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不思議なイングランド(笑)

6/20 A組 エクアドル 0 - 3 ドイツ
6/20 A組 コスタリカ 1 - 2 ポーランド
6/21 B組 スウェーデン 2 - 2 イングランド
6/21 B組 パラグアイ 2 - 0 トリニダードトバゴ


開催国ドイツは怒涛の三連勝で一次リーグを突破。ポーランドは惜しかったねぇ。
イングランド、またしてもスウェーデンに勝てず!(笑)。後半終了間際に同点にされちゃったよ。38年間に及ぶ<呪い>は今回も解けませんでした。


これで、


A組 1位ドイツ 2位エクアドル
B組 1位イングランド 2位スウェーデン


よって、決勝トーナメントは、


ドイツvsスウェーデン
イングランドvsエクアドル


の組み合わせとなりました。

                                                      さんぴえーる

日本VSクロアチア観戦記・川口と柳沢、新たなる伝説の誕生

おいっス!! エドゥです。
今回は自宅でひとり、ビール飲みながら観てました。

結果は皆さんご存知の通り0-0の引き分け。
両チームとも勝ち点3が欲しいので攻撃的な布陣で試合に臨みましたね。なかなか攻守の切り替えの速い、観ていて面白いゲームでした。ただし、酷暑のせいかどちらもフィニッシュの精度を欠き、試合終了直前にはバテバテ。お互い得点出来ずに痛み分けに終わってしまいました。

この試合のターニングポイントは二箇所。
前半、クロアチアのPKを川口が防いだ場面。それと後半開始そうそう、柳沢が決定機を外した場面です。

まずは川口から。
これは文句なしに素晴らしい。スルナの蹴るコースを見事読み切りましたね。今大会、間違いなく川口には確変が来ています。
ではここで、数年に一度発生する川口の確変の変遷を思い起こしてみましょう。

1.1996年アトランタオリンピックの対ブラジル戦。
有名な「マイアミの奇跡」。あの時のブラジルはベベット、リバウド、サビオ、ジュニーニョ、ロベルト・カルロス、(途中から)ロナウドととんでもないメンバーが揃っていました。川口は彼らが放った三十本近いシュートを防ぎビッグサプライズを起こしました。

2.2000年アジアカップ決勝の対サウジアラビア戦。
1-0でリードする日本に対し、後半サウジは怒濤の攻撃。川口はサウジの決定機を全て防ぎアジアカップ優勝に大きく貢献しました。

3.2004年アジアカップ準々決勝の対ヨルダン戦。
1-1でPK戦に突入。日本は1番手の中村、2番手の三都主が外し絶対絶命。その後、川口は奇跡的なセーブを連発しPK戦で逆転。結果、アジアカップの連覇につながりました。

ただ、僕の記憶が確かならば、川口って連チャンが来ないんだよね。確変の次の試合では簡単にニアを抜かれてゴール決められたりしてるし。さて、ブラジル戦ではどうか?
がんばれヨシカツ!!


次に柳沢。
右サイドの加持からのクロスをゴール前、どフリーで外しちゃいました。インサイドで軽く流し込めばいいものを、なぜかアウトサイドで蹴ったボールは、キーパーの股を抜き、さらには枠を外します。これはなかなか難易度の高い(?)シュートミスと言えるでしょう。
このような柳沢のことを某巨大掲示板ではヘナギ(ヘタレの柳沢)と呼んでいます。では、これまでのヘナギ伝説を振り返ってみましょう。

1.2000年アジアカップ決勝の対サウジアラビア戦。
川口が確変を起こした試合です。後半途中から投入された柳沢はゴール前に侵入、そこへパスが来るのですが、周囲に味方がまったくいないにもかかわらず、なぜかスルー。激怒したトルシエ監督(当時)に交代させられます。
名付けてヘナギスルー。

2.2001年国際親善マッチの対セネガル戦。
ドリブルで駆け上がった中田英寿が、ゴール前でフリーの柳沢に絶妙のクロス。柳沢はダイレクトでシュート。ところがボールは相手ゴールではなく、なぜか柳沢の頭上高く舞い上がってしまいました。中田呆然。
名付けてヘナギサイクロン。

今回のシュートミスもさっそく例の巨大掲示板で「柳沢の新技に名前をつけるスレ」が立っていました。いろいろと秀逸なネーミングが集まっていますが、僕はヘナギブリザード(観ていた全員を凍りつかせた)に一票。

