時の立ち位置」というだけのものでしかなく、攻撃時には選手は積極的にボールを持つ選手を追い抜いて前線に飛び出し、守備時にはFW登録の選手もカバーリングに入りました。サイドバックの選手が前線へ飛び出せばウイングの選手がそのポジションを埋めに下がる、と、まさに全員攻撃・全員守備の戦術です。
また、“スペース”を最大限活用する考え方から、ウイングを中心としたサイドアタックを積極的に使い、ワイドな攻撃を展開しました。
このサッカーを支えたのは、選手全員の高い技術、戦術眼、スタミナもさることながら、全員が高い守備意識を持っていたことも忘れてはいけないでしょう。
1978年・アルゼンチン大会
参加国 : 16ヶ国
開催期間 : 1978年6月1日-6月25日
優勝 : アルゼンチン
準優勝 : オランダ
3位 : ブラジル
4位 : イタリア
得点王 : 6得点
マリオ・ケンペス (アルゼンチン)
出場国
南米
アルゼンチン(開催国・2大会連続7度目)
ブラジル(11大会連続11度目)
ペルー(2大会ぶり3度目)
ヨーロッパ
西ドイツ(前回優勝国・7大会連続9度目、旧ドイツ時代を含む)
オランダ(前回準優勝国・2大会連続4度目)
ポーランド(前回3位・2大会連続3度目)
イタリア(5大会連続9度目)
スウェーデン(3大会連続7度目)
ハンガリー(3大会ぶり7度目)
フランス(3大会ぶり7度目)
スペイン(3大会ぶり5度目)
スコットランド(2大会連続4度目)
オーストリア(5大会ぶり4度目)
北中米カリブ海
メキシコ(2大会ぶり8度目)
アフリカ
チュニジア(初出場)
アジア
イラン(初出場)
トリビア
1.前回大会でオランダの準優勝に貢献したヨハン・クライフは家族との時間を大切にしたいという理由で出場を辞退。オランダ女王が自ら説得に乗り出すも彼の意志を覆すことは出来ませんでした。
2.開催国アルゼンチンは、大会前に勃発した政情不安、軍事政権による介入など暗い影に覆われました。しかしアルゼンチン国民の熱狂的な盛り上がりもあり、地元アルゼンチンがマリオ・ケンペスの活躍で初優勝を獲得したことで、形の上では成功した大会となりました。
1982年・スペイン大会
参加国 : 24ヶ国
開催期間 : 1982年6月13日-1982年7月11日
優勝 : イタリア
準優勝 : 西ドイツ
3位 : ポーランド
4位 : フランス
得点王 : 6得点
パオロ・ロッシ (イタリア)
出場国
ヨーロッパ
スペイン(開催国・2大会連続6度目)
イタリア(6大会連続10度目)
西ドイツ(8大会連続10度目、旧ドイツ時代を含む)
フランス(2大会連続8度目)
ハンガリー(2大会連続8度目)
イングランド(3大会ぶり7度目)
チェコスロバキア(3大会ぶり7度目)
ユーゴスラビア(後のセルビア・モンテネグロ)(2大会ぶり7度目)
ベルギー(3大会ぶり6度目)
オーストリア(2大会連続5度目)
スコットランド(3大会連続5度目)
ソビエト連邦(3大会ぶり5度目)
ポーランド(3大会連続4度目)
北アイルランド(6大会ぶり2度目)
南米
アルゼンチン(前回優勝国・3大会連続8度目)
ブラジル(前回3位・12大会連続12度目)
チリ(2大会ぶり6度目)
ペルー(2大会連続4度目)
北中米カリブ海
エルサルバドル(3大会ぶり2度目)
ホンジュラス(初出場)
アフリカ
カメルーン(初出場)
アルジェリア(初出場)
アジア
クウェート(初出場)
オセアニア
ニュージーランド(初出場)
トリビア
1.この大会のブラジル代表は、第2戦以降ジーコ、ファルカン、ソクラテス、トニーニョ・セレーゾという、当時世界でトップレベルのミットフィルダーを4人揃えた布陣で挑み、その豪華さゆえ「黄金の中盤」と呼ばれました。しかし、二次リーグのイタリア戦ではイタリア得意のカウンター攻撃の餌食となり、ロッシのハットトリックで敗戦、姿を消すことになりました。
2.準決勝の西ドイツ対フランス戦。西ドイツのゴールキーパー、ハラルド・シューマッハーが、シュートを放とうとしていたフランス代表のパトリック・バチストンと交錯、バチストンは気絶し、負傷で退場となりました。後に脊髄を折る重傷であることが判明。しかし、このシーンではPKどころかカードの提示すらありませんでした。
