「悟っている人」と「悟っていない人」 | 原初の星の物語

原初の星の物語

オリジナル作品「紺碧の採掘師」のブログ。更新情報など。

人と言うのは自分の持つ観念でもって物事を判断するもんですが

ウチのブログのアイコンはこんなで↓こんなイラストとか描いてるから
 
ブログ記事を書いてる人は「若い人」なのかと思うかもしれませんが
私は若くはありません!爆  笑それなりの歳の人ですウインク

ところで以前の記事で、

夢の中で「夢だ」と気づかないと夢だとワカランという事を書きましたが
「悟り」も全く同じ事です。

中野さんの本でこういう文章がありますが

目覚めた人と目覚めていない人がいるわけではなく、目覚めたと思っている人と目覚めていないと思っている人がいるだけなのです。

中野真作.癒しと目覚め Q&A. shibabukkusu. Kindle 版. 


夢の中で「夢だ」と気づいている人と気づいていない人が居るというのと全く同様で
その思考が来なければ「悟った」とは思わないんですよ。

夢の中で「夢だ」という思考(直感的理解)が来れば、
「夢だ」と気づきますけども、もしその思考が去ったなら(忘れてしまったなら)
「夢」に巻き込まれていく訳ですから。
以前の記事で書いた通りです。

私は「夢だ」の思考が無くなった途端に再び夢に巻き込まれていきました。

で、その「夢だ」という直感的理解は

自分で自己意志で(考えたりして)起こした訳では無く

「勝手に来た」訳です。
 

同様に「悟りだ」というのも同じ事です。

例えば、かなり前の過去記事で書いた事あるけど

殆どの臨死体験者は自分が「臨死体験した」なんて思ってないんですよ。
臨死する以前に何かの本で読んだり、人から聞いた話で
「こういうものが臨死体験と言われる体験だ」という知識・観念があったならば、
その体験をしたときに「臨死体験した」となりますが
そうではない、スピとか全く興味が無かった人々は「不思議な経験をした」になるんです。

ちなみに中野さんは一瞥体験をする以前に何かの本で読んだらしく?

「これが悟りの一瞥か」とかいう知識があったんで
自分が実際その経験をした時に「これがそうか」と思ったそうです。

しかしエックハルト・トールの場合はそんな知識とか無かったから

「自分の、この感覚は一体何なんだ?」となりました。

(そこから色々調べたり理解したりして行った訳です)

つまり「悟った」とかいうのは、自分の経験や理解を「これが悟りだ」と
合致させたというか定義しただけ、という事になるんです。


「悟った」「悟り」という事すら「観念物語である」という事なんですよ。

で、中野さんの本にあるこの文章ですが

(って勝手に中野さん応援フェア絶賛継続中だな)

 

 悟りや非二元に興味を持っている方に注意してほしいのは「あの人は悟っている人だ」という投影です。
 「悟っている」も「悟っていない」も思考が作り出した分離(ストーリー)にしかすぎません。悟りというのはすべての人の本性そのものです。

中野真作. 「私」という夢から覚めて、わたしを生きる: ~非二元・悟りと癒しをめぐるストーリー~ . aoyamaraifushuppansibabukkusu. Kindle 版. 

 

『あの人は悟っている人だという投影』
…上記に書いたように、自分の中にそれが無ければ投影は起こらないんです。

貴方の中に「こういうものが悟りだ」とか「この理解が、悟ったという事だ」とか
何らかの「悟りへの理解」がある、「悟りを知っている部分がある」から
外にそれを見た時に「あの人は悟っている」という判断が起こるんです。
自分の中のものを相手に合致させたというか。

だけどそれが自分の中にあるとは気づいていないから、他人が持ってるように見える。

なぜかと言うと自分の事は自分では分からないからです。
自分の顔は、鏡を見ないと見れませんよね?

例えば酔っぱらってる人って自分が酔ってるとは思わないですよね!
私は酒を飲まんので、飲んで酔った人から「アンタ酔ってるねー」と言われて
「いや私、シラフなんですけど」って言っても「いやアンタ酔ってるよ!」
…いやいやそう言ってるアンタが泥酔してんですけど!っていう爆  笑

んで酔いが醒めると「自分、酔っぱらってたかな」とか言い出す!

つまり「離れて(対象化して)初めて気づく」んです。

だから、自分の中にあるものに気づかず他者に見て、対象化して気づくんだけども
自分の中にあると思っていないから、他者が持ってて自分には無いと思ってしまう。

(これは実は「空」と「現象」と「気づきの仕組み」そのものだったりもします。)


中野さんは悟りの知識があったんで、一瞥体験した時に「これがそうか」と思った。
しかしエックハルトは無かったから「ナンダコレ」になった。

貴方の中に「悟り」を知っている部分があるから、ウチのブログ見たりするんですよ。
そうでなかったら「なにこの怪しげな謎ブログ、おかしいんじゃない?」とかなります。

ウチのブログは単なる「鏡」です。

貴方の中に「知っている部分」があるなら「なるほど!」とかなるでしょう。

ただそれも「起こるがまま」で、

夢の中で「夢だ」という直感的理解が来ても来なくても「夢の中に居る事」は変わらないように、「悟った」と思っている人と、思ってない人がいるというだけの事なんです。ウインク