悟りの道は人それぞれ | 原初の星の物語

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オリジナル作品「紺碧の採掘師」のブログ。更新情報など。

前回の記事で「ジニャーナの道」っていう言葉を出したけど
これは大雑把に言えば「知恵の道」というか

悟りについて学んだり考えるというような感じだと思うけど(タブン)

 

…昨日、「ジニャーナって知識だったような」と

ちょいと確認しようと思って何となく調べたら

この「ジニャーナ」の他に「バクタ」という言葉があって
これは「明け渡し」という意味だそうで
知恵と明け渡しは両輪が必要だという事らしく
インドとかマジの悟りの修行だと

「悟りの師」の言う事に絶対的に従うっていう修行がある
…というのを読んでふと思ったんですが

そもそも私は過去に自我が殆どなかったんですよ。
というか、まぁこのブログの昔の記事に書いた事あるけど
なにせウチの親は物凄い「昭和的」といいますか
父親が絶対的権威で母親がその下、

兄がその下で末子の私は一番下っ端みたいな
この絶対的階級家族の中で育ったもんで

親兄弟の顔色を伺い喜ばせ、従うのが私の喜びみたいな。
なんか昔は自分がサラリーマンみたいだなと思ってたな
親兄弟が上司で自分が平社員っていう

なので「自我」「自己意志」なんて育たなかった。
その為に色んなトラウマ症状を発症したので
自分を何とかしたくて色んなセラピーとかカウンセリングとか
自己啓発とか色々やった訳だけど

なにせ「親への神聖視」が凄かったので
「先生に盲従」してました。絶対服従、

それこそ「師に自分を明け渡していた」

こういう場合に「悟り」をやると
これは以前の記事にも書いたことあるけど
「自分はいない」とか「世界は夢だ」とか

インドの凄い悟った人が言ってるというだけで妄信して
むしろ自己抑圧を酷くしてしまいます。

だから私は過去に何回かエックハルトの本を買って読んで
何回も捨てたんですよ(爆笑)
買って読んでは捨て、それでもまた戻って来るのを
何回繰り返したことか。

で、本来の悟りの「明け渡し」とは一体、何に明け渡すのか?というと


「真我」とか「本当の自分」とか「意識」とか言われるやつで
とりあえず今日は「本当の自分」という表現で行くけど


つまり明け渡してしまうと「本来の自分に戻る」
言わば「あるがままになる」訳ですよ。
それは周囲との軋轢を生みます。なぜなら

例えばの話で言うと


それまで人の命令を聞いていたロボットが自己意志持ったらどうなるかという
それはロボットを利用してた側にとっては「反乱」なわけです
(あくまで例えです、たとえ!)

そもそも、幼少期から「言う事を聞け」と脅されてきたからこそ
自我が育つ事が無くロボットになって生きてきたわけで
それが「本来の自分」になったらどんな仕打ちを受けるかという
「恐怖の」思考観念のパターンが骨の髄まで染み込んでいる。

その状態で「本来の自分に明け渡し」なんぞ出来ないんです。

しかし奇しくもここで素晴らしいメソッドと出会います。

私は2016年にたまたまインサイト・カウンセリングに出会って
そこからやっと、「本当の治療」が始まったんですが
インサイトの大嶋信頼先生の「無意識さんにゆだねる」
この「無意識さん」をどういう解釈するかは自由ですが
私にとっては「無意識さんにゆだねる」が物凄い効果を発揮しました。
その辺りは過去記事に書いたのがあるけどどれだか忘れた(汗)

 

とりあえず私は

「何が起こっても無意識さんのせい」と解釈したんです。
というか、もうそうするしかない状況に追い込まれました。
何が起こっても無意識さんがそのようにしたのだから

最善であり意味があり良いことだ、と

あ、ふと思い出したけど、

一番最初は「無意識さんを信じる」所がスタートでした。

無意識さんは自分の身体を生かしているものなのだから

(つまり心臓を動かし呼吸させ新陳代謝とかを管理している)

信じてもいいというか信じるしかないというか
そこが第一のスタートだった。

 

これ、スピ系の「ガイド」とかではダメです。

自分の身体を生かしている絶対的な存在

生死を司る「自然の生命的」存在、という所が重要です。

で、例えば、自分がやりたいと思う事は、

例え他者が反対したり怒ったりしたとしても
無意識さんがやりたがっている事だから、やってもいいんだ、とか

「自己信頼」を育てました。
 

これこそが、実は「悟り」の「ゆだねる」と同義だったんです。

そこで少しずつ「自我」が育ってきました。
自我が育って初めて「自我との同一化から離れる」に進みます。

そうじゃないと「離れてどこに行くの?」って事になり恐怖で離れられない。
「本当の自己信頼」(本来の源の自分への信頼)が無ければ

自我から離れる(=源にゆだねる)事が出来ないんです。

ちなみに自我というのは現象を映し出すフィルタのようなものなので

自我(観念の集合体)が変わると「現実」の解釈が変わります。

だからリフレーミングとかナラティブとか癒しの手法がある訳ですが

 

以前「貴方は貴方でなければならない」とかいう記事タイトルを書いた気がするけど

「本来の自分自身に戻る」のが悟りでもあるので

その為には「自我を本来の状態にする」事が必要だと思うんです。

 

…だから私は、以前紹介した中野さんの本を読んで

実体験から非常に共感、納得した訳です。

 

「私」という夢から覚めて、わたしを生きる: ~非二元・悟りと癒しをめぐるストーリー~

 

という事で、人により、悟りの道は色々あるので

自分に合った道を行くのが大事だよ、という話でした。

まぁでも問答無用で自らの道に導かれると思うけどね!爆  笑