ワールドカップ物語#3
今回は1970年のペレの最後のワールドカップまでです。
1962年・チリ大会
参加国 : 16 ヶ国
開催期間 : 1962年5月30日-1962年6月17日
優勝: ブラジル
準優勝: チェコスロバキア
3位: チリ
4位: ユーゴスラビア
得点王: 4得点
ガリンシャ (ブラジル)
ババ (ブラジル)
レオネル・サンチェス (チリ)
ドラザン・イェルコビッチ (ユーゴスラビア)
フロリアン・アルベルト (ハンガリー)
ワレンチン・イワノフ (ソ連)
出場国
南米
チリ(開催国・3大会ぶり3度目)
ブラジル(前回優勝国・7大会連続7度目)
アルゼンチン(2大会連続4度目)
ウルグアイ(2大会ぶり4度目)
コロンビア(初出場)
ヨーロッパ
イタリア(2大会ぶり5度目)
スイス(2大会ぶり5度目)
チェコスロバキア(3大会連続5度目)
西ドイツ(3大会連続5度目、旧ドイツ時代を含む)
ハンガリー(3大会連続5度目)
ユーゴスラビア(現セルビア・モンテネグロ)(4大会連続5度目)
イングランド(4大会連続4度目)
スペイン(3大会ぶり3度目)
ソビエト連邦(現ロシア)(2大会連続2度目)
ブルガリア(初出場)
北中米カリブ海
メキシコ(4大会連続5度目)
トリビア
1.準決勝は同日に行われ、開催国チリ対ブラジル戦には76.600人の観客が集まりましたが、もう一方のチェコスロバキア対ユーゴスラビア戦は観客数わずか6000人弱でした。
2.ペレはグループリーグの二試合に出場しましたが、怪我のため以後の試合は欠場。ガリンシャがブラジルを優勝まで牽引しました。ガリンシャは先天的に足に障害を抱えていましたが、手術を受けて歩くことができるようになったという経歴の持ち主です。
1966年・イングランド大会
参加国 : 16ヶ国
開催期間 : 1966年7月11日-1966年7月30日
優勝 : イングランド
準優勝 : 西ドイツ
3位 : ポルトガル
4位 : ソ連
得点王 : 9得点
エウゼビオ (ポルトガル)
出場国
ヨーロッパ
イングランド(開催国・5大会連続5度目)
イタリア(2大会連続6度目)
スイス(2大会連続6度目)
西ドイツ(4大会連続6度目、旧ドイツ時代を含む)
ハンガリー(4大会連続6度目)
フランス(2大会ぶり6度目)
スペイン(2大会連続4度目)
ソビエト連邦(現ロシア)(3大会連続3度目)
ブルガリア(2大会連続2度目)
ポルトガル(初出場)
南米
ブラジル(前回優勝国・8大会連続8度目)
アルゼンチン(3大会連続5度目)
ウルグアイ(2大会連続5度目)
チリ(前回3位・2大会連続4度目)
北中米カリブ海
メキシコ(5大会連続6度目)
アジア
北朝鮮(初出場)
トリビア
1.ピクルスという名前の1匹の犬が大会を救ったヒーローとして有名になりました。大会を盛り上げるために展示されていたジュール・リメ杯が何者かによって盗まれ、最終的にロンドンのとある藪の中に新聞紙にくるまれているのをピクルスが発見したのです。
2.サッカーの総本山、ロンドンのウェンブレー・スタジアムで行われた開催国イングランドと西ドイツによる決勝戦。この試合でワールドカップ史上最大のミステリー、いわゆる「疑惑のゴール」が生まれました。
2-2でむかえた延長8分、ジェフ・ハーストがシュートを放ち、ゴールポストに当たりほぼ真下に跳ね返った後、ドイツの選手によってクリアされました。ゴールを確認できなかった主審は線審に確認を求め、線審は得点が決まったと伝えたため、イングランドが3対2とリード。サッカーで得点が認められるためには、ボールがゴールラインを完全に越える必要があり、当時から実際にゴールが決まったかどうか、激しい議論の的になりました。スローモーションも多元中継も無かった当時の技術では、一般の視聴者だけでなく専門家であっても得点を判断するのは不可能だったのです。1995年にオックスフォード大学の研究者が、当時最新のコンピュータを用いた解析を行い、ボールは線上にあり、得点は認められるべきではなかったと発表、この論争にいちおうの決着がつきました。
