「悟り」は「癒し」とセット | 原初の星の物語

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オリジナル作品「紺碧の採掘師」のブログ。更新情報など。

このブログでは以前から「悟りと癒し」について書いてきたけども

最近あんまり書いてなかったので今日はその事について。

 

昨日アップされてたエックハルトの動画で

 

 

「スピリチュアルな知識は学んだ所で意味が無い」という事を言ってたんだけども

何でかと言うと

「意識状態が変わらなければ意味が無い」という事で

逆に言えば意識状態が変わるならばスピ知識とか理解とかどうだっていい訳です。

…この場合の変わるってのは「進化する」という意味で後退じゃないよ。

 

ただ個人的な実体験から言うならば

「理解」がある方が、進みやすい、という事はあります。

とはいえその「理解」とは、

「実体験から」というか「自己の考察から」が重要で

「誰かの言う事を鵜呑みにする」とか

単に「妄信する」のであればそれは「理解」ではないです。

 

そういう意味では、私は何でか知らんけども

幼少期から「人生とは」に興味持って

色んな本を読んで色々考えたし

成人してからも深く深く悩みまくって

色んな自己啓発やらセラピーやらヘミシンクやら色んなモンをやりました。

んで数年前はアニータさんの本にハマって

そこから臨死体験の動画を色々見たのはこのブログの過去記事に残ってます。

あと「心理」については大島先生の本を読んだり

インサイトのカウンセリングでカウンセラーさんに色々教わったり

自分自身の癒しの過程で色々学ばされました。

 

その全ての「探求」が、「理解」に繋がっています。

「探求」というより「追究」かな。

納得できない部分はとにかく自分が腑に落ちるまで考えたし

他と比較したりして考え続けた。

そして到達した地点というのがある訳です。

 

思うにこれはインドの悟りで言う

「ジニャーナの道」なのかなぁと思ったりはする。

 

で、最初に書いた「意識状態の変化」だけども

モノは使いようで、それ↑が起こるならなんだっていいんだけど

ただ「悟りの知識」だけでそれが起こるとは限らない、という事です。

 

むしろ、ガチの心理療法とか

それこそ人によってはスピのヒーリングとかの方が

それは起こりやすい、というより

 

本来の「癒し」とはその為のものですんで。

 

「悟り」と「癒し」はセットなんです、本当は。

 

だってね、例えばですが

悟りの一瞥体験をしてエゴが消えて幸せだとかいう状態が

ずーーーーーーっと永続する人ならばいいですけど

恐らく通常それは稀だと思うんで

殆どの方はエゴに戻ると思うんですよ。

するとかなり苦しいと思います。なぜなら

 

例えばですが

ある時ホテルのスイートルームに1週間泊まるチケットが当たったとして

ホテルで1週間過ごしてから自宅に戻ったら凹みますわな

 

至福の体験をしてしまうと

それを失った時の苦しみは壮絶だと思いますタブン

 

だから何が何でもそれを求めようとしてしまう、

しかしそれこそが「エゴに巻き込まれている」という

パラドックスになってしまう。

 

ちなみにエゴ=自我なので

だから「人の心理」を深く学んだり知る事は

「エゴの戦略を知る事」になります。

己を知る事は百戦危うからず

 

だから「エゴは悪い」とか「エゴを無くそう」は本末転倒で

まず「自我自身を知る事」です。

そもそも、その「自我」すら

本来の自分が作ってくれたものだから。

 

という事で長くなったけども何が言いたいかというと

「悟りの知識」ってのもまぁ必要ではあるけれども

それと同時に「癒し」をすることも必要だよっていう事です。

だからこのブログもそんなに読まなくていいよ、という(笑)

悟りと言うのは「知識」ではないので。

 

端的に言うなら例えば

どんだけ心理学の本を読んで人の心の仕組みが分かった所で

自分のトラウマを癒さないと楽にはならんよね?

それと全く同じ事。

 

全ては「自分自身の中に」あります。

だから、自分のどんな面も愛そう、という事になるし

自分を癒す事が必須になる訳です。

 

長くなったんでこの辺でウインク