車椅子での散歩中に写真を撮ることに挑戦してみました。
もう、こんな雪は、この辺りでは見られないだろう、と思っていたのに、午後から降り出した雪は、ずっと静かに降り続けた。
夕方近くに、近所のレミちゃんのパパさんが、庭の雪掻きに来てくれた(3年生のレミちゃんと3才のトム君を家に留守番させて)。
その後、今度は、3人兄弟の男の子たち(一番上の子は中学生)が手に手に雪掻きスコップを持って来てくれた。
けれども、その夜も雪は音もなく降っていたようで、翌日2/6は、結構積もってしまった(テレビでは、25cmと)。
2/6は、ホープの1周忌だ、ホープは、雪が大好きだったな。
2/5(月)午後3時頃~
2/6(火)の朝~ 寝坊しての遅い朝なので、もう、屋根の雪が落ちてきている。
この朝も、誰かが庭の雪掻きをしてくれているような気がした。
そして、この辺りの学校は休校になったとのことで、午後、また、あの兄弟たちが雪掻きに来てくれた。
写真を撮り忘れたが、雪掻きしてくれたところだけが、綺麗になっていた。
オババのお礼は、相場通り、いつもお菓子だ。
ありがとう
元旦の大地震で、被災された方々が、一刻も早く、暖かく過ごせますように~
2日は、宅急便の方のインターホンで起こされ(10時頃)、午後3時頃から、トコロと散歩に出かけた。
久しぶりの犬散歩中の写真(ガラケーだけれど)を撮った~
帰宅してから、テレビを見ていたら、今度は、羽田空港で日航機が燃え始め、はぼ燃え尽きるまで、映し出されるのを見た。
乗客乗員が全員脱出できたのは、まれにみる奇跡のようだ。
海上保安庁の乗員5名の方々のご冥福を祈ります。
思えば、昨年(二日前までのことだが)は、ロシアとウクライナ、パレスチナとイスラエルの戦争にすっかり気を取られていたが、正月からのこの災害と事件で、日本でも、死と隣り合わせの日常を思い起こされた。
犬散歩で、出会った近所の方と話すことも、地震のことから、富士山の噴火のことなどだった。
私の生活も、明日からはヘルパーさんが入り、明後日は2か月ぶりの診察、と、一人の静かな生活とはお別れだ。
昨年は、多くの方々に、たいへんお世話になりました。
その御礼もしないまま、新しい年を迎えてしまいました。
昨年の後半は、わたしは、下半身の痺れは消えないものの、立ち上がりの保持できる時間はだんだん伸びて、今は15分位は、立ち作業が出来るようになりました。
そして、電動車椅子でのトコロ散歩が、一人でも、少しなら出来るようになりました。
大晦日の昨日は、暖かかったので、トコロと45分位(近所の懐かしい方々と出会って立ち?話の時間も含みます~しかも、その間にトコロは観光客の食べ残しの「鮎の塩焼き」の頭部分を食べてしまったり~~~が)散歩出来ました。
今後のことを考えて、道路に面した庭をコンクリートで平らに埋め、古い木の門や戸をアルミ製の新しいものにする工事を業者に頼みました。
やっと、全部が終わって、ふと、あんなに東京のコンクリートジャングルが嫌だったのに、こちらの豊かな自然の中の庭も、結局、コンクリートにしてしまったか・・・・と。
草刈りを年に2~3回しない限り、放っておくと、草ぼうぼうの空き家のような趣になってしまうから、とはいえ、である・・・近所の方は、綺麗になりましたね、と言ってくれるが。まあ、悲しい現実。
工事中の様子↓
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やったー!富士桜の苗木は手に入らなかったので、海堂の苗木を植えてもらった。
写真は写りが下手で最悪だが、とっても、楽しみ、あちこちの桜の花が散った頃に咲くはずの海堂、昨年、日本海側では、大雪のニュースが続いたが、こちらでは雨も少なかった、植え替えの業者さんに水をたっぷりあげなくて良いのか?、と訊いたら、木の種類によるらしいが、この木は、今は冬眠状態だからあげない方が良い(だから植え替え時は11月~2月)とのこと、ふうん、かわいそうに、昨日、朝方、少しだけ雨が降った、ホッ。
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どうか、今年が昨年よりも良い年になりますように。
私も、出来ることは、しっかりやり続けていきたいと思います。
皆様よろしくお願いします。
このところ、午後、特に夕方から、夕立のような急な雨が降って、30分程で止むという日が多かった。