さて、このままではあまりにも柳沢が可哀想なので、彼が確変を起こした試合も取り上げましょう。

2001年国際親善マッチの対イタリア戦。
イタリアはカテナチオ(かんぬき)と呼ばれる堅固な守備で知られるチーム。戦前は誰もイタリアからゴールを奪えるとは思っていませんでした。
ところが前半、稲本の粘り強いチェックからこぼれたボールに反応した柳沢は、名手ユリアーノの裏を取り、美しいボレーシュートを決めました。そのときイタリア人の実況アナウンサーは「ヤナガシワー!!!!」と絶叫。どうやらヤナギサワと発音出来なかったようです。試合は強豪イタリア相手に1-1の引き分け。
このシュートはかなりのインパクトをイタリア人に与えたようで、その試合の後、柳沢はイタリアのメッシーナから移籍のオファーを受けることになります。

もともと柳沢は「ゴールするだけがFWの仕事ではない」という哲学の持ち主。その言葉を裏付けるようにゴール前で効果的に動きまわり、味方の攻撃を援護します。またチャンスメイクも得意で、2002年のワールドカップ対ロシア戦、決勝点となった稲本のゴールをアシストしたのも柳沢です。

今回のワールドカップ直前、ドイツとのテストマッチ。柳沢のチームに貢献する素晴らしいプレイを見て、「やっぱ、柳沢は必要だよな」と僕は頼もしく思っていました。
それなのに・・・ああ、それなのに・・・。

3戦目の対ブラジル戦、柳沢はやっぱりヘナギのままなのか?
それとも意地を見せて確変を起こすのか?
そもそもジーコに試合に出してもらえるのか?
がんばれヤナガシワ!!

全チーム2試合終了

6/19 G組 トーゴ 0 - 2 スイス
6/20 H組 サウジアラビア 0 - 4 ウクライナ
6/20 H組 スペイン 3 - 1 チュニジア


G組はスイスがトーゴに勝ったことで、二戦連続ドローのフランスが三位に後退。おいおい、下手すりゃ予選リーグ敗退だぞ、しかも二大会連続...

スペインに大敗したウクライナは立て直してきましたね。

そのスペイン...先制点を取られ追いつけないまま前半を終えたので、「ああ、やっぱり今回もスペインはスペインなのか」(笑)と思いかけましたが、どっこい後半はラウル他を投入して見事逆転に成功、ベスト16進出です。


                                                         さんぴえーる

日本引き分ける

6/18 F組 日本 0 - 0 クロアチア
6/19 F組 ブラジル 2 - 0 オーストラリア
6/19 G組 フランス 1 - 1 韓国


う~ん、勝てる試合でした、残念。危ない場面は幾度もありましたが、終始押されていたオーストラリア戦に比較すれば流れは「日本のゲーム」。あらためて「走る」ことの重要性を痛感した試合でもありました。これでブラジルに勝つ以外決勝トーナメント進出は不可能になりましたが、選手たちには悔いを残すことなく思い切ってやって欲しいですね。


さて、そのブラジル。お世辞にもコンディションが良いとは言えない中、日本を破ったオーストラリアを一蹴したのはさすが。まぁ、ミスも多い試合でしたけどね。韓国は根性を見せました。ていうかフランス...こんなもの?(笑)


                                                         さんぴえーる

大荒れのE組

6/17 D組 ポルトガル 2 - 0 イラン
6/18 E組 チェコ 0 - 2 ガーナ
6/18 E組 イタリア 1 - 1 アメリカ


戦前の予想通り、E組が大混戦になってきました。チェコは疲れていたのかなぁ。長身のFWコレルを欠くとはいえ、一点も取れないとは...。対するガーナは個々の身体能力の高さをフルに発揮した感じです。イタリアとアメリカの試合は観ていませんが、相当に荒れた試合だったようですね。

ポルトガルが40年振りの決勝トーナメント進出とは...W杯の厳しさをあらためて感じさせてくれます。

  


                                                         さんぴえーる

ブサメン・ワールドカップ#9(最終回)

おいっス!! エドゥです。

ブサメン・ワールドカップもいちおうこれで最終回。最後を飾るのはブサメン界でも世界一(笑)、ブラジル代表のMF・FW、ロナウジーニョです。

ロナウジーニョ引き

ロナウジーニョ寄り

本名 ロナウド・ジ・アシス・モレイラ
国籍 ブラジル
誕生日 1980年3月21日
出身地 ポルト・アレグレ
身長 180cm
体重 80kg

所属チーム
1998-01 グレミオ(ブラジル)
2001-03 パリ・サンジェルマン(フランス)
2003- バルセロナ(スペイン)

ロナウジーニョに関してはもう説明の必要もないでしょう。今回のワールドカップは「ロナウジーニョの大会」になるだろうと言われるほど。現在、世界最高のサッカー選手です。
経歴をざっと見てみましょう。凄まじいです。

