なんか最近の記事が「小難しい話」になってるような気がするんで今日は雑談的な話を。
そもそもこのブログは本来は「紺碧の採掘師」という作品ブログですので!
それなのに、何で悟りとか心理の事を書くのかと言うと
……自分でも良く分かりません!
ただ何というか、理解が起こる度にそれを書くのが楽しいから書くんですが
個人的に「書く」「出す」という事は「他者に伝える」という事だと思ってるんで
自分が分かればそれでOKではないんです。
って誰が見てんだかわからんブログなんですけど
誰が見るかはワカランのですが、ともかく
「他者に分かりやすく伝えるにはどうしたらいいかを考えるのが楽しい」んだな、多分。
「他者に分かるように書く」には、まず自分が理解していないとダメなので
「他者が理解しやすいように書く」為に、自分が理解する事になるという。
だから書く事で自分の理解が深まったりします。
ちなみにそれは作品でも全く同じ事で
漫画だと「他者に分かりやすく伝える」が、やり易いんですよ。
絵だから。
しかし数年前に漫画を描く事はやめてしまったんで
…というか「紺碧の採掘師」があまりに長編な作品で
漫画にするのは無理だなと思って
それで「シナリオ状態」でネット上に出した訳ですが
しかしこの「シナリオ」は、自分にしかワカラン体裁で書いてあるので
他者が読んでもなかなか分かり難いだろうなと。
以前は別にそれでもいいかーと思ってたんですがやっぱり不満だったらしく
今年になって「小説的に」リニューアルする事にした訳です。
「読む人に、わかりやすく!」
ところが私自身は小説を全く読まない人なので
小説の書き方なんぞ全くワカランので
自己流小説体裁にはなるんですけども
ここでも「他者に分かるかどうか」が焦点で
まぁホントに小説ってのはムズカシイー!と悪戦苦闘する日々です。
漫画の方が絶対的に楽だなぁとは思うんですよ。
「紺碧」は沢山のキャラが出て来る作品なんですが
沢山のキャラが話をしているシーンで
誰が、どこで、誰に向かって、どのセリフを話しているか
その説明を「不自然ではないように」入れるのが難しい!
「シナリオ」は、漫画にする為の下地ですんで、自分が分かればいいので、
誰がどこで誰に向かって何を、等の説明は、私のアタマの中にあるので
シナリオには殆ど書いてないんです。
なにせ私のアタマの中に全ての情景、シーンが映画のように出来てしまってるんで。
しかし「小説」となるとそれを「読む方に分かりやすく」説明し、
かつ、文章の流れ的に、読んで不自然ではないようにしないといけないっていうのが
ムズカシイー!
と思う訳です。
しかしこの「他者に分かりやすく説明する」という性質、パターンは
幼少期から培われたと思います。
なぜならウチの親兄弟と私の世界観や理解度が全く違っていた為に
親に自分の言いたい事を理解させるにはどうしたらいいか
散々考えて来たからです。
んでもってそのトラウマの再上演で、
親兄弟と同じような、「世界観も理解度も全く違う人々」と散々関わって来たので
もう「理解されない」「わかってもらえない」のオンパレード
それに対して「どうやったら分かって頂けるか」
「どのように言ったら」「どのタイミングで」「どんな行動したら」とか
説明する方法とか説明するタイミングとか説明する言葉遣いとか色々色々
それだけやっても、ワカラン人にはわかってもらえない
それほど、人は、違っている、という事を散々散々経験してきましたんで
→ それが「紺碧の採掘師」という作品で描かれている事なんですが!
しかし逆に言うと「どのように言ったら分かってもらえるか」
「どう説明したら分かり易いか」を考えるのが実は好きだからこそ
そんな状況を選んだのかもしれんなーとは思います
だから実は「悟りの理論」とか「心理理論」っておもろいんです、
説明のし甲斐があるから!特に「悟り」なんてそうで
どんな観点からでも、どういう例えでも、色んな説明の仕方が出来る!
という事でウチのブログでは「悟り」とか「心理」について
実は同じ事を、何度も違う観点から説明してます。
一見、違う事について書いてるような記事でも
実は同じ事を言ってたりするんですよ
書き方によって、難解に見えたり簡単に見えたりしてますけども
なぜなら「悟り」ってのは、「月を指す指は月そのものではない」で
それそのものを説明は出来ないからです。
とりあえず「紺碧の採掘師」リニューアル版は
上記のような理由で、リニューアル作業がなかなか進まんのですが
……なにせ「これでいい」と思っても
数日後に読み返したら「やっぱり直したい」とかなってしまうんで
地道に地道に掲載します。
以前の記事で書いたような気もするけど
「紺碧の採掘師」という作品(シナリオ版)が最初に出来たのは2017年ですが
その前段階となった作品は2012年頃かな
現在のキャラが出来たのは2010年
でも原版となった作品は2005年辺りまで遡ります。
同じキャラと付き合い続けてもう20年
なんでこんなにこの作品に拘るのか全くワカランですが
ほんっっっとに色んな紆余曲折や挫折や絶望があったんですが
なぜか再び「作ろう」という想いが湧くんですよ。
この作品には「流れのままに」ってのを散々鍛えられてる気もします。
実際、なんだかんだあっても結局は「作る」事そのものが楽しい(汗)
という事で作品についての雑談でした。