長くなるので昨日の記事では最後の部分を大雑把に書いたんだけど、
今日はそこんとこを説明します。
『貴方が意識を向けた(気づきの光を当てた)ものは「存在感」を得て「存在する」と感じられる』ってとこですね。
昨日の記事ではこんな画像がありました。
これは空間を仕切る「単なる仕切り」だ、と。
仕切りがあっても「空間」は絶対的にそのまま存在する、と。
実は貴方のすぐ目の前にもデカイ「仕切り」があります。
こんな「仕切り」です。
……適当に作りまくったのでナンダコリャと言われてしまいそうですが「身体」です。
とりあえず身体だと思ってくれ(汗)
「身体」とは実は、仕切りなのです!
ここで皆さん、ロボットアニメを連想すると思うんですが
アレは一理あります、特に「自分の感覚とロボットの感覚を繋ぐ」ようなやつは。
皆さん、五感って、絶対に「内側から」感じてますよね?
まぁロボットアニメで、ロボの中に入れば
全ての五感を「中から」感じるよねというイメージと同じですが
(視覚は網膜に映った映像を『中から』見ています)
『貴方が意識を向けた(気づきの光を当てた)ものは「存在感」を得て「存在する」と感じられる』というのは、つまりこういう事です。
「空」である貴方が「内側から、気づいている(認識している)から」「身体が在る」んです。
貴方が「空に発生した気づきの太陽」なんですよ。
「空」である貴方が「存在(存在感)」を与えるから、身体と、身体の五感で感じる世界が「存在している」ように感じるんです。
そして貴方の意識の焦点が「五感(身体)」との同一化から離れた時、
つまり「現象(色)」だけに同一化して「空」に気づいていない状態から
「空」に気づいて「空」に同一化した時、身体も含めて「世界の全てが自分」になる。
…ただしその状態だとエックハルト・トールが2年間、公園で至福の中ボケッとしていたように「社会生活」できなくなるんで「空」と「色」をどっちも生きる事が重要……とは言ってもそんなの自分で起こせる訳じゃないんで流れのままに、なんだけど
昨日の記事で書いた「なぜ『空間がある』とわかるのか?」
……貴方が「空」だからなんですよ。
「自分が存在している」と思えますよね?
自分自身の存在感を感じているから存在していると思えるよね?
「存在承認」が「本質的な愛」です。
人は誰でも、というか自我は誰でも「認められたい」と欲します。
なぜならそれが「愛」だからです。
全ての現象は、言わば「認められたい」んです。
「存在を、認めて欲しい」=「在る(有る)と、認めて欲しい」
なぜなら「無視」=「無い」という事だからです。
だから「無視される事」が物凄く傷つくんです。
「私の存在を認めてくれ」という事なんです。
しかし本質的な貴方は「空」であり、全ての現象の「存在を認める気づき」=「愛」なんですよ。
だから、エックハルトとか、中野さんとかが、
「身体に意識を向ける」とか「考えずに身体を感じる」とか「感情を感じる」とか言い、
それが「本当の自己愛だ」と言うんです。
意識を向ける=気づいてあげる事が、愛であり、解放になるんです。
これはトラウマ治療とかカウンセリング受けた事がある方なら良く分かると思います。
誰にもわかってもらえない苦しみを、わかってもらえた時に
「ああ、やっとわかってもらえた」
「ああ、やっと気づいてもらえた」
これでホッとして、安らかになり、解放されますよね?
逆に「分かってもらえない」「気づいてもらえない」のは苦しみであり、なかなか感情が解放されません。
「気づいてもらえる」=「存在承認」されるまでは解放されないんです。
トラウマ感情と同様に、全ての現象もそうなんです。
全ての現象は「空」に内在する「無限の可能性」です。
全てはエネルギー、流れですので
「気づきの光を当てられ、その存在を認められて、解放されて流れて行く」んです。
「空」である自分が、自分自身に気づくのが「気づき」であり「目覚め」ですが
「意識を向けるだけでいい」というのはそう言う事です。
貴方が自分自身である「空」に意識を向ければ向けるほど「空」の存在感は増していきます。
「何もしなくていい」とか「ただ存在するだけでいい」とかいう理由はそう言う事で
「意識を向ける」事こそが存在承認であり愛であり、本質的な自分自身の、神の力だからなんです。
……なかなか説明がムズイんですが、頑張って説明してみました。
この記事を読んでから中野さんの本とかエックハルトの本とか世界の悟り人の本とか読むと理解しやすいかもしれません、というより、理解しやすくなるといいなぁと思います
おまけ・果てしない「空」を感じる一枚。個人的に「青空」がスキ