が、ここ2~3日は、雨降らず、曇り又は晴れが続く。
今日28日は、夕焼けも綺麗だったので、庭に出た折、久しぶりに、ガラパゴス携帯のカメラで空を撮ってみた。
どうも、あまりよく撮れない。
でも、まもなく満月の月が何とか写ってはいる。
すると、トコロが急に傍に来て、私の車椅子に手を乗せたので、撮ってみた~
可愛く撮れた。
私の月1回の診察は、7月に行ってから、2か月に1回にしてみよう、とのドクターの言葉で、8月は無し。
次の9月の診察日まで、私は、庭のポストまでで、門から出ていない。
我ながら、よくノイローゼにならずに暮らしている。
つかまり立ちして洗濯物干しなどするが、2分もすると、疲れて、椅子に座り、大きめの呼吸で息を整えて再び作業する、の繰り返し。
つまり、何をするにも、健康な時の10倍位の時間が掛かる。
しかも、何回も繰り返すと、目まいすら覚えて、ソファに横になって休むことも度々。
それでも、窓から見える自然の美しさに癒され、トコロの可愛さに癒され、テレビから流れるニュースに、時に怒りを覚えたりし、ネットで買い物に明け暮れたりして、何とか楽しめに、暮らしている。
トコロは、今月もトリミングに連れて行ってもらい、また、あまり痒がるので、動物病院にも連れて行ってもらい、飲み薬を飲んで痒みは止まった様子。
相変わらず、門の前を、賑やかに楽しそうな若者や優しそうな人が通ると、慌てて走って行って、運が良ければ撫でてもらおうとするのだが、3度に2度は失敗、気付いてもらえずスゴスゴと家の中へ戻ってくる。
撫でてもらえた時は、まだ、その喜びを表情に残したまま戻ってくるので判るのだ。
(所感)病気になってから、こんなに多くのテレビ番組を見たのは人生で初めてだろう。一番憤慨しているのは、原○事故での汚染水(処理○というのは当たらないと思うので、あえて)問題。この国は、鉄道や道路の拡張の技術はあんなに凄い(トンネル・地下鉄など)のに、原子○のデブ○に水が流れ込むことに対し、凍土壁が駄目だったからといって、他のあらゆる手立てを検討したのだろうか?また、国は、みんなの海に流し始めてしまった汚染水のトリチ○ム濃度は公表すると言っているが、他の放射○物質については、いったいどうなのだろう?なんか、ロジックに上手く騙され、マスコミ各社も、日本を批判している中国を批判することに上手く問題をすり替えられていないのだろうか?中国の方の批判の仕方に問題はあったとしても、別の話ではないか、もっと当事国として出来ることがあったのではないだろうか。いやまだ、海洋放○を止めることは出来るはず、そこにこそ、国の技術を集めるべきであろう。
1年目のCT検査、血液検査の結果、ドクター「悪くなっていない」、とのこと。
俄かには、信じられなく、ドクターが、私のために、取り繕って言ったのではないかと疑った。
が、その後4,5日経って、悪くなっていると思われた背中(脊髄?)や腹部や胸部の痛み~痛み止めを何種も飲んでいるので、やんわりとした痛みなのだが~それぞれ解消してきている。
私は、意外と感情に揺れがちで、思い込みも強く、悪くなっていないと知ったから、良くなって来たのかも、だが、それでも、良い。
よ~し、後、2年、もし許されるなら、それ以上、生きるぞと思うことが出来、ブログを書いてます。
ただし、ドクターに、「脂肪肝になっているから、食べる量を減らした方が良い」と指摘されたことは、自分でも、納得。
対策:まず、生活時間を一定にすることから始め、食事は、きちんと作って味わいながら食べ、お腹が一杯になってきたら、残すこととし、申し訳ないが捨てることにしたい。
私のことを心配し、良くなるように祈ってくれている友人、先輩方、みなさんへ、取り急ぎ、感謝の気持ちを伝えたい。
病気になって初めて、「おかげさま」の意味を知りました。
6/26のトコロ~蒸し暑くて、よく寝てます~
(自分の膝と車椅子の一部が映ってしまいました、失礼)
盆栽は、気温が高いので、昨晩から、夜も中に入れず、一日中、外に出しています~
5/24日は、訪問看護師さんが、看護実習生と一緒に来た。誕生日のトコロの写真を沢山撮ってもらったので、その一部を少し(ブログに載せるため)修正しつつ以下に載せます。
一緒に映っているのは、学生さん。
その日、今年は咲かないだろうと思っていた、コスモスが、1輪、咲いていた、
