ずいぶん難しくなってきましたが、前回の続きです。
「南無阿弥陀仏」はインドの言葉です。
それだけでは、私たちに本来の意味が通じません。
以前、
「ご院家さん、なんで死んだ人を北枕にするか分かりましたわ。」
「そうですか、じゃあなんでですか?」
「あれはね、お名号は南無阿弥陀仏っていうでしょ?
つまり南には阿弥陀さんがおらんっちゅうことですわ。だから北向きに枕を…!」
「ち、ち、違います!」
なんて会話をしたこともありました。
これはいわゆる当て字なので、南にも無にも意味はありません。
(ちなみに親鸞聖人は意識的に「南无阿弥陀仏」とお書きになられますね。)
そこで、インドの言葉であった「南無阿弥陀仏」(六字名号)を、
本来の意味をもった形で表わしたのが「十字名号」と「九字名号」です。
まずはご自宅のお仏壇を開いてみてください。
真ん中には阿弥陀如来様がいらっしゃるか、「六字名号」をお掛けになっておられるでしょう。
そして、ご本尊の左右をご覧ください。
親鸞聖人と蓮如上人がいらっしゃる場合と、文字が書かれている場合と2種類あると思います。
文字の方だったかた。
その文字こそが「十字名号」と「九字名号」です。
インドの言葉である「南無阿弥陀仏」を私たちが読んでも意味が通じるように、
阿弥陀さまのおはたらきをもって名号にされているのです。
では、その名号をつぶさに見てまいりましょう。
まずは「十字名号」。
「帰命尽十方無碍光如来」(きみょうじんじっぽうむげこうにょらい)。
う~ん、これだけではかなり難しいですね。でもこれは阿弥陀さまの限りなき光を表わしています。
「帰命」は前回も申しましたが、帰依するということ。
「尽十方」は。世界のあらゆる方向ということ。十方は東西南北の四方に、更に北東・南東・北西・南西・上・下を含めます。つまりどこでもということです。
「無碍光」は、「碍(さわ)りがない・障害がない」光ということ。
つまり尽十方無碍光ということは世界中のありとあらゆる場所にも、隔たりなく届く光ということです。
で、最後に「如来」ですから、これは「仏さま」ということ。
私がどんな場所にいようとも、変わらず照らし続けてくださる、そんな光の仏様に帰依します、
というのが「十字名号」です。
そして「九字名号」は
「南無不可思議光如来」(なもふかしぎこうにょらい)。
こちらも限りない光を表わしていますが、少しインドの言葉が残っています。
「南無」は帰命と同義語です。
「不可思議光」は、私たちの思量が及ばない、思うことも出来ないような光ということ。
つまり、私たちでは計り知ることが出来ないような、無限の光の仏さまに南無します、
というのが「九字名号」です。
十字も九字もどちらも無量光という阿弥陀さまのおはたらきをもってお名号とされているのです。
十方微塵世界の念仏の 衆生をみそなはし
摂取してすてざれれば 阿弥陀と名づけたてまつる(浄土和讃)
阿弥陀さまには更に「無量寿」というはたらきがあります。
限りなき命。
つまりいつでも、ということ。
ですから「阿弥陀」とは「無量光」「無量寿」であり、もっと分かりやすく言うと
「いつでも、どこでも」というおはたらきを表わした言葉になります。
私たちが何気なくお称えしているお念仏も、じつは阿弥陀如来さまの
おはたらきを表わしたお言葉であったのです。
今回書きましたのは、お念仏やお名号の基礎的な解釈です。
これだけでは、お名号のことを話したりておりません。
浄土真宗では、お名号がそのままご本尊となります。
私が称えるお念仏は「仏さまのお呼び声」と言われます。
なぜなのか。
親鸞聖人は、「南無阿弥陀仏」を詳細に解釈されました。(「六字釋」といいます)
これは大変奥深く、今の私にはブログ上でお話しできません。
もっとちゃんと勉強してから、いつかお話しできればと思っています。
ダメダメですんません…。
西法寺@芦屋