最終的にはハーストがもう1点を加えて(ワールドカップ史上唯一の決勝戦でのハットトリック達成)4-2でイングランドが初優勝します。
1970年・メキシコ大会
参加国 : 16ヶ国
開催期間 : 1970年5月31日~6月21日
優勝 : ブラジル
準優勝 : イタリア
3位 : 西ドイツ
4位 : ウルグアイ
得点王 : 10得点
ゲルト・ミュラー (西ドイツ)
出場国
北中米カリブ海
メキシコ(6大会連続7度目・開催国)
エルサルバドル(初出場)
ヨーロッパ
イングランド(前回優勝国・6大会連続6度目)
西ドイツ(前回準優勝国・5大会連続7度目、旧ドイツ時代を含む)
イタリア(3大会連続7度目)
チェコスロバキア(2大会ぶり6度目)
スウェーデン(3大会ぶり5度目)
ベルギー(4大会ぶり5度目)
ソビエト連邦(現ロシア)(4大会連続4度目)
ルーマニア(6大会ぶり4度目)
ブルガリア(3大会連続3度目)
南米
ブラジル(9大会連続9度目)
ウルグアイ(3大会連続6度目)
ペルー(8大会ぶり2度目)
アフリカ
モロッコ(初出場)
アジア
イスラエル(初出場)
トリビア
1.1969年6月27日、メキシコシティで行われた、この大会の予選準決勝プレーオフ「エルサルバドル-ホンジュラス戦」は、3-2でエルサルバドルの勝利に終わりました。しかし、この試合の遺恨がきっかけとなって、エルサルバドルとホンジュラスとの間でなんと戦争が勃発。このサッカー戦争は”人類史上最もバカバカしい戦争”として知られています。
メキシコシティでの試合から約2週間後の7月10日、エルサルバドル空軍のF4UコルセアとP-51Dの混成編隊は、ホンジュラスの首都テグシガルパ郊外の空軍基地を空襲し、戦端が開かれました。両国空軍のF4Uコルセア戦闘機同士が激しい空中戦を繰り広げ(ホンジュラス側がエルサルバドル側を3機撃墜、レシプロ機によるレシプロ機の撃墜はこれが史上最後)、空爆の応酬が続く中、エルサルバドル側はさらに7月14日、陸軍歩兵部隊(兵力約12,000人)を投入し、ホンジュラス領内に侵攻しました。
この戦争による双方の死者は合計数千人にものぼりました。米州機構(OAS)が調停に乗り出した結果、7月29日にエルサルバドル陸軍が撤退を完了し、停戦が成立。しかし両国関係の修復にはさらに10年以上の歳月を要しました。
2.王様ペレの活躍でブラジルが3度目の優勝、ジュール・リメ杯の永劫所有権を獲得しました。しかし、その後盗まれてしまい、犯人は逮捕されましたが、現在も行方知らずのままです。
ワールドカップ物語#2
今回は「マラカナンの悲劇」からペレの世界制覇までです。
1950年・ブラジル大会
参加国 : 13ヶ国
開催期間 : 1950年6月24日-7月16日
優勝 : ウルグアイ
準優勝 : ブラジル
3位 : スウェーデン
4位 : スペイン
得点王 : 9得点
アデミール(ブラジル)
出場国
南米
ブラジル(開催国&前回3位・4大会連続4度目)
ウルグアイ(3大会ぶり2度目)
チリ(3大会ぶり2度目)
パラグアイ(3大会ぶり2度目)
ボリビア(3大会ぶり2度目)
ヨーロッパ
イタリア(前回優勝国・3大会連続3度目)
スイス(3大会連続3度目)
スウェーデン(3大会連続3度目)
スペイン(2大会ぶり2度目)
ユーゴスラビア(現セルビア・モンテネグロ)(3大会ぶり2度目)
イングランド(初出場)
北中米カリブ海
アメリカ合衆国(2大会ぶり3度目)
メキシコ(3大会ぶり2度目)
トリビア
1.インドが裸足での参加をFIFAに拒否されたため、参加を辞退しました。
2.イギリスの各サッカー協会(イングランド、ウェールズ、スコッランド、北アイルランド)が、17年間の孤立からFIFAに大会の4年前に復帰。特例として1949年から1950年にかけて行われたイギリスの国内大会の1位と2位のチームが参加することになりました。1位がイングランド、2位がスコットランドでしたが、スコットランドが優勝チームで無いことを理由に参加を辞退しました。