獲得タイトル
代表
1997年 FIFA U-17ワールドカップ - 優勝
1999年 コパ・アメリカ優勝
2002年 FIFAワールドカップ優勝
2005年 FIFAコンフェデレーションズカップ優勝
クラブ
2004-2005 FCバルセロナ リーガ・エスパニョーラ - 優勝 
2005-2006 FCバルセロナ リーガ・エスパニョーラ - 優勝 
2005-2006 FCバルセロナ スペイン・スーパーカップ - 優勝
2005-2006 FCバルセロナ UEFAチャンピオンズリーグ - 優勝
 
個人タイトル
1997年 FIFA U-17ワールドカップ得点王
1999年 FIFAコンフェデレーションズカップ得点王
1999年 FIFAコンフェデレーションズカップMVP
2000年 シドニー五輪南米予選得点王
2004年・2005年 FIFA最優秀選手賞
2005年 FIFPro最優秀選手賞
2005年 バロンドール(ヨーロッパ最優秀選手)

スポーツ専門誌「Number」に載った田村修一氏のロナウジーニョ評が彼のプレースタイルの全てを語っていると思います。
「こう比較するとわかりやすいかもしれない。小野伸二の笑顔と軽やかなボールタッチ。中田英寿のフィジカルの強さと視野の広さ、大きな展開力。中村俊輔のテクニックと足首の強さ、柔らかさ。そして稲本潤一のアグレッシブな動き。ロナウジーニョはかつてわれわれが「黄金の4人」と呼んで理想化した日本のミッドフィルダーたちの長所をすべて兼ね備えている」
でも笑顔は小野の方が素敵だと思うぞ。

ロナウジーニョの全盛期をリアルタイムで見られる幸運を、僕たちはサッカーの神様に感謝すべきです。マラドーナを見逃した人、間に合わなかった人、今はロナウジーニョがいます。

余談だけど、ロナウジーニョは「スターウォーズ」のジャージャー・ビンクスにそっくりです(笑)。ちょっと並べてみましょう。

ロナウジーニョとジャージャー
左がジャージャー、右がロナウジーニョ。間違えないでね。

さて、ロナウジーニョは前評判通りの活躍を見せられるのか。がんばれジャージャー!!

ブサメン・ワールドカップ#8

おいっス!! エドゥです。

第8回目はフランス代表のMF、リベリーです。

リベリー引き

リベリー寄り

本名 フランク・リベリー
国籍 フランス
誕生日 1983年4月1日
出身地 ブーローニュ・シュル・メール
身長 170cm
体重 62kg

所属チーム
2000-02 USブーローニュ(フランス)
2002-03 オリンピック・アレス(フランス)
2003-04 スタッド・ブレスト(フランス)
2004-05 FCメス(フランス)
2005.1-05.8 ガラタサライ(トルコ)
2005.8- オリンピック・マルセイユ(フランス)

この人をブサメンにするのはちょっと気が引けるのだけれど、こういう選手の存在もぜひ知って欲しいのであえて取り上げました。

リベリーはフランスでも貧しい都市といわれるブーローニュ・シュル・メールの、さらに最も貧しいシュマン・ヴェール地域の生まれです。
2歳の時に父親の運転する車で事故にあい、路上に投げ出されました。この時に顔面にできた傷は今も深く残っています。当然、少年時代はいじめにあいました。「カジモド」(ノートルダムのせむし男。醜さの代名詞)とあだ名されるほど忌み嫌われたのです。

リベリー寄り2
右頬と額に注目。

サッカー人生も波乱に富んでいます。
13歳でリールの育成センター入りを果たしたものの、学業成績が悪く追放。
次にアレス(3部)に移りますが、クラブ財政が破綻し、挫折。リールを追い出された経歴から、どこのクラブからも雇ってもらえませんでした。
なんとかブレスト(当時3部)に入団すると、ここでリベリーは大活躍。クラブの2部昇格の原動力に。次いでメツ(当時1部)に移籍を果たすと、いきなりフランスリーグ月間最優秀賞に輝きました。
ところがそれもつかの間、ナイトクラブで暴力沙汰に加わり、メツを飛び出してガラタサライ(トルコ)へ。ところが“給料遅延”を理由に契約を破棄すると、さっさとマルセイユに移ってしまいました。
そんな「札付き」の問題児が、昨シーズン、マルセイユで大活躍し、一躍フランスリーグのヒーローに。いまやジダンの後継者と呼ばれるほどになりました。

不振にあえぐフランスの救世主となれるか? がんばれリベリー!!

