小さい頃に習った「一年中の歌」の歌詞には“♪おめでとう一月、つもる雪二月”と続き“♪青い空十月”だった。日本の10月は秋まっ盛りで“天高く馬肥ゆる秋”だから「青空」に象徴されるのだろう。9月が「月」なら10月は「青空」、通常なら私は「ヴォラーレ(Volare)」も歌う。何故この曲が「青空」なのかは既に書いた通り。

 

 

日本で青空に関する歌となると、まあ世代にもよるが西城秀樹の「ブルースカイブルー」を思い浮かべる人も多いだろう。この曲は彼の代表曲とも言われているが、まさに晴れ渡った青空という曲調だ。物悲しい「短調」の曲が多い我々日本人のメンタリティでも「青空」ならさすがにこの曲の様に「長調」になる。

 

ところが洋楽は違うのだ。コンチネンタル・タンゴには「碧空(あおぞら)」という名曲があり、ジャズスポットで一般的なスタンダードには「ブルー・スカイ」(綴りはSkiesだから「ブルー・スカイズ」と記載すべきかも)という曲もあるが、両曲とも明るい曲調の「長調」ではなく、何故か「短調」なのである。

 

「青空」なのに短調になっている理由として、私は二点考えた。一点目は“blue”という英語には「青色」以外に「憂鬱な」「悲しい」という意味があることだ。例によって原詞は歌詞専門サイトをご参照戴くとして、原詞にある“Blue days”は「青い日々」ではなく「憂鬱な日々」だろう。ナンチャッテ和訳をするとこんな感じである。

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「ブルースカイズ」

(作詞作曲:アーヴィング・バーリン)

 

青い空が私に微笑む
私には青い空以外何も見えない

青い鳥が歌をうたっている
一日中ずーっと、青い鳥だけが

太陽がこんなに輝いているなんて
物事がこんなにうまく運ぶなんて
恋に落ちてからは、まるで飛んで

行くように日々は目まぐるしい

憂鬱な日々は全て消え去った
もうこれからは青い空以外何もない

 

(translated by Saigottimo)

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2点目は、この曲がヒットした時代背景が影響していると思うのだ。この時代に起きた最も大きな出来事は「世界恐慌」である。1929年に“暗黒の木曜日”で米国株式市場が大暴落し米国内の失業率は20%を超え、翌年には全世界に拡大した。日本でも翌1930年(昭和5年)に昭和恐慌が起きている

 

それを考え併せると「青い空以外何も見えない」のは住居を失ったから?「青い鳥が一日中歌っている」のが分かるのは失業したから?「憂鬱な日々が全て消え~これからは青い空以外何もない」のは全財産を処分してどん底まで落ちたから?などの解釈も可能で、もしそう解釈するなら、まあ「短調」が相当だろう。

 

でも、この曲は1926年のミュージカルの曲で恋の曲だから、“作り手側”にその発想はない。上記のような解釈は私の勝手な妄想に過ぎない。ただ、この曲がその後、大衆に広く受け入れられロングセラーとなった背景として“受け手側”の一つの要素としてはあったかも知れないと思っている。

 

なので私はこの曲を歌う際には、日本人的な「青空」というイメージとはどうしても相容れないからか、「明るい表通り」と同じように、どこかで世界恐慌のご時世を意識して歌ってしまうのだ。

 

【カントリーのウィリー・ネルソン盤もヒットした】

 

♪Blue Skies ~ Blue Moonメドレー…2011年3月27日、茅ケ崎「Hi-Hat」でのHi-Hatカルテットライブにて♪

 

Saigottimo