また、夜近くになってから、レミちゃんとママさんが、トコロへ美味しい誕生日プレゼントを持って来てくれました。
ブログをなかなかアップ出来ないまま、桜の花の季節~~この頃、私は「歩きたい」と言い出して、歩行器(上半身は歩行器にもたれ掛かったまま、そろりそろりと歩く感じのもの)という物を借りて台所で使いだした~~~桜が散る頃、初めて、花海堂(亡き父が好きだった読み:かいどう)の盆栽があることを知り、ネット購入した~花は直ぐに満開になり~直ぐに散った~~~やがて私はすっかり歩行器が嫌いになり、返してしまった。
歩行器の写真は無い。
言い訳すれば、歩ける希望が持てるなら、もっと頑張っただろうが、その希望が無いなか、足や身体のあちこちが痛くなってもの努力が虚しくて、やがて腹が立ってきて出来なかった、自分から言い出したというのに、である。
が、そんなことの後、コロナ禍続く中、昨年からファンクラブを立ち上げた「三○寛」さん(シンガーソングライター?詩人)から、会員へのお礼として、私は、「ガンは直らない病気ではありません、あきらめず」の色紙を頂いた。
返事は未だ書けないでいるが、メッセージに、「ありがとうございます、考えてみます」とだけ返した。
でも、その後、少しずつ、廊下の手すりに摑まって歩く練習も密かに初めている。
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盆栽なんて、興味もなかったが、ベランダ?の植木鉢にも手が届かず、小薔薇やラベンダーも、この一年で枯らしてしまったので、ネットで見つけた盆栽なら、家の中で育てられるのではないかと購入した次第。
工作ばさみで葉っぱをチョキチョキ切っていたら、枝もどんどん切りたくなって駄目にするかもと、やはり、盆栽の本を買い、盆栽ばさみ、苔のふりかけ、盆栽用針金、盆栽用固形肥料なども買った。
盆栽といえども陽にあてねばならないことを知り、天気の良い日中は、外のエアコン室外機の上(そこなら何とか届くので)に出し、夕方は室内の洗濯機の上へ。
切った枝からも次々に葉っぱが出てきている。
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(また来年も咲きますように、見られますようにと、素直に願う)
私は、夕方にソファで寝落ちすることが多く、すっかり夜型人間になり、ベッドで寝るのは早くて3時、酷い時は5時。
トコロは、その間、ソファや台の下で寝ているが、夜中の2時頃には、自分から、テケテケ歩いて、ケージの中へ入って寝る、そして寝坊の私を8時半頃にはベッドの柵?の間から手を出しツンツンして起こしてくれる、とっても「お利口さん」。
トコロ、昼間は、ほとんど、外のコンクリートの上や草の庭で過ごしているが、たまに、特定の人にだけ、オオカミ吠えするので、その時はオヤツで釣って室内に入れる。
トコロは、優しそうな若い人が通ると、塀の隙間から鼻を出し、あわよくば撫でてもらおうとする。
トコロの散歩は、サポートを仕事にしているお兄さんに週2回位頼んでいるのと、ボランティア的に不定期に連れて行ってくれる方が3人程いるので頼っている。
トコロの運動量は、多分、それらの散歩よりも、外を犬連れの方が通る時のほうが断トツに多いだろう、なぜなら、ワンちゃんを見ると、家の周り中をグルグル回ったり、飛び跳ねて、塀を超えようと試みたりと凄い勢い、興奮状態で、オヤツで釣って中に入れるのも難しい位だから。
トコロは、いずれ、東京の息子一家の家で暮らすことになるだろう、私は、その日が少しでも先に延びるように、願い、日常を暮らしている。
6日(月)午前11時過ぎのことでした。
その二日前の土曜日の晩に大量に吐き戻し、多分、この時、脾臓が破裂したらしいものも出たように思います。
その前の金曜日には、ホープが未だ子犬の頃から、散歩で時々優しくしてくれた近所の花ちゃんが、数年ぶりに来てくれて、トコロの散歩と、ホープをずっと優しく撫でてくれました。
土曜日には、いつものように、レミちゃんが、ホープも、少しだけ、散歩に連れて行ってくれました。ヨロヨロだったけど、嬉しそうな顔で戻ってきました。
吐いた後の二日間は、何も食べられず、薬も飲めませんでした。
日曜は、まだ、少しずつ歩くことも出来、外水道の側のバケツの水(冷たいし、低いから飲みやすいと思ったのか)を飲みに行った、けれど、次に私が見た時には、一段落ちてしまったようでした、が、私は体を冷やそうとしているのかと思ってしまい、また後で見ると、上がれたようでした。