アルゼンチン、オランダがベスト16に!!


6/16 C組 アルゼンチン 6 - 0 セルビアモンテネグロ
6/17 C組 オランダ 2 - 1 コートジボワール
6/17 D組 メキシコ 0 - 0 アンゴラ


アルゼンチンは予想以上に強いですね。オランダを苦しめたコートジボワールの健闘が光りました。

日本も最後まで諦めてはいけません!!


 

       さんぴえーる

ブサメン・ワールドカップ・クラシックス

おいっス!! エドゥです。

今回は趣向を変えて、過去のワールドカップで活躍したブサメン・プレイヤーを2名紹介します。奇しくも両名ともコロンビア代表。確かにかつてのコロンビアにはキャラの濃いヤツが多かった(笑)。

まずはGKのイギータです。

イギータ寄り

本名 レネ・イギータ・ザパタ
国籍 コロンビア
誕生日 1966年8月28日
出身地 メデリン
身長 176cm
体重 82kg

所属チーム
1985 ミジョナリオス(コロンビア)
1986-92 ナシオナル・メデジン(コロンビア)
1992-93 レアル・バリャドリード(スペイン)
1994-97 ナシオナル・メデジン(コロンビア)
1997-98 ベラクルス(メキシコ)
1998-99 インデペンディエンテ・メデジン(コロンビア)
1999-01 レアル・カルタヘナ(コロンビア)
2001-02 アトレティコ・フニオール(アルゼンチン)
2004- アウカス(エクアドル)

新宿中央公園あたりでブルーシートのテントに住んでそうな雰囲気のおっさんです。この人は世界のサッカー史上もっともイロモノなGKと言ってよいでしょう。

なんでもないクロスボールを「スコーピオンキック」と呼ばれるアクロバティックなプレーで跳ね返してみたり(下の写真参照)、ドリブルを試みてシュートを放ったりと、サッカーの常識を一切無視したプレーを展開する選手だったのです。
またPKを蹴るGKの先駆けでもありました。

イギータ蹴り

1990年のワールドカップ・イタリア大会では、決勝トーナメントの一回戦、対カメルーン戦で痛恨のミスを犯します。延長戦でいつものようにドリブルを始めたイギータは、ロジェ・ミラにボールを奪われ無人のゴールにシュートを放たれてしまいます。明らかに自分のミスで招いた敗戦ですが、イギータはこの件に関して「全く後悔してない」と発言、多くのコロンビアーノの反感を買いました。
続く1994年のワールドカップ・アメリカ大会では、マフィアがらみの事件に巻き込まれて逮捕。出場をふいにしています。


続いては、長らくコロンビア代表に君臨した司令塔、バルデラマです。

バルデラマ引き

バルデラマ寄り

本名 カルロス・アルベルト・バルデラマ・プラシオ
国籍 コロンビア
誕生日 1961年9月2日
出身地 サンタマルタ
身長 179cm
体重 74kg

所属チーム
1971-77 コレヒオ・セレドン(コロンビア) 
1978-83 ウニオン・マグダレナ(コロンビア)
1984 ミジョナリオス(コロンビア)
1984-88 デポルティーボ・カリ(コロンビア)
1988-91 モンペリエ(フランス)
1991-92 レアル・バリャドリード(スペイン)
1992-93 インディペンディエンテ・メデシン(コロンビア)
1993-95 ジュニオール・バランキア(コロンビア)
1996-98 タンパベイ・ミューティニー(アメリカ)
1999 マイアミ・フュージョン(アメリカ)
1999-03 タンパベイ・ミューティニー(アメリカ)

見た目のインパクトという点では、僕はバルデラマを越える選手をいまだ知りません。この髪型、パーマはあてておらず地毛だということです。

極端なガニ股から繰り出されるインサイドキックからのスルーパスは正確無比。
1987年のコパ・アメリカでの活躍が評価されて同年の南米最優秀選手賞を獲得しました。
以後、コロンビアを90年、94年、98年と3度ワールドカップ出場へ導き、中心選手(いずれも主将で背番号10)として活躍しました。
コロンビアのサッカー史上、最大のスター選手と言えるでしょう。

こちらは大雨ですが...

ドイツは熱そうですね!



06/15 A組 エクアドル 3 - 0 コスタリカ

06/16 B組 イングランド 2 - 0 トリニダードトバゴ

06/16 B組 スウェーデン 1 - 0 パラグアイ



ドイツに続き、エクアドル、イングランドが決勝トーナメントに駒を進めました。イングランドはルーニーも後半から出ていたし、ベッカムも好調、この先も期待が持てそうですね。


                                                         さんぴえーる