空間が、在る! | 原初の星の物語

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オリジナル作品「紺碧の採掘師」のブログ。更新情報など。

今日はちょっと「在る」について書こうかなと思いますが

別に「在る」を知ったからとて「幸せ」になる訳では無いです。

そもそもこういった「悟りの知識」というのは

「それを知ったからとて幸せになる」というもんではないんですが

なぜか巷の悟り本では「理解したら幸せになる」みたいな事を書いてる。

 

んー、「モノは使いよう」でして、その知識によって気づきが起こり

それによって「幸せ」になる場合もあるけれども

全く関係ない場合もあります。

 

ただし「観念の変化」という点では知識は役に立ちます。

その変化が次の変化へ繋がっていくので、

何というかな「一発ですぐ幸せになる」よりも

「少しずつ、微妙な変化を続けて幸せになって行く」の方が安全です。


だって正直、「悟り」って「観念の変化」で

観念激変するって相当な衝撃ですから少しずつの方が……前置きが長くなった(汗)


悟り本とかではよく「在る」とか「存在感」だとか「存在」という言葉が使われますが
今日はそれについて書きたいと思います。

…ってふと思い出したんですが

私は昔、高校時代、美術部で、なぜか「存在」という絵を描いてて
でも別に最初から「存在」という絵を描こうと思った訳では無いんですよ。

単に課題で描く絵が決まらず…あ、今書いててまた思い出したけど
なぜ決まらなかったのかというと「遠近法」がワカランというか
「規則正しく旗が並ぶ様子」を描こうとして、なかなか遠近感が出せず
「どのように旗を小さくして行ったらいいのか」という所から悩んで
ついには「なぜ、人の目は、遠くにあるものが小さく見えるのか」
「なぜ、それを『遠い』と認識するのか」とか
今から思えば実に哲学的な事に悩んでますが

結局悩んだ果てに顧問の先生から

「何か一つのものに集中して描け、例えばミカンでもいいし石でもいいし」と言われ
んじゃ家の傍に川があるから河原の石を拾ってきて石を描こうってなったんだけど
(それから数十年の後に鉱石を採る採掘師の物語を描いてるっていう爆  笑)

ともかくそれで、河原で直感的に「これを描こう」と拾った石を
じーーーっと見て、抽象画的な油絵を描いたんですが
タイトル何にしようかなと悩み、

そうだこの「存在」が居るんだから「存在」にしよう、と。

つまり、人が普段は全く気にも留めない「河原の石」なんだけども

「それは確かに存在している」という「存在の主張」

…今、この文章を書いてて「おお!」って思ってしまった。
過去の自分、凄いな!わかってるやん!

だってそれが、それそのものなんですよ。

人が普段は全く気にも留めない「河原の石」なんだけども

「それは確かに存在している」という「存在の主張」



人が普段は全く気にも留めない「空間」なんだけども

「それは確かに存在している」という「存在の主張」


という事で今日の記事の本題です。この画像を見て下さい。

「空間」がありますね?


ではここで「空間」を際立たせてみようと思います。
 

どーん

板を三枚立てただけで空間が際立ちました!

ガチで「空間」が在ります!(笑)

ちなみにコレは、貴方が住んでる部屋とか建物とかと同じ事です。
ぶっちゃけて言えば「部屋」とか「建物」なんぞ、それがどんなに堅固に見えても「単なる仕切り」なんですよ。

これをちょっと上から見ますとね

ほら。空間の中に単になんか板みたいなのがあるだけです。
ここに「天井」とか付けても絶対に「空間」は無くならない。

どんなに「モノ」を詰めても、それを取り除けば「空間」は復活してしまう。
逆に言うと「空間」の中に全てが受容されている。

言葉を変えると「全てはあるがままで空間に愛されている」とも言えます。

それにしても、なぜ、「空間がある」とわかるんでしょうか?

だって貴方が見ているこの画像は
「ただのフラットな平面」であり「色があるだけ」なんですよ?

それが私が幼少期から悩み続けた「なぜ、アニメや漫画の『図形』が立体的に見えるのか」
そして高校時代に悩んだ「なぜ遠近感(空間)を感じるのか」という…。


フラットな「絵」に遠近感を感じ、奥行きを感じるならば

リアル現実の遠近感も同じじゃないか?



まぁそう言う事ですよ。


当時の自分は悟りの「さ」の字も知らず
「スピリチュアル」なんて言葉すらも知らなかったのに
本質的な所に疑問を持ち、そしてそこで推測した事は真実だったりします。

ですので貴方も知ってるんですよ。
それを意識するかしないかは置いといて、誰もが本当は知っている。



……なぜ、何もない空間が「在る」と認識できるのか。

自分の中に無いものは認識できないので

貴方が「存在する」から、「空」が存在する、「在る」と認識できるんです。



……「何もない空間」=「無」はどこから生まれるんでしょうね?

貴方の目の前の「何もない空間」
音も無く、透明で、何も無い、「無」

「空間(無)」が生まれるには「空間(無)」が生まれる為の空間が無くてはならず
「無」が無いと「無」すら生まれられない

 

どこまで行っても「無い」ので「果て」が「無い」

だって「果て」というのは「果てが有る」か、「無い」しか無いので。


そもそも何も「無い」のに「在る」って凄い事ですよね。

「何も無い空間が、存在する」

 

つまり「空」とは「存在感」なんです。
 

だから貴方が「存在する」と感じる時、それは「空」を感じているのと同じ事なんです。

 

だから、「空想」に存在感を感じ…つまりアニメや漫画やゲームが、

単なる絵、単なる色なのにそのキャラが「存在する」と感じ

「思考」も「存在感」を持つんです。

それが「意識の力」とも言えますね。

 

 

貴方が意識を向けた(気づきの光を当てた)ものは「存在感」を得て「存在する」と感じられるんです。

 

 

……って、これ以上書くとワケワカランなるからこの辺にしよう爆  笑