3.占領下にあったドイツと日本は参加を拒否されました。
4.最終戦、ブラジルVSウルグアイの会場マラカナン・スタジアムには20万人を越える観客が集まりました。この試合でブラジル代表は初めて白のホームユニフォームを着用。
後半開始2分にフリアカのゴールでブラジルが先制しブラジルの優勝が決まったかと思われましたが、後半21分にスキアフィーノが同点ゴール、後半34分にギジャが逆転ゴールを決め、ウルグアイが2度目の優勝となりました。
会場は水を打ったように静まり返り、自殺を図る者まで現れました。結局2人がその場で自殺、2人がショック死、20人以上が失神し、ブラジルサッカー史上最大の事件に。これが「マラカナンの悲劇」です。
ブラジル代表はこの後ユニフォームを現在の国旗と同じカナリア色に変更し、2002年のワールドカップの決勝戦まで、白のユニフォームの着用を避け続けました。
人種差別がまだまだ激しかった当時のこと。敗北したことによる観客の憎悪は出場していた3人の黒人選手に向けられ、特にGKのバルボサは死ぬまで疫病神扱いされてしまいました。
この日マラカナンで敗戦を目の当たりにし、自らの力でブラジル代表を世界一にすると誓った少年こそ、若き日のペレだったのです。
1954年・スイス大会
参加国 : 16ヶ国
開催期間 : 1954年6月16日-7月4日
優勝 : 西ドイツ
準優勝 : ハンガリー
3位 : オーストリア
4位 : ウルグアイ
得点王 : 11得点
サンドール・コチシュ (ハンガリー)
出場国
ヨーロッパ
スイス(開催国・4大会連続4度目)
イタリア(4大会連続4度目)
フランス(2大会ぶり4度目)
ベルギー(2大会ぶり4度目)
チェコスロバキア(2大会ぶり3度目)
西ドイツ(2大会ぶり3度目、旧ドイツ時代を含む。東西分裂後は初出場)
ハンガリー(2大会ぶり3度目)
ユーゴスラビア(現セルビア・モンテネグロ)(2大会連続3度目)
イングランド(2大会連続2度目)
オーストリア(3大会ぶり2度目)
スコットランド(初出場)
トルコ(初出場)
南米
ウルグアイ(前回優勝国・2大会連続3度目)
ブラジル(前回準優勝国・5大会連続5度目)
北中米・カリブ海
メキシコ(2大会連続3度目)
アジア
韓国(初出場)
トリビア
これといって特にないなぁ。敢えて言えば初めてテレビ中継された大会であること。
決勝戦で西ドイツが大逆転劇を演じ、「ゲルマン魂」が初めて炸裂したということくらいかな。
1958年・スウェーデン大会
参加国 : 16ヶ国
開催期間 : 1958年6月8日-1958年6月29日
優勝 : ブラジル
準優勝 : スウェーデン
3位 : フランス
4位 : 西ドイツ
得点王 : 13得点
ジュスト・フォンテーヌ (フランス)
出場国
ヨーロッパ
スウェーデン(開催国・2大会ぶり4度目)
西ドイツ(前回優勝国・2大会連続4度目、旧ドイツ時代を含む)
ハンガリー(前回準優勝国・2大会連続4度目)
オーストリア(前回3位・2大会連続3度目)
フランス(2大会連続5度目)
チェコスロバキア(2大会連続4度目)
ユーゴスラビア(現セルビア・モンテネグロ)(3大会連続4度目)
イングランド(3大会連続3度目)
スコットランド(2大会連続2度目)
ウェールズ(初出場)
北アイルランド(初出場)
ソビエト連邦(現ロシア)(初出場)
南米
ブラジル(6大会連続6度目)
アルゼンチン(4大会ぶり3度目)
パラグアイ(2大会ぶり3度目)
北中米カリブ海
メキシコ(3大会連続4度目)
トリビア
1.前回準優勝のハンガリーは、1956年のハンガリー動乱の影響から主力選手が亡命し、代表チームとしての力が大きく低下。グループリーグで姿を消しました。
2.ペレが17歳で世界の檜舞台にデビュー。準決勝の対フランス戦ではハットトリック、決勝戦の対スウェーデン戦では2得点の大活躍でした。ブラジルはようやくジュール・リメ杯を手にすることが出来たのです。
日本VSブラジル観戦記
ブラジル戦は京都のビジネスホテルの15インチの小さなテレビで観ました。しかし、なんでワールドカップの時期に仕事であっちこっち行かなきゃならんかなぁ。来週末は新潟です。