この頃、とにかく体が熱かったからでしょう、敷物の上から降りてコンクリートに寝ることが多かったです。
この2~3週間は、ソファには上がれなくなっていました。
月曜日の朝は、いつも来る、私のベッドの横には来られませんでした。
私は車椅子なので、床に横たわるホープを抱き上げることが出来ない。
ずっと横になったままのホープに、お皿でお水を飲ませようとし、5回に1回位飲めました。
ホープはヨロヨロと歩き出し、また、転んで横たわり、を繰り返し、どうやら、残っている便意を感じたのか、室内トイレの方へ行こうとしているようでした。
シーツの上に乗っていれば、私はマジックハンドで、シーツの端を持ち上げ、手で引っ張ることが出来ました。
ホープが自分でどうしても立とうとするので、私は、ホープの首の上の肉を掴み、立ち上がらせてみたが、一歩歩くと、転んで横になってしまう、どうしよう、と考えながら見ていると、ホープは、思い切り、手足で空を蹴って、息絶えました。
シーツには体が半分乗っているだけなので、私はホープの手足を持って、渾身の力で、シーツに乗せました。
また、ホープの居る場所は廊下の真ん中で、車椅子の私は、通れません、で、近所のレミちゃんのママさんにメールして、手助けを頼みました。
ホープは、やっと、ソファの上に乗ることが出来ました。
レミちゃん一家は、夕方、皆でホープのお別れに来てくれました。
火葬業者は、6年前のマックスの時と同じ方に、翌日来てもらい、たまたま時間が許すからと、私のリハビリの先生に手伝ってもらって、無事送り出せました。
翌日8日に、ホープはお骨となって戻ってきました。
10日の雪~
昨年11月頃のレミちゃんとのお散歩で~(byレミちゃんママ)
今は昔となったホープの楽しそうな写真~
大好きだったマックスと~
あんなにうるさく感じたホープの吠え声が、今は無くなり、電話がきても、静かです。
トコロも、2日間ほどは、様子が変で、夜は鹿が啼くと、私のベッドに上がってきたり。
その後、トコロは、家の前を人が通ると吠えたりすることが多くなり、まるで、ホープの真似をしているようです。
私は、日常生活のことを、どんなに時間が掛かっても自分の力でやり、最後の瞬間までやり続けたホープの姿勢を忘れない。
ホープは、それを私に教えてくれたに違いない。
皆さん、ホープがお世話になりました。
またまた、寂しいブログになってしまいましたが、トコロを応援してください。
さっきテレビで、痩せてしまった坂本龍○が、ピアノで自分の曲を弾き、世界中のパンデミックと自身の病気とを重ねて人生観は変わった等を語っていた。
で、私も、遅ればせながら、ブログを書き始めました。
写真のないブログは詰らないだろうと、慌てて、2ワンを撮りました。
正月の元旦から3日間は、ヘルパーさんたちも来ない静かな日々を、2ワンと過ごせました。
ホープは、動物病院の先生が郵送で送ってくれた薬を飲み、レミちゃん達が連れて行ってくれる時は、ホープだけ、5~10分位で家に戻して貰い(トコロは、その後も3~40分)散歩に行けます。
私は留守番です。
家の前を通る人には、少し、しゃがれた声ながら吠え、私に用事のありそうな人の時は私に知らせに来ます。
静かだと、ずっと寝ています。
トコロは、ヘルパーさん(ご自身も犬を飼っている方)が、15分位の散歩に連れて行ってくれて、ウンチが沢山出た報告を聞くことが出来ます。
何よりも、これも、ヘルパーさんのお陰ですが、脱走が無く済んでいることが最高の日々です。
年賀状仕舞いをする方や、私とは違う病と闘う方の多いこと~年齢からくるのかな、閉鎖的な時代のなせる業か?など、考える機会も持てました。
人生は、出会いに尽きる、か、なるほど、たしかに。
大晦日の夜遅くに、2ワンが寝ている時に、届いたカレンダーが大き過ぎて、半分に切って風呂場の戸に張り付けた漫画の絵(下記)を、後で、起きたトコロが見て、「ウーッ、ワン」と大きな声で吠えた。
トコロには、人間の男の人に見えたのだ(確かに実物大の半身だ)、トコロには、平面図が判るのだ。(ホープは何の反応もない)
笑ってしまったが、トコロが可哀想だから、私が絵を触って見せて、大丈夫だよ、と伝えた、吠えなくなったが、あまりそこに行かなくなった。
今年も、こんな私達をよろしくお願いします。