「考えなければ幸せになれる?」 | 原初の星の物語

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オリジナル作品「紺碧の採掘師」のブログ。更新情報など。

…今日の記事内容はちょっとヤバイかもしれんけど、なんかしつこく浮かぶので、書くしかない(汗)
昨日の記事に関連するんだけども

前に、エックハルト先生が動画で
「タロットに『愚者』というのがありますが
『愚者』は何も考えていない、つまり『源』と繋がっていて、『悟って』はいるんですが
まだ自我がそこまで発達していない、つまり進化していないという事で
皆さんは『愚者』になってはいけないんです」というような事を言っていた。
(あくまでYouTubeの自動翻訳で読んだので訳が合ってるかどうかは知らんけど)

以前の記事に書いたけど、悟りのバイブルである「奇跡のコース」を書いた作者の
ヘレン・シャックマンという人は、自分が書いたものを理解できなかったんですよ。
あれは殆どチャネリングみたいなもんで、本人の意志とは無関係に「書かされた」感じで、知ってる人は分かると思うけど「ジェーン・ロバーツのセスの本」と、ある意味では似たような感じ。

セスの本も奇跡のコースもそうだけど、書いた本人も周囲の人々も、その内容を理解できず
しかし理解できる人にとっては「すげー!」ってなったから、その本は全世界に広まった訳ですね。


逆に、ニサルガダッタ・マハラジという有名な悟り人は
インドの街中の小さなタバコ屋のオッサンだったんですが
キチンとした教育を受けた事が無く、英語も話せず、地方の言葉しか話せなかったにも関わらず
凄い深遠な事を言ってるんですよ。勿論、本人は自分が言う事を完全に理解してます。

面白いのは、マハラジは自分で「自分は学が無いし英語もできないから、世界の事はよく分からない」と言ってるんです。
しかし悟りとか真我については、その理解が凄まじく深遠なんです。そして何よりも受け答えが理知的っていう。

んで悟りを求めて旅してたモーリス・フリードマンという人が、
何か知らんけどマハラジを見つけて「こりゃすげぇ!」て事で
「本を出したい!出させてくれぇぇ!」でマハラジの言葉を英訳して本にして出したら全世界に広まったと。

 

しかしマハラジの家族とか周囲の人々にとっては「真我?なにそれ」で

マハラジは「単なるオッサン」な訳です(笑)
(ちなみにマハラジの講話は英語の出来る他者が通訳してた訳ですが
その通訳の一人が、後に悟りの教師となるラメッシ・バルセカールです)


上記の例を大きな視点から見ると、

例えば「深遠な知識がアタマに降って来た」として

それを理解できるかどうかは、その個人の知性の程度による、という事が分かると思います。

この場合の知性とは、「本質的知性」というか何というか、です。

それを考えると、世間には数多の「悟り人」がいて
「自分は一瞥体験をした」とか「悟りについて」色々と言いますけども

(自分もブログに色々書いてますが!爆  笑)

人によって言う事が違うのも納得できると思います。
つまり「理解の程度が違う」。

で、実は「愚者」が悟っているように、そして「子供」が悟りに近い状態であるように

「考えない(悩まない)人が悟りに近い」という事は、言えてしまうんです(汗)

深く考えず、(つまり悩まない為に)自己肯定感と自己愛があって

「あるがままに」「心のままに」生きられていた人が、

ある時、何かで苦しむ事が起こり、そこでたまたま「一瞥体験」や

または何かの「不思議体験」をして(元から源に近いので体験しやすい)

「自分は悟った!」となるのも納得出来てしまうんです。

まぁこの辺は、実は心理を……と言っても私は大嶋本くらいしか知らんけども
でも「ダニング・クルーガー効果」とか考えても納得できる事でして

だから「考えなければ幸せになれる」のは確かにそうなんだけども

だからといって「愚者」にはなるなという事なんです。

とはいえ人には(生命・人類には)進化の段階があるし

皆がその階梯を歩んでいるので、それでOKなんですが。
ただ「違いを認める事は大事だよ」という事で
自分は自分というか、他と比較するならば自分を知る為に比較しようね、という。

 

 

 

余談ですが

「絶対不変のものがあるから変化するものがある」

悟り本とかで「本当の貴方は絶対に変わらない」というような言葉がありますが
確かに「本当の貴方」は変わりませんが、しかし「現象としての貴方」は変化します。

…これを言葉で説明するのはなかなかムズイんだけども
エックハルト・トール先生が言ってた事を参考に(殆ど受け売りですが)説明します。

光と闇、白と黒、朝と夜、というように全ては対極になるものが存在し
だから「色即是空 空即是色」で
「空」という絶対不変のものと「色(現象)」はセットであり「色(現象)」は必ず変化します。

だから、例えば貴方が一瞥体験して「自分は空だったんだ!」と気づいて「悟って」も
「貴方という現象」は、変化させられます。
つまり「変化する為の挑戦が来る」という事です。


「現象」は進化するから「問題」が起こり「苦」が起こるが

それは「進化の為の挑戦」という事なんです。


ですから貴方を叩き潰すような挑戦は起こらない筈なんです。


それは貴方を進化させる為のものなので、乗り越えられる筈なんです。

 

という事で実は、「本質的に」悟れば悟るほど、レベルが上がるので「挑戦」も難しくなります。

生半可な「悟り」ではそこまでの挑戦は来ませんが(それでも本人には相当大変だと思うが)
「本当に深まった悟り」であれば挑戦もそれに応じたものになります。

それによって、「在る(悟り)」が深められていくんです。

 

実際、エックハルトとかバイロン・ケイティとかマハラジとか世界の有名な悟り人の人生を知ると、それが分かります。

 

「悟ったら、何の問題も無くなってハッピーだけになる」ってのは絶対無いです。

 

「悟ったら、本質的な自己(源)となって生きる」ので「個人のエゴ・自我」は完全に消えます。

「全てを受け入れる巨大な器」になります。

あくまで例えで言うなら「凄まじく成熟した精神を持った存在になる」と言えるかもしれません。

そこまで行けるか?という事なんです。