「投影」=貴方が切り離した自分 | 原初の星の物語

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オリジナル作品「紺碧の採掘師」のブログ。更新情報など。

今日はふと「投影」について書こうかなと思ったので書きます。

中野さんの本の中で「影を取り戻す」と「白い影」について書いてるけども
「自分が否定したものは外側に投影される」ってのは
端的に言えば「自分がそうだから他人もそのように見える」という事でして

例として挙げると
……昔、私の母親は、よく私に対して

「アンタお母さんの事を馬鹿にしてるんでしょ!」と怒る人だったんですが
幼少期の私は全く母の事を馬鹿にしていないし、

むしろいつも一生懸命働いてて凄いなぁと思ってたんですけど
母は何かにつけて「またお母さんの事を馬鹿にして!」と言うんですよ。

私が「そんな事思ってないよ!」と言っても

「ホントはバカにしてるんでしょ」とか、なんかこう……
んで次の日になるとまた「またお母さんの事を馬鹿にして!」と繰り返されるんで
幼少期の私は何も言わなくなりました……というよりもですね

何度も何度も「また馬鹿にして」と言われると、いい加減に

「この人に何を言っても無駄」となってしまうんです。


という事なんです。

つまり「本人が」、「私の事を馬鹿にしてるんでしょ」と思ってるから

周囲が自分を馬鹿にしてるように見えるんです。

何故に「馬鹿にしてるんでしょ」と思うのかは知ったこっちゃありませんが

例えばですが「馬鹿にされた怒りや悲しみ」だと仮定すれば

それを取り戻したくて「自分を馬鹿にする悪役を作ろうとする」という事になるので

そうだとすれば「切り離された」のは「馬鹿にされた怒りや悲しみ」と言う事になります。

 

余談ですが「この人に何を言っても無駄」となった私は

「人は私の事を分かってくれない」という悲しみがあるんで

「わかってもらいたくて」散々説明する事をやるようになり

その影響でこんな謎ブログ書いてる訳です。

 

 

……で。

中野さんの本に、例として挙げてある
『子供の泣き声がとても気になってしまうとしたら、あなたは本当は物凄く泣きたいのかもしれません』という文章。

これを私の実話を例として解説すると
私は幼少期に、物凄く悲しい時に、母親から「そんな事で泣くな!」と怒鳴られて泣けなくなりました。どんなに悲しくても強がって泣かなかった。

するとギャーギャー泣いてる子供を見ると「自分は我慢したのに!泣きやがって」と嫉妬が起きてムカッとするので気になってしまうんです。

もう一つ、私は親から「自由にするな」と言われて育ったので自由奔放にしてる子供見るとムカッとします。これも上記と同じ事ですね。

つまり「泣きたいのに」「自由にしたいのに」という「自分から切り離した感情」が「分かってくれ」と叫ぶから気になる訳です。


中野さんの言う「実は世界は自分だった」というのはこういう事です。タブン!

だから、それらの「自分から切り離した」感情に気づいて「統合」すると楽になる、という訳です。


次に「白い影」についてですがこれは以前の記事で書いた事あるけども

私は「親への神聖視」のパターンを持つ人なので問答無用で他人が凄く見えるんです。
つまりそれが、中野さんの本で言う「白い影」です。

端的に言うと、例えば何かのスピ本とか自己啓発本を読んで「この人は凄い!」となってそのセミナーとかセラピーとかに申し込んで受けるんだけど、だんだん「アレ?」「何かオカシイぞ」って思って疑問が積もり積もって、思い切って講師に「それは違うんではないでしょうか」的な事とか「これはちょっとおかしいのでは」とか言ってみたら逆ギレ激怒されてショック!みたいな。

そこで目が覚める訳ですよ「この人、そんな凄い人じゃなかった…」と。

 

だって、「本当に」凄い人々は、私の疑問や本音に対してキチンと向きあって答えてくれますし!実際それがインサイトのカウンセラーであり、中野さんなんですよ。

 

そもそもの話、私が、とある自己啓発本を読んで「凄い!」と思ったとしても

世界の全員が、その本を読んで「凄い」と思う訳が無く

つまり、その自己啓発本に対して「凄い」と思ったのは自分な訳ですよ。

んでその「凄い!」という解釈というか何というかは

自分の中にあるからこそ「凄い」と判断・解釈した訳なのです。

 

自分の中に「凄い」と判断できる何か(知識とか理解力とか)が無ければ「凄い」とはならず

むしろ「ナニコレ?」になったりする訳なので。

 

 

貴方が「外側に」投影したものは何でしょうか。

切り離した自分を取り戻してあげよう!

 

私も色んなモンを外側にブンブン投げてますんで取り戻さんとアカンですね爆  笑