ブラジルは明らかに調整試合モードでしたね。調子の上がらないロナウドは試合勘を取り戻させるため出場させてきましたが、アドリアーノ、カフー、ロベルト・カルロス、ゼ・ロベルトらの主力は温存です。でも代わりに出てきたのがロビーニョ、シシーニョ、ジュニーニョ、ジウベルト・シウバだからねー。アンビリーバブルな選手層です。
前半。
日本は積極的に中盤からボールにプレスをかけていきます。そのため、ブラジルも自由にボールを持てません。格上相手には正しい戦法です。ただ90分間プレスをかけ続けることは至難の技。体力が持たないからね(そのあたりは韓国の、決して走り負けない体力とメンタルの強さを見習わないと)。
ブラジルも当然わかっているから、前半は無理に攻めようとはしてきません。
そんな中、生まれたのが玉田のゴール。シュートも素晴らしかったけど、起点は稲本でしたね。相手DFの狭い隙間を通しての三都主への展開は見事でした。
サッカーで勝利するには、ゲームの流れをいかにコントロールするか、これに尽きます。自分たちのリズムの時にきっちり得点し、相手のリズムの時にはきっちり守りきる。日本は自分たちのリズムの時に得点をあげることが出来ました。
でもねぇ、さすがはブラジル。前半ロスタイム、ロナウドのゴールで追いつきます。これで試合の主導権はブラジルに移ってしまいました。
後半。
案の定、日本のプレスが甘くなってきました。で、ジュニーニョのミドルシュートが炸裂。これ、ほとんどボールが回転してません。今大会は数々の素晴らしいミドルシュートが見られますが、球質という点ではこれまでのベストゴールかも。ジュニーニョはフリーキッカーとしても現在世界最高の選手です。そんな彼が控えなんだもんなぁ、今のブラジルは。
このあとの日本はブラジルのパス回しの練習台状態。ジウベルトと再びロナウドに得点を許し、万事休す。余裕のブラジルはキーパーを交代させてきます。これは屈辱的。
けっきょく、4-1の惨敗。日本のワールドカップは終わりました。試合後、ピッチに倒れ込んだ中田が印象的でした。あんな姿を衆目に晒すようなキャラじゃなかったはずなのに。
ただグループリーグ敗退は充分あり得る結果だったので、そのことはまぁいいんですが、問題は3試合通しての負けっぷり。ちょっと酷過ぎましたね。
ジーコの采配にももちろん問題はあるけれども、一部の選手以外はジーコの目指したレベルに達することが出来なかった。これは技術的な問題ではなく、大げさにいうと現状の日本人の国民性の限界なのかも知れません。
今朝の朝日新聞、中小路記者の署名記事が解りやすくそのことを解説しています。
以下一部抜粋。
「サッカーの歴史は、組織を超えた個人の力が最後は勝負を決めてきた」というのが、ジーコ監督の持論だった。「グランドでは監督の力は少ししか作用しない」と語り、指示されるのではなく選手自らが状況判断を下す自主性も求めた。
(中略)
結論からいうと、ジーコ監督のやり方は時期尚早だった。
だが、方向性は間違っていたのだろうか。日本はこれまで、個人能力の劣勢を、組織力を研ぎ澄ませることでカバーしようとしてきた。現実的な策ではあったが、個人能力の不足と正面から向き合わない、逃げでもあった。
戦うのは選手なのだ、という強いメッセージを出し続けたジーコ監督の信頼に、チーム全体が応えなかった面もある。
(中略)
ジーコ監督は選手を信頼し過ぎてしまった。懸念されるのは、この4年間が否定されてしまうことだ。組織と個人能力は対立軸ではなく、両方備えてこそ、強いチームになる。やっぱり個人能力重視はだめだと、組織頼みに針を戻すようでは、日本サッカーは退行するだけだろう。
極めてブラジル的なジーコの哲学に突っ込むことも可能ですが、要するにジーコは日本選手に「ヒトリデデキター」を教えようとしたのでしょう。選手達も一生懸命がんばったし、手を抜いた選手は一人もいなかったと信じています。でもいったい何人が「ヒトリデデキタ」でしょうか。
「やることをやってもし負けるのなら、胸を張って帰れるはずだ」
次期監督候補、オシムの言葉です。
ベスト16出揃う!
6/23 H組 ウクライナ 1 - 0 チュニジア
6/23 H組 サウジアラビア 0 - 1 スペイン
6/24 G組 トーゴ 0 - 2 フランス
6/24 G組 スイス 2 - 0 韓国
フランスがようやく勝ちました(笑)。サウジは控えメンバー中心のスペインを、韓国はスイスの堅い守りを崩せず惜敗、これでアジア勢は壊滅です。次回大会のアジア枠が減り、オーストラリアが組み込まれると予選は厳しくなってきますね。日本も早急に建て直していかないと。ウクライナはシェフチェンコの調子が上がってきたかな。
決勝トーナメントの組み合わせを確認してみましょう。
G組のトップはスイス、2位にフランスが滑り込み。
H組は三連勝のスペインが1位、初出場のウクライナが2位。従って、
スイスvsウクライナ
スペインvsフランス
いきなりスペインとフランス激突! 状態はスペインの方が良いですが、こうなってくるとフランスの存在は不気味ですね。
トーナメント全体の見通しはこちらを参考に
http://wc2006.yahoo.co.jp/schedule/final.html
さんぴえーる
日本、散る
6/23 F組 日本 1 - 4 ブラジル
観戦していた方も多いと思いますが、点差以上に実力の差を見せ付けられた試合でした。ロナウドが本調子なら更に3点前後は追加されていたでしょう。後半はブラジルの華麗なパスワークに翻弄されるばかりでした。もう少し闘志を剥き出しにして戦っても良かったとは思います。予選リーグ最下位に沈むという屈辱的な敗退ですが、全てはここからです。戦いは永遠に続きます。
他の試合は、
6/22 E組 チェコ 0 - 2 イタリア
6/22 E組 ガーナ 2 - 1 アメリカ
6/23 F組 クロアチア 2 - 2 オーストラリア
E組はイタリアが1位通過、ガーナが2位です。ネドベド率いるチェコの敗退は残念ですが、ワールドカップ全体を考えるとアフリカ勢の決勝トーナメント進出は良かったことと言えるでしょうね。荒れた試合を制したオーストラリアがF組の2位、1位は勿論ブラジルです。
これで決勝トーナメントの組み合わせは、
イタリアvsオーストラリア
ブラジルvsガーナ
となりました。
二つともなかなか楽しみなカードです。オーストラリアの泥臭いパワープレイとイタリアのディフェンス陣の攻防、勢いに乗るガーナがブラジルから先制点を奪うと面白くなるでしょうね。
さんぴえーる
昨夜はヘンなタイミングで寝てしまったので...
..ほとんど試合は観られませんでした..(^。^;)
さすがにこっちも疲れてきたよね。でも明朝ブラジル戦に向けて頑張るぞ!
6/21 D組 ポルトガル 2 - 1 メキシコ
6/21 D組 イラン 1 - 1 アンゴラ
6/22 C組 オランダ 0 - 0 アルゼンチン
6/22 C組 コートジボワール 3 - 2 セルビアモンテネグロ
オランダとアルゼンチンは決勝トーナメントに備え潰し合わないよう「ほどほどに」戦ったのかな?(笑)。
コートジボワールはよく頑張ったね、日本も見習わないといけませんな。
これでC組1位がアルゼンチン、2位がオランダに決定。
D組は1位ポルトガル、2位メキシコとなり、決勝トーナメント初戦の組み合わせは、
アルゼンチンvsメキシコ
ポルトガルvsオランダ
という好カードとなりました。
時間が無いのでこれにて!
さんぴえーる
ワールドカップ物語#1
今回からワールドカップの歴史を紐解いていきます。
第一回はワールドカップの黎明期について。
ワールドカップの第一回大会が行われたのは1930年、ウルグアイにて。この大会を企画・発案した当時のFIFA会長・ジュール・リメの業績を称えて作られた「ジュール・リメ・トロフィー」をかけて争われました。
1930年・第一回ウルグアイ大会
参加国 : 13ヶ国
開催期間 : 1930年7月13日~7月30日
優勝 : ウルグアイ
準優勝 : アルゼンチン
3位 : アメリカ、ユーゴスラビア(三位決定戦は行われなかった)
得点王 : 8得点
ギジェルモ・スタービレ(アルゼンチン)
参加国
南米
ウルグアイ(開催国)
アルゼンチン
チリ
パラグアイ
ブラジル
ペルー
ボリビア
ヨーロッパ
フランス
ベルギー
ユーゴスラビア
ルーマニア
北中米・カリブ海
アメリカ合衆国
メキシコ
13ヶ国全て初出場
トリビア
この大会では地区予選は行われず、全てのチームは招待されて参加しました。ところがヨーロッパのチームは船での長旅を嫌い、ほとんどが出場を辞退。開催2ヶ月前の時点でユーラシア大陸からの参加チームは1つもありませんでした。ジュール・リメが参加を呼びかけた結果、ようやくベルギー、フランス、ルーマニア、ユーゴスラビアの4カ国が参加に踏み切りました。
1934年・第二回イタリア大会
参加国 : 16ヶ国
開催期間 : 1934年5月27日-6月10日
優勝 : イタリア
準優勝 : チェコスロバキア
3位 : ドイツ
4位 : オーストリア
得点王 : 4得点
アンジェロ・スキアビオ (イタリア)
エドモント・コーネン (ドイツ)
オルドリッヒ・ネイエドリー (チェコスロバキア)
出場国
ヨーロッパ
イタリア(開催国・初出場)
フランス(2大会連続2度目)
ベルギー(2大会連続2度目)
ルーマニア(2大会連続2度目)
オーストリア(初出場)
オランダ(初出場)
スイス(初出場)
スウェーデン(初出場)
スペイン(初出場)
チェコスロバキア(初出場)
ドイツ(初出場)
ハンガリー(初出場)
南米
アルゼンチン(前回準優勝国・2大会連続2度目)
ブラジル(2大会連続2度目)
北中米カリブ海
アメリカ合衆国(前回3位・2大会連続2度目)
アフリカ
エジプト(初出場)
トリビア
1.初めて予選ラウンドが行われた大会。参加国は、前回の13カ国から32カ国に大幅に増加しましたが、そのほとんどを(22カ国)ヨーロッパ勢が占めました。前回大会でヨーロッパからの参加国が4カ国に止まったことに抗議するため、前回優勝国のウルグアイは参加を辞退しています。
2.この大会はムッソーリニ統治下のイタリアで行われ、対イタリア戦では審判や対戦相手に強い圧力が加えられました。またアルゼンチンをはじめとして多くの選手を帰化させており、帰化選手がイタリアチームの大半を占めていました。準決勝の審判であったスウェーデン人は対戦前にムッソリーニ本人に会ったといわれており、露骨にイタリア優位の判定を繰り返しました。
1938年・第三回フランス大会
参加国 : 15ヶ国
開催期間 : 1938年6月4日-6月19日
優勝 : イタリア
準優勝 : ハンガリー
3位 : ブラジル
4位 : スウェーデン
得点王 : 8得点
レオニダス (ブラジル)
出場国
ヨーロッパ
フランス(開催国・3大会連続3度目)
イタリア(前回優勝国・2大会連続2度目)
チェコスロバキア(前回準優勝国・2大会連続2度目)
ドイツ(前回3位・2大会連続2度目)
ベルギー(3大会連続3度目)
ルーマニア(3大会連続3度目)
オランダ(2大会連続2度目)
スイス(2大会連続2度目)
スウェーデン(2大会連続2度目)
ハンガリー(2大会連続2度目)
ノルウェー(初出場)
ポーランド(初出場)
(オーストリアは不参加)
南米
ブラジル(3大会連続3度目)
北中米カリブ海
キューバ(初出場)
アジア
オランダ領東インド(現インドネシア)(初出場)
トリビア
1.FIFAの2大会連続でヨーロッパで開催するという決定は、大会が2つの大陸の間で交互に行われると考えていた南アメリカで大問題に。ウルグアイとアルゼンチンが参加を辞退しました。
2.オーストリアは予選を通過したが、同年のナチス・ドイツによるオーストリア併合によって国家が消滅。代わりにスウェーデンが準々決勝からの参加となりました。
1942年と1946年は第二次世界大戦のため、大会自体が行われませんでした。