10月も半ばになって~ | 西湖好きのワンバァバ

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GRのマックスが、私の所へ来て、東京で6年。しっぽコーギーのホープも加わり、西湖で5年で、マックスが逝ってしまい、ホープとの生活2年で、柴のトコロも加わった。が、私が末期癌と判り、ホープが、脾臓に腫瘍と判ってから2ヶ月で亡くなってしまい、トコロと二人~

9月10月と、とても嬉しいことが、幾つもありました。

1つは、近所の絵本のお家のような家に暮らす、レミちゃん、パパさん、ママさん、弟2才のトム君が、2ワンを散歩に連れて行ってくれるようになったことです。

不定期に、だいたい週に1回位の頻度かな。

まだ、小学2年生のレミちゃんが、ホープのリードをたすき掛けして持ってくれます、オヤツも適宜にあげられます。

ママさんかパパさんがトコロのリードをたすき掛けして持ってくれます、オヤツをあげる他、ウンチも採って持ち帰ってくれます。

散歩に出発する時は、トコロが少し嫌がったり、吠えるホープですが、(最近は慣れてきて、トコロは、リードを付ける前に門の所へ行ったりしてます)帰ってきた時は、2ワンとも満足そうです。ウンチも2ワンとも出ることが殆どです。

その間、私は、一人留守番です。

(レミちゃんが散歩に来るぞ~~)

(出発前)

もう1つの嬉しいことは、私の癌の進行が抑えられたよう(腫瘍マーカーが減ってきている)で、年は越せそうなことです。

月1回の診察では、骨に良いらしい薬の注射をし、血液を検査に回し、先生との問診が中心。

服薬の薬は、痛み止めが数種とホルモン系のもの、便通系のもの、カルシウム、痺れを緩和させるもの、また最近、高血圧が続いていたので下げる薬も加わりました。

リハビリを始めようと、訪問リハの施設の方々がケアマネさんと訪問し相談したのですが、私が頑固な点(ワク○ン)もあり、まだ、決まりません、一人でリハしようかなあ。

また、つい、先週、民間のお出掛けサポートの方がトリミング屋さんと自分の予定を合わせてくれて、遂に、やっと、6か月ぶりに、2ワンのトリミングが出来ました。

行くときは、ケージに入った2ワンと一緒に私も車椅子ごと乗り込みましたが、2匹で4時間も掛るらしいので、2ワンをトリミング屋さんに預けたら、私だけ家に送り戻して貰いました。

帰りは、もう暗くなってから、サポートのお兄さんが、トリマーさんと協力して2ワンをケージに入れてくれたようで、リードごとケージに入った状態で、家まで連れてきてくれました。感謝、感謝です。

(ホープの冬毛befor,after

 

ビックリしたこと、トコロが死んだように庭の犬走りで、動かなくなってしまったことがあった。1時間以上、動かず、私は、そこへ行けない。来てくれる予定のヘルパーさんに、早目の電話をして、来てもらい、抱っこして家の中に入れてもらった。その方も以前、甲斐犬を飼っていたとのことで、様子を見るも、オヤツも食べない、水も飲まない、医者に行くことになるかも、と。

これが、土曜日の午後のこと、夕方、近所で犬の声がすると、トコロは、2~3歩歩きだすが、倒れる。

夜、夕食を用意していると、トコロは首だけ上げて見ているので、寝ているトコロにご飯を持って行って、下に皿を捧げてみると、トコロ食べる、その後、水も同じようにしてあげるが飲まず。

翌日は日曜日、トコロの実家のお父さんに電話して来てもらい、トコロの様子を見てもらった、外水道の水で、トコロの体をマッサージ、お尻のウンチが出かかっているのを洗う?その時、トコロは4つの足で立っている、終わると、また横になる、明日月曜日なら医者もやっているし、もう一晩様子を見よう、ということになる。

トコロの実家の父さんが帰った後、しばらくして、私がトーストを食べると、トコロはテケテケと歩いてきたので、私が食べていたトーストをあげると食べた。水も自分から飲みに行った。

直ぐに父さんに電話で知らせた。その後は、庭にも出て、以前通りの元気さ。

何だったのだろう?(蛇に噛まれた?蜂に刺された?関節を痛めた?など心配かけたヘルパーさんは次の回に、水を飲むためのスポイトなどを買ってきてくださった、簡易メールで知らせたのだが、見られなくて。)

トコロにしか原因はわからない、話せない犬は、黙って元気になった。ホープを、なんで舐めてあげないの?などと叱った自分はダメ人間。


昨日の2ワン~富士山はよく見えず、たまに見えても、まだ黒い夏のフジヤマ。

 

嬉しいことのもう1つは、私が11年前位から、クローズドのウェブマガジンに加入するほど、敬愛し、人生の羅針盤ともしている写真家の藤○新○さんから、(注文した品が届いた報告をした際、自分の末期癌のことをつい書いてしまったからなのだが)直接、電話を頂き、話すことが出来たこと。死は誰にも訪れる、悔いのないように、と。

 

病気になる前の10年余りのここでの生活では、親戚やごく親しい友人以外は、家にあげたことはなかったのが、この数ヶ月で、ヘルパーさんやら看護師さんやら、ケアマネさんやら、福祉用具屋さんやらサポートさんやら、レミちゃんやら、大勢の人々が出入りする家になった。不思議な現実。不自由な体での生活は、新しい人生に挑戦しているようだ、そして、死に向かっていくのも、しっかり味わおうではないか、